つるぎのアリア
天は彼に味方していた。それだけの事だと割り切れたら良かったのに。
当時の私は金に目がくらんで犯罪に手を染めていた。目がくらんだ、という表現でいいのだろうか。そう迷うほどに当時の私は落としたら一瞬で粉々になる硝子のような純粋さを持つ不安定な子供だった。心臓病を患う母の病態は年々悪化して、倒れたり発作が出る回数も増えていく一方。心臓病の中でも特に症例が少なかった彼女の病気は、治療法も確立されておらず、痛みを抑えるための手術も日本では行われていなかった。アメリカでの手術の為には莫大な金と時間が必要だった。だがどうしようもない父親の借金のせいで、母の為に払えるお金は一銭も無かった。
「私もそのような能力を持っている。友達になろう」
バイトの掛け持ちで疲労し、路地裏の壁にもたれていた私に話しかけてきたのは外国人の男だった。ハリウッド俳優なんかとは比べ物にならないくらい、神と見間違える程の美を身体中に纏いながら男はそう語る。
むしゃくしゃしていた私がゴミをつついていたカラスを剣で滅多刺しにしたのを見ていたのだろう。その剣士は、念じれば私の後ろに現れ念じれば私の中へと消えていく。この剣士が見えるのは、当時の私の周りには一人もいなかった。
男の背後にも誰かがいた。武器は持っておらず、よく見てみると手の甲に時計のようなマークがある。路地に座り込んだままの私に男は手を差し伸べる。救いの手だと思った。暗い雨雲の間から差し込む一筋の光のように、私のどん底の人生を照らしてくれたような気がした。その光を追いかけるようにその手を掴んだ。その日から、私の心のほとんどは彼で構成された。
ほとんどと言えば、他にも大事な何かがあるように聞こえるが、その何かというのは母のことである。エジプトの彼の館で仕えることになったその日。泣きながら母の病気と父の借金について話せば、彼は私の頭を撫でて優しい言葉をかけてくれた。彼の安心の為に働けば代償として大金を支払うとまで言ってくれた。
「親戚も先生も、みんな私のことを見て見ぬふりだった。誰も私のことを助けてくれなかった。両親から押し付けられた全てのものを背負って押し潰されそうな私を助けてくれたのはDIO様、貴方だけでした。この命尽きるまで、あなたにお仕え致します」
館には既にたくさんの部下がいた。誰も私に憐れみの目を向けることは無かった。女性は少なかったが、マライアは私の良き理解者になってくれた。姉ができたような気分だった。ヴァニラは部下の中で一番と言っていいほど忠誠心が強かった。DIO様に仕える身としてあるべき姿は彼から学んだ。テレンスは世話焼きの執事で、慣れておらず迷子になっていた私に館を案内してくれた。
「鴇子。お前は勤勉で非常に良く私に尽くしてくれている。任務も失敗したことがない。優秀で頼もしい部下だ」
そう褒められることが増えてきた頃には、とっくに借金の返済も終え母親の手術も完了していた。
私の仕事は暗殺。入ったばかりの頃は誰かと一緒に餌を探したり幽波紋使いを勧誘したりすることも多かったが、今では主に裏切り者の始末を任されていた。
「ありがとうございます。お役に立てて光栄でございます」
「そこで一つ、話があるのだが」
彼はベッドの上で姿勢を変え、座って足を伸ばした。体に緊張が走る。突然に雰囲気が変わる時。それはだいたい私が始末することになる裏切り者のことを報告する時か、滅多にないことであったが彼が過去について話す時である。
「ジョースターの血を近くに感じる。奴らは私の送り込んだ刺客を倒してエジプトに入国したようだ。9栄神を既に送り込んでいるが……奴らがもしカイロにたどり着いたら、その始末はお前に任せる」
日本からやってきた空条承太郎と花京院典明。花京院はかつて肉の芽を埋め込まれDIO様の配下となったことがある。偶然に故郷も年齢も同じだった私たちは意気投合し、同じ任務を与えられた時には今までで一番早く仕事を終わらせることができた。きっと肉の芽は承太郎が抜いたのだろう。私と同様に、花京院は承太郎にそこの見えない闇から救い出されたのだろう。
仲の良かったマライアが承太郎たちの元へ向かってから数日が経過したが、彼女は館に戻ってこなかった。誰一人として任務を達成することは無かった。生死は分からないが、9栄神たちが戻らないことはヴァニラを怒らせ、DIO様を失望させ、そして私を悲しませた。ダービー兄弟も彼らの元に向かっている。使い物にならない屍生人やメイドを除けば、残っている部下はペットショップ、ヴァニラ、私の三人だけだ。
「DIO様、行って参ります」
私にその時が訪れたのは昼間のことだった。棺桶のある部屋の扉の前で跪いた。この身倒れ逝くその時まで、私はこのスタンドと共に剣士として、DIO様に仕える者として戦う。そう決意した。
闘志が心の中で燃えている。冷静を装いながら電柱に立ち、煙草を加えながらこちらを見上げる承太郎に刃を向けた。私と同じ十七の少年は、背後から幽波紋を出して対峙する。花京院やポルナレフとは別行動しているみたいだった。彼らが帰って来る前に仕留める必要がある。
「空条承太郎。お前も母親を助けるために来たそうだな。私も同じだった……母は心臓病を患っていた」
「それがどうした?こんなのはただの常套句だと思うかもしれねーが、一つ聞かせて貰うぜ。犯罪者の娘を持つ母親のことを考えなかったのか?」
「フン……。お前たちは恵まれていることに気づくべきだな。この理不尽な世界で最後まで手を差し伸べてくれるのは悪だけだッ!倫理だって偽善だって、何の役にも立たないッ!」
少ない食事に腹を空かせたまま登校したあの日、父親に殴られ頬に痣を作ったあの日、大学受験を断念したあの日、誰もが見て見ぬふりをした。それが十六年続き、やっと私を見つけてくれたのはDIO様だった。それが幽波紋とDIO様自身の安心の為でも構わなかった。いや、私のためで無かったからこそ、私は救われたのだろう。
「……何を言っても無駄らしい」
「私たちは似ているな。表裏一体、というやつだ。……だがもうおしゃべりは終わりだ」
そう言って切りかかる。彼は避けながらも幽波紋で攻撃をする。非常に正確でスピードもパワーも申し分ない。今まで戦った人間の中で一番だった。迷いのない力強い攻撃に彼の覚悟を感じた。幽波紋の剣が折れた時、私は彼に敗北し、一瞬のうちに彼の闘志を叩き込まれた。ああ、DIO様、申し訳ありません。私は彼の正義にのまれてしまいそうです。