腕いっぱいの夢想
「アカギくん?どうしたの?」
彼は台所に立つ私の背中に顔を押し当ててきた。突然の行動に慌ててコンロの火を消す。包丁を片付け、お腹に回された彼の手に私の手を重ねて、優しく声をかけてみる。
「なあに?何か嫌なことでもあった?」
「……」
彼が甘えてくるなんてことは滅多にない。十三歳にしては大人びていて、冷静で、感情の起伏もそこまで激しくないため、彼が寂しかったり悲しんだりしているところは見たことがなかった。これはきっと相当なことがあったのだろう。その手を優しく掴んで、そのまま彼の方を向く。
「アカギくん?もしもーし」
「……」
「しげるくーん」
私の体にしがみつく彼の頭を撫でながら呼びかけてみる。
「……しげちゃん?」
「その呼び方やめて」
やっとのことで顔を上げたアカギくんの表情は、いつもより少しだけ寂しそうに見えた。
「それで?甘えん坊さんなしげちゃんは悪い夢でも見たのかな?」
からかいながら背中をさすってやれば、彼はムッとした顔で私の腕を掴み、寝室の方へと引っ張った。エプロンを脱ぐ暇もなくそれについて行く。
「もう、言ってくれないと何も分からないってば!」
夕方、彼はうたた寝していたからその時に変な夢でも見たのだろう。座布団を枕替わりにして床に寝転ぼうとした彼を止めて、なんとか押し入れから布団を出した。
「俺がいないあいだ、あんたいつも何してるの?」
「何って……普通に高校行って、買い物行って、あと家事と読書くらいかしら……特に変わったことはないわよ」
アカギは週の三日に一回くらいはどこかに出かけてしまって帰ってこない。その間は私も一人で暮らしているが、これといって何かしている訳でもない。
なんでそんなこと聞くの?と言っても、彼は目を伏せただけで何も言わなかった。
「アカギくんにも同じ質問をしたいくらいよ。心配してるんだからね、いつもいつも、怪我ばっかりしてきて……」
初めて会った時もそうだが、彼は時々血だらけになって帰ってくることがある。それは返り血だったり、彼自身の血だったり。とにかくやたら物騒なことに足を踏み入れているらしい。
「紗雪さんが手当てしてくれるからだいじょうぶ」
本当に、彼はどうかしてしまったのだろうか。こんなに彼が甘えてくるなんて信じられない。
彼は未だに私に抱きついたままだ。寒くないように二人で布団を被る。まだ夕飯も済ませていないのにこのまま寝てしまいそうだった。
「そんなこと言って死んじゃったらどうするのよ」
「そん時は、俺にツキがなかったってだけさ」
「……そんな」
そんな悲しいことを言わないで欲しい。今度は私が彼を強く抱きしめる。
「う、うわっ」
「そんなこと言わないで。ギャンブルならまだしも、喧嘩で負けて死んじゃうなんてアカギらしくないわ」
私の胸に顔が埋もれてもがく彼の頭をわしゃわしゃと撫でながら、そんなことを言う。私と同じ洗剤の匂いを感じながら、アカギの存在を確かめるように何度も彼の背をさすった。
「それに、あなたがいなくなったら、わたし……」
「……紗雪さん」
名前を呼ばれて彼の方を見る。
「俺はいなくならないよ」
「ほんと?」
「ククク……少なくとも、今のところはね」
その言葉を聞けただけで十分だった。アカギは自由人だから、どうなるかなんてまったく予想できない。それでも、しばらくは、彼がいなくなってしまうことはないんだと安心できた。
時計の針は七時をさしている。もう夕飯の時間だが、今はそんなことよりも、この腕いっぱいの小さな幸せを感じていたかった。本当に甘えん坊なのは、アカギよりも、自分なのかもしれない。