ジャスミンの導く恋慕
空港ではその国のにおいが分かるという。日本ではダシや醤油の匂い、韓国ではキムチの匂い、ハワイでは甘いフルーツのような匂いがするらしい。香港の空港に降り立った時は中国料理特有のトウガラシの匂いがした。自分で感じたことは無いが、母国フランスではバターの匂いがすると聞いたことがある。陸路で訪れたとはいえインドの街中は香辛料の匂いでいっぱいだ。昼頃や夕方は特にそれが顕著で、現地の人がどれだけ香辛料を使った料理を愛しているのかがよく分かる。
ホテルで早めの夕食をとった後、気分転換に繁華街を歩いていた時のこと。ストリートフードや店からは相変わらずカレーの香辛料の匂いがしている。パリがパンを焼く匂いだけで溢れているなんてことはないから、フランスとインドの食文化の違いには驚かされるばかりだ。
喧騒の中を歩いていると、ふと場違いなほど華やかな香水の匂いがした。振り返れば、白い帽子に同じく白いワンピースを着た女性の姿が。あのブロンドと雪のように白い肌は間違いなく外国人だろう。帽子に巻かれた青いリボンが彼女の美しさを引き立てていた。あくまで後ろ姿を見ただけの感想である。ふわりふわりと揺れる彼女の髪とスカートを眺めていると、突然彼女が右に曲がった。向こうは路地になっていて治安も悪い。踵を返して彼女の方へと走った。
「……お前外国人だな?いくら持ってるのか見せてもらおうか」
「い、いや!離して!」
彼女の口から咄嗟に出た言葉はフランス語だった。薄汚い男が手を彼女の胸に伸ばしている。金を出しただけじゃ離してくれないだろう。金目的だろうが体目的だろうが彼女を助けなければならないことに違いはない。男を突き放して彼女を自分の後ろに隠した。すると逆上した男が殴りかかってきた。
「お嬢さん大丈夫かい?怪我はないか?」
男の手を捻り上げ、がら空きになった脇腹を蹴れば、情けない声をあげながら路地の奥へと逃げていった。未だ震えている彼女の肩に手を置いて安心させるために英語ではなくフランス語で話しかける。彼女の動悸は少しマシになったようだった。サファイアの瞳には涙が浮かんでいる。
「あ、あなたフランス語が分かるの?」
「分かるも何も、俺はフランス人だぜ」
彼女の髪が風に吹かれて辺りにジャスミンの優しい香りが漂った。香水の文化がほとんど無いアジアでは久しぶりに感じた香り。かわいらしい彼女によく似合っている。その一つだけで口説き文句がいくつも浮かび上がった。
どうしても繁華街を見に行きたくてこっそり家族のいるホテルを抜け出したという。先程のこともあって、一人で戻るのは怖いだろうと思いホテルまで送ってやった。
「……また会える?」
別れ際、彼女はそう呟いた。白くて小さな手が俺の服を掴む。寂しそうな瞳で見上げられてしまえばこちらも目が逸らせない。ヨーロッパの男というのは大抵、寂しがり屋の女の子を放っておけない性分なのだ。
「会えるさ。こんなカワイイ女の子を俺が見失う訳ないだろ?」
一度大きく目を見開いた後で笑った彼女の姿はまさに天使だ。今まで沢山の女の子と恋をしてきたが、完全に心を射られてしまったのはこれが初めてのことだった。
承太郎たちの待つホテルへの帰り道、売店でジュースを買おうと左のポケットに片手を突っ込んで、小銭の中に何か混ざっていることに気がついた。折りたたまれた白いメモ用紙。殴り書きだがかわいらしい丸文字でメッセージが書かれている。それは間違いない、彼女からの手紙だった。
『銀髪の騎士さんへ
××× ‐ ×××× ‐ ××××
もしも私を見失ってしまうことがあったら、ぜひこの番号を使ってください。
鴇子・萩宮 より』