私の心はもう限界に達していた。
一度暴走した使命感や殺意は留まることを知らず、もう後戻りができないところまで私を蝕んでいた。自分を偽って生きなければならない私にとって、言葉を話せないダニーは唯一素でいられる友だ。そんな彼はもういない。ディオにやられたのだと私は確信しているが、焼却炉の箱の中から骨と灰が見つかったのだそうだ。私以上に兄は悲しみ、怒っていた。
ダニーを庭に埋めて花を供えたその夜、私は暖炉の前のソファに一人座って俯いていた兄の隣に腰掛けた。病気や老衰などではなく、箱入ったまま焼死したという明らかな他殺に十代前半の少年の心は押し潰されそうになる。愉快犯か計画犯かは分からないし、証拠だって一つも残されていなかったが、とにかく誰かのどす黒い意思に呑まれて死んでいったことは間違いなかった。
「僕は犯人探しなんてしたくない。でも正直に言うと……あんなことをするのは彼しかいないと思ってる」
彼とはディオのことに違いないが、兄はあえてその名を出すのを控えたのだろう。膝の上で強く拳を握りしめて歯を食いしばりながら暖炉の火を睨みつけている。兄はきっとダニーを箱に閉じ込めた本人だけでなく、その箱の中でダニーを無残にも燃やし尽くした炎をも恨んでいるのだろう。無理やり手を開かせれば、手のひらに爪の跡が付き赤くなってしまっていた。
「ええ。彼ならできると思うわ。部屋を飛び回る煩わしい蚊を潰すのと同じくらい、罪悪感なしにね。でも今はそんなこと考えたくもない。ダニーを弔うことだけで精一杯だわ」
無慈悲な悪魔がこの家にいることなんて考えたくもない。そんな意味で呟かれたその言葉は目の前の彼にどう伝わったのだろうか。視線を手元に落として考えるように黙り込んだ後、彼はこちらによりかかって、私の肩を濡らした。
おそらく兄はディオに沢山酷いことをされているのだろう。だが心優しい彼は、家族に迷惑をかけたくないという一心からか、私にも父にも何も相談しなかった。ディオが兄のことを嫌いなことは彼の冷たい瞳を見れば明らかであるし、兄が笑顔を取り繕ってディオと接していることだって態度を見れば明らかであった。
まだディオが来たばかりの頃、夕食の時に兄が父に叱られたことがあった。彼のテーブルマナーはまだ未完成で、フォークやナイフの扱い方に苦労しているようだった。一方のディオのマナーは完璧。ディオの本性を知らない父は、そんな優秀なディオを褒めることしかできない。
「ディオ、君の作法は素晴らしいな。そこで頼みなんだが……ジョナサンにテーブルマナーを教えてやってくれないか。父親の立場だとどうしても彼を叱りつけてしまう」
「それは構いませんが、僕でよろしいのでしょうか?」
丁寧な口調で謙虚に答えたディオの表情が一瞬引きつったのを私は見逃さなかった。ソファーに座って本を読んでいた私だが、集中力を二人の会話に持っていかれてしまって、ただ紙の文字を眺めているだけになってしまっていた。何度か顔を上げて奥で話している二人の様子を伺う。
「歳の近い君なら、と思ったんだ。迷惑をかけるね。何か欲しいものがあれば……」
「いえ、いえ。いいのです。そのくらいどうってことないですよ。なんたって僕たちは、
よくそんなことが言えると心の中で軽蔑する。無意識に手に力が入って、開いていたページがくしゃりと音を立てて歪んだ。慌てて手を離して皺を引き延ばそうとしたがもうとっくに手遅れだった。そんな事をしているうちに二人は話し終えたらしく部屋から姿を消していた。私は栞を挟むことも忘れて乱暴に本を閉じた。
そんなことがあった次の日から、ディオとジョナサンの特訓が始まった。父からそのことを聞かされた兄は、驚いたのか思わずベーコンが刺さったままのフォークを皿に落として雑音を立てていた。動揺して一瞬私に視線を向けた後で父の方を向く。ディオはつまらなそうに私たちを見ていた。思わず私は声をあげた。全員の意識がこちらに向く。
「ディオ兄さま、私にも作法を教えて欲しいの。大丈夫、そんなに迷惑はかけないつもりよ。何ならジョナサン兄さまに教えてるところを横で見ているだけでもいい」
ディオはきっと兄に何かするつもりだ。私が傍にいれば、彼は行動を起こしづらくなるだろうし、兄は私を頼りやすくなるかもしれない。あわよくば彼のこれまでの悪事を暴いてしまいたい。咄嗟にディオに頼み込んだのはそんな淡い願望からだった。父を前に態度を悪くする訳にはいかないディオは、渋々承諾すると皿に残っていた料理を次々と口に運んでさっさと自分の部屋に戻ってしまった。
兄がフォークとナイフを持って、その手にディオが触れている。指をつまみながら無理矢理兄の手を動かす。その様はまるで糸で人形を自在に操る人形師のようだった。皿はステージで、兄は主人公、だが彼はディオに踊らされている操り人形。しかし、私は兄のような強い人間なら、糸を簡単に切ってしまえると信じている。