04.烏兎





憂鬱な朝、簡単な朝食を済ませて制服に着替える。化粧だって気を抜かない。紗雪の通っているお嬢様学校は人の目が厳しいのだ。少しでも見下されてしまえば、直ぐにスクールカーストの底辺行きになる。

「アカギくん、私の髪おかしくない?」
「うん」
「ねぇ、ちゃんと見て言いなさいよ……」

鏡で見えない頭の後ろをアカギに見てもらおうとしたが、彼は小説に夢中で目線すらこちらに向けなかった。

「何読んでるの?」
「人がいっぱい死ぬやつ」

妙な表現をされたそれは恐らく推理小説の類だろうと紗雪は推測していた。案の定表紙には『そして誰もいなくなった』と書かれている。それは紗雪の読みかけの小説だった。机の上に放ってあった栞を見て彼女はあっと声をあげた。

「ちょっと!どこまで読んだか分かんなくなっちゃうじゃない!」

座布団を枕にして寝っ転がったアカギを揺さぶったが、一向にこちらに興味を示してくれる気配はない。

「はぁ…もういいや。行ってきます」

学生鞄を持って家を出ていく紗雪に、アカギは背を向けたままひらひらと手を振った。相変わらず本に夢中である。やっと半分ほど読み進めたアカギだったが、もう既に犯人の予想はできていた。その予想が的中していることをまだ彼は知らない。

(それにしても、麻雀の対戦相手と会う予定があるって言ってたのに、随分余裕そうだったわ)

路面電車に揺られながらそんなことを考えていた。紗雪の高校の始業時間は少し遅く、通学時間も自然と朝のラッシュ時から外れることになる。そもそも殆どの生徒が車での送迎のため、この辺りの路面電車を利用する学生は少ないのだが。
ほぼ無関係な上に女子な紗雪は留守番ということになるのだが、例の麻雀の日には南郷や安岡も行くことになっている。それでもアカギが心配で心配で堪らない。

「すみません、降ります!」

降り口前に固まっていた人々を押し退けて紗雪は電車を降りた。ごきげんよう、と他の場所じゃあ聞きなれない挨拶を耳にする度にこの学校に通っているのが嫌になる。紗雪は自分のなりたいように、自由奔放に生きるアカギが少し羨ましかった。






「すみません、麻雀の本を探しているのですけれど」

放課後。退屈な一日をなんとか終えて、普段はそのまま家に帰るところを商店街に寄ってみることにした。紗雪の行きつけの本屋は古本も扱っているせいかごちゃごちゃしていてどこに何があるか分かりにくい。

「あるが……嬢ちゃんみたいな若い女の子が麻雀なんて珍しいな」
「え、えっと、家族がやってて、興味が湧いたというか……」

本屋の奥の方に案内された。入門書から上級者向けの難しい本まで、その一角にずらりと本が並んでいた。

「嬢ちゃんも打ったりするのかい?」
「いいえ、私は後ろで見てるだけですわ。でもルールが分かっていた方が楽しいでしょう?」

だが来てみたのはいいものの、どんな本がいいのかなんて検討がつくはずがない。

「麻雀っていうのは本で読むよりやって覚えるのが一番だぜ。家族が友達かに頼んで一局やらせてもらえよ」

何事も経験だって言うだろ、と店主は言った。
とりあえず紗雪は『広く浅く』を扱った本だけを買うことにした。分からないことがあればアカギに聞いてみればいい。
そうして商店街を出た紗雪の前に、見慣れた後ろ姿が二つ。紗雪は駆け寄った。

「アカギくん!南郷さん!」
「……紗雪さん?」

打ち合わせ帰りのアカギと南郷だった。

「学校帰りか?」
「ええ。まさかこんなところで会うなんて!」

普段シャツを黒いズボンの中に入れているはずのアカギが今日はそれをしていなかった。腰の、それも体の横側が若干膨らんでいるようにも見えた。紗雪はアカギの身に何があったのかを知らない。

「せっかくだし三人で飯でも行くか!」
「奢ってくれるんだ?」
「生意気なガキだと言いたいところだが……今日は俺の奢りだ。借金を返せるのはお前のおかげだしな」
「でも、なんだか申し訳ないわ。せめて割り勘に……」

南郷に気にするなと言われて紗雪とアカギは奢られることになった。町中華に入って紗雪はエビチリ定食を、アカギはチャーハンを注文する。

「商店街にいたみたいだけど、何買ったの?」
「これ?麻雀の本よ。少しはルールを勉強しようと思って」
「麻雀、興味あるのか?」

暇そうに窓の外を眺めていたアカギが聞いた。紗雪は学生鞄から買ったばかりの本を出す。

「みんなアカギくんのことすごいすごいって言うでしょう?何となく凄いのは見てて分かるんだけれど、ルールが分からないからなんだか勿体ないと言うか……」

初めて麻雀に触れたあの日、天才であるアカギは数分でルールを理解していたが、一般人である紗雪はそれに苦戦していたのだった。

「凄いどころじゃねえ……ホントに人間か疑うくらいだぜ。月から来たとか言われても信じちまいそうだ」
「ククク、地球を侵略しに来てるとか?」
「やんちゃしすぎて追放されちゃったんじゃないの?かぐや姫みたいに」

月には海があるという。それは地球のように塩っ辛い水で満ちたものではなく、隕石などによってできたクレーターなどのことである。紗雪とアカギが雀荘に現れたあの日、二人はチキンランのせいで潮の香りを纏っていた。……実は月の都には本物の海があって、その海を通して地球に迷い込んでしまったんじゃないか。夢見がちな紗雪はそんなことを考える。

「紗雪さんは玉兎みたいだ」
「な、なんだそれ?」
「……餅つき兎のことよ」
「あんた餅好きでしょ。正月だって俺よりいっぱい食べてた」

餅つき兎に似ているなんてあまり嬉しくない例えである。紗雪は大食いであることをアカギに暴露されて思わず赤くなった頬を両手で隠した。

「ま、まあ、沢山食べるのはいいことだろ」

南郷の下手なフォローで紗雪が更に顔を赤くしたところで、三人の注文していた料理が届いた。

「いただきます!」
「おい、少し量多くないか?平気か?」
「ええっ、そうですかね……」

山盛りのご飯を見て、アカギも南郷も同じことを思った。だが紗雪はそのてっぺんを箸で掬って上品に食べる。もの凄いスピードで減っていく料理に南郷は空いた口が塞がらない。

「……どうしたんですか?食べないんですか?」
「い、いや……」
「フフッ、だから言ったろ。餅つき兎だって」
「う、うるさいわねっ……」

紗雪の脳内で、ぽってり太った月の兎が餅つきをしている様子が浮かび上がる。

(ならアカギくんはかぐや姫でも、金烏でもない、ずる賢いサギ・・だわ)

鷺が倍プッシュなんて言いながら麻雀で負けた兎から金をたかっている様子が思い浮かんだ。……紗雪のくだらない妄想はそこまでにしよう。ぺろりと定食を完食して、奢られるのは申し訳ないと言いながらきっちりデザートに杏仁豆腐まで頼んだ紗雪の食欲は、同年代の女子と比べてずば抜けて高いのだった。







TOP