04. あなたの日陰になる為に





雨は一向に止みそうにない。
風が叩きつけられる度、窓は今にも壊れそうなくらいに荒々しい音を立てて揺れる。二階の北側にある私の部屋は嵐の暴風をもろに受けていた。風は壁を揺らし雷は床を揺らす。窓ガラスは酷く揺れており、この時代の家はみんなこうなのだろうかと疑問に思うほどだった。時計の針は既に十二時を回っている。毛布にくるまって耳を押さえたが、漏れ出す騒音が私を寝かせてくれそうにないので、ホットミルクでも飲もうと私は下の階に降りた。
廊下の奥に淡い光が見える。あの部屋には暖炉があるので、きっと私と同じように眠れない誰かがいるのだろう。

「……だれかいるの?」

扉の隙間から覗いたがよく見えない。おそるおそる踏み出して声をかけてみると、暖炉の前のソファに座っていた誰かが勢いよく振り返った。

「なんだ、その年にもなって雷が怖いのか?」
「ね、眠れなかっただけよ」

ディオはそう言って鼻で笑うと視線を目の前の本に戻した。彼は年々あの吸血鬼に近づいている。同一人物なのだから当たり前のことだ。彼が兄になったあの日、初めてその姿を見た時はただの美男子にしか見えなかった肌は白く目つきも恐ろしい。だがどこかあどけなさの残るその姿や、些細なことで素直に眉をひそめる、まだ猫かぶりが下手な態度は少しかわいらしいと思えた。

「私の部屋、北側でしょ?風のせいでうるさくて眠れないの。……ホットミルク飲むけど、貴方もどう?」

ここに来てから数年で、私の闘志は腐ってしまったのだろう。あれだけ憎くんで殺す計画まで立てていたディオにホットミルクを淹れるなんて頭のネジどころか歯車がどこかに飛んでいってしまったのかもしれない。
年齢が上がるにつれて少なくなったが、時々彼は兄らしく私の頭を撫でたりすることがある。父や使用人に怪しまれないようにする為の演技かもしれない。だがそうされると思わず彼らのことを思い出して涙が出そうになる。故郷に帰りたい。かつて私が暮らしたあの土地で、彼ら・・と一緒に――――


ガシャン。白地に青い花やレースの模様があしらわれたお気に入りのカップが音を立てて割れた。思わず地面にへたり込む。天井がグルグル回っているように見える。吐き気もする。それが目眩であることは分かったが、何かしらの対処ができるほどの余裕は無かった。床に飛び散ったミルクの温かさと鼻を溶かすような蜂蜜の匂いが気持ち悪い。

「おい、どうした……鴇子?!」

腕を掴まれる。その直後、天井がグイッと近づいた。抱き上げられたのだ。服に付いていたカップの欠片がパラパラと床に落ちる。ソファに降ろされて横になると、目眩も少しマシになったようで距離感が掴めるようになってきた。タオルとコップ一杯の水を持ってきた彼と目が合う。

「急にどうしたんだ。誰かに襲われたのかと思ったぞ」
「わ、わたし……忘れてるわ。記憶の一番大事なところ……彼らについての記憶、自分がどこから来たのか。彼らってだれ?わたし、鴇子・ジョースター……よね?でも、もう一つ名前があったはずよ。私はなんのためにここに……」

何故私はここにいるのだろう。いや、むしろここにいるのが正しいのではないのか。そんなことを考えていれば、口元にコップを押し付けられた。流し込まれた水を大人しく飲み込めば、鼓動と呼吸がだんだん落ち着いて思考の制御を取り戻せた。深呼吸をして、抱えた膝に顔を埋める。

「気持ち悪いな。悪霊にでも取り憑かれてるんじゃあないのか」
「ごめんなさい、ディオ兄さま。もう大丈夫よ」

どうやら記憶はどんどん薄れていっているようだ。目の前の彼が化け物になって、未来の私を傷つけるということしか思い出せない。後の記憶は靄がかかってしまったように朧で不安定なものと化してしまった。
私は隣に座った彼に体を寄せた。この際慰めてくれるなら誰でもよかった。一瞬驚いて体を反らせた後、彼はおずおずと手を差し出して私の背中を撫でた。
完全なる悪など存在しないのではないか。現に彼はキッチンで倒れた私を介抱しているし、落ち着かせるために背中まで撫でてくれている。例え彼が兄を虐めているような男だったとしても、泥にまみれた宝石を洗うかのごとく彼の心の闇を浄化出来れば、優しいとまではいかなくとも普通の人間くらいにはなれるのではないだろうか。もしかしたら、今はもう思い出せなくなってしまった遠い未来だって変えられるかもしれない。

「ありがと。兄さまは優しいのね」
「……やはり何かに取り憑かれているな。ジョジョと教会にでも行ってきたらどうだ」

突然私の口から吐かれたその形容詞に、ディオは眉をひそめた。だが背中をさする手は止めない。案外満更でもないのかもしれない。


雨は朝には止んでいた。
夜更かししていたこともあり体の疲れは取れない。メイドに頼み込んで起床の時間を一時間遅くしてもらった。朝食を食べ終えて庭に出ると、湿った生ぬるい風に包まれる。あまり心地良いものではない。最近花を咲かせたばかりの薔薇の花びらがあちこちに散らばっていた。

「鴇子、昨日の夜体調を崩したって聞いたけど、大丈夫かい?」
「少し目眩がしていただけよ。雷も凄かったし、音で体が参っていたのかも」

心配そうに言った兄にそう返した。

「ねぇ兄さま……一度悪いことをした人は、もう善人になることはできないのかしら。私、ディオ兄さまもきっと正しい人間になれる日が来ると思うの」

こんなことを虐められていた兄に言うのは酷いことだとは分かっているが、彼なら助言をしてくれるに違いないと期待していた。考えるように私から視線を逸らして少しさまよう。
ディオが普通の人間に戻るために私ができることはなんだろう。親友――正確には義妹であるが――にとって一番大切なものは友情だ。では友情とは何であるか。女学院の友人の顔を思い浮かべてみる。
よくランチに一緒に食べる友人。流行りのファッションを買いに街までショッピングに行く友人。劇を見に行ったり茶会に招いたりする友人。人それぞれであるが、共通しているのは『安心できる』という点だろう。心に安らぎをもたらしてくれるというのはきっと人間関係において重要なことだ。忘れてしまった未来の彼らもそうなのだろうか。

「きっとできるさ。彼にされたことを許すのは難しいけれど、彼に更生して生きる覚悟があるというのなら僕はそれを応援するよ」

妹として甘え、友として信頼する。
それが彼にとって必要なことなのかもしれない。父を亡くして養子になった不幸な少年としてではなく、運命に導かれて共に暮らすことになった最高の兄として。これが最悪な未来を回避する為の第一歩である。







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