とくべつを信じて
路地を駆け抜ける。足を踏み出す度に傘からはみ出した体が雨で濡れる。足音がリズム良く辺りに響いて雨音と音楽を奏でた。ガードレールを飛び越え、大通りを抜け、角を曲がると、大きな門が私の前に現れた。びしょびしょの体は氷のように冷えて、濡れた服がそこから更に熱を奪う。
「ピンポーーーン!!大弥ちゃんいますかぁーー??鴇子ちゃんが来ましたよーーッ!!」
木で雨宿りしていた烏たちがいっせいに飛び立った。待ちきれずに門の前をうろうろしていると、黒髪の女の人が奥の家から現れた。虹村さん。この家の家政婦だ。
「萩宮さん、わざわざ大声で呼ばなくてもこの家にはインターホンがあるんですよ」
「……ピンポーンって言ったモン」
呆れたようにため息を着くと、虹村さんは扉を開けて中に入れてくれた。玄関の扉を開けると朝食に食べたのだろうフレンチトーストの甘い香りに包まれる。私も朝にパンケーキを食べたはずなのになんだかお腹が空いてくる。
「あっ、大弥ちゃん」
「ストップストップ!ぜ、絶対濡れてるわよねッ!?」
「わ、捕まった!鴇子ちゃん大ピンチ!」
服から水が滴っていることも忘れて家に上がろうとすると、バスタオルに越しに抱きしめられた。フレンチトーストとは違ういい香りがする。柔軟剤の匂いだろうか。ラベンダーのような上品な香りだ。ぐりぐりと頭を押し付けて香りを味わっていると、大弥ちゃんの後ろに知らない男の人がいるのに気づいた。船乗りがよく着るセーラーに白い帽子、東方家の人間ではない。誰だろう。
「キャッチィ〜、まずお風呂行きましょ、お風呂!特別に新しく買ったシャンプー使わせてあげるわン♡」
「……………………あなた、だあれ?」
「オ、オレェ?オレは……」
大弥ちゃんに抱きついたままその人に尋ねると、少しキョロキョロとした後で自分を指さした。私たちよりも少し年上みたいに見える。大弥ちゃんや虹村さんが何もしないってことは怪しい人ではないんだろうけど。すると突然大弥ちゃんニヤリと笑った。横を向くと彼女はどこかに怪しさを秘めた笑みを浮かべて男の人の方を見ていた。
「ウフフ、あたしのか♡れ♡し♡」
「キャーーッ!!!うそでしょ、先越されちゃったあ!もう!なんで言ってくれないのよッ!それで、こ、告白は?どっちからしたの?」
「あの、お、オレ……」
「それはもう熱烈で――あたしのことを好きだって言ってくれたのよ。服を脱がせて、それで――」
「キャーーッ!!」
彼氏さんは恥ずかしいのかオロオロしている。恋愛のアドバイスをしてあげたり二人で縁結びの神社に行ったりしたのな懐かしい。――それにしても、大弥ちゃんと彼氏の恋は高校生にしては激しすぎないだろうか。それも出会ったばかりでヤるなんて……。勝手にその後を想像して恥ずかしくなる。下を向いて大弥ちゃんに抱きついていると、彼氏さんが大声をあげた。
「大弥ちゃん、彼女が勘違いするだろう、やめろよ」
「はァーい。鴇子、この人は東方定助。あたしのお世話係よ」
「んん?彼氏じゃあないのッ?なァーんだ!安心安心!で、私は萩宮鴇子!大弥ちゃんはあげないからねッ!」
大弥ちゃん大好き♡とじゃれ合いながらお風呂に向かう。途中で疲れたようにため息を着く定助くんが見えたので、二人で定助も一緒に入らないかと揶揄うと、面白いぐらい顔を真っ赤にして部屋の奥の方に逃げていった。湯船に浸かりながら聞いた話だが、定助くんはいろいろあって住む場所がないからここに住まわせてもらっているらしく、その代わりに視力の弱い大弥ちゃんの世話をすることになったんだとか。記憶喪失で身元は分からないが、恐らく私たちよりも年上だろうとのこと。
「結局彼のこと好きなのね!あ〜あ、私の愛しの大弥ちゃんがとられちゃう……」
定助くんから断られただけで、大弥ちゃんが彼のことを好きなことに変わりはないらしい。定助くんには康穂ちゃんという仲良しの女の子がいるそうだ。記憶を失って最初に知り合った女の子。大弥ちゃんに勝ち目はあるのだろうか。
「もう、かわいい!そんなにあたしじゃなきゃイヤってことなら、彼氏はしばらく保留でもいいかなァ〜?」
「大弥ちゃん……!」
犬を扱うように頭を撫でられた。女の子によくある、友達以上恋人未満な関係。大弥ちゃんが誰かと付き合うのは嫌だけど、彼女の裸を見て欲情はしない。そんな不思議な関係性はいつまで保たれるのだろう。大学生になった時か、社会人になった時か。それは分からないけれど、今すぐに、ということは無さそうだ。