07.幕間






この日、アカギは数日、いや数週間ぶりに学校へ登校していた。もう秋になった頃だった。アカギが学ランを着ている姿が見たいとしつこく紗雪に言われ続けた結果、ついに押し入れの奥にしまっていた学ランを着ることになった。結局次の朝もいつの間にか紗雪のペースに乗せられていて、いつの間にか鞄と弁当を持たされて、いつの間にか中学校に来てしまっていた。

『じゃあね。早退しないでちゃんと全部の授業受けるのよ』

母親のようにそう告げた紗雪はやけに楽しそうだった。それとは反対にアカギはつまらなそうにしている。授業中も退屈そうに鉛筆を指の間に挟んでくるくると回していた。

「赤木、ここの答えは?」
「……ウ、です」
「正解!よく分かったな!」

こんな簡単な問題、寝ぼけていても解けるだろう。そう思うと同時にアカギは周りの低レベルさにもため息が出そうになった。暇だから居眠りでもするかと目を閉じたが、不規則な生活のせいか上手く寝付けなかった。
それから少なくとも四時間は同じように退屈な時間を過ごして、そろそろお昼時という頃。

「赤木さん、今日、当番だろ?」
「……そうなの」

配膳当番。といっても、牛乳瓶を下の階の配膳室から持ってくるだけである。
アカギに話しかけるのに三分ほど彼の席の周りをうろついていた眼鏡の生徒は、緊張のせいか少し声が裏返ってしまっていた。白髪赤目で、喧嘩が強いと有名で、学校も真面目に来ておらず、何を考えているか分からないミステリアスな人間に、誰が好んで話しかけるだろうか。

「あ、俺ら、最後だな。……悪ぃけど、配膳票を職員室に届けに行ってくれねーか?俺顧問に体育教官室来いって言われててよぉ……」
「別にいいけど」

配膳票をアカギに押し付けると、生徒は早歩きで体育館の方へと行ってしまった。
別に食べるのが遅い訳でもないし、少しくらい昼休みが遅くなってもかまわないか。アカギはそんなことを考えながら職員室へと向かう。

(部活って面倒だよな。なんであんなことやってるんだろ)

ちょっと遅刻しただけで廊下に立たされたり、練習中は水を飲むことすら禁止だったり、アカギにとっては全て無意味なことにしか見えなかった。紗雪も部活には入っていないので尚更部活に没頭している人間の思考は分からない。
それから職員室に配膳票を届けにいって、階段を上って教室に戻った。席について紗雪が朝作った弁当を鞄から出した。いつも自分が高校に持っていってるものと同じように詰めたのだろうが、やけに色とりどりなその弁当に思わず笑いそうになった。



「アカギくん、学校、どうだった?」
「……紗雪さん」

雨の降り出した夕方。アカギが走って校門に向かうと、緋色の地味な傘を差した紗雪がもう一本傘を持って立っていた。

「ごめんなさいね。ラジオで夕方から雨が降るって言ってたのに、持たせるのすっかり忘れてたわ」

こうしていると本当に姉弟のようだと紗雪は思った。紺色の傘をアカギに手渡すと、ハンカチで濡れたアカギの顔を拭った。学生帽についた水滴も払ってやる。

「……つまんない」
「えっ?」
「こんな生ぬるいところじゃ、まるで『死んでないだけ』みたいだ。みんな同じように、人形みたいに生きてるだけ……生きてるって感じがしない」

紗雪に不思議そうに見つめられて、アカギは話を続けた。

「今日ここに来て分かったよ。ここでぼーっと一日一日を安全に過ごしていくより、死の淵のそのギリギリを攻めていく方が、自分のためになる……ってね」
「そう……」

紗雪はアカギの瞳の奥に仄暗い闇を見た。そこに踏み込んでしまったら、そのまま闇に引きずり込まれてしまって、二度と戻れなくなる。そんな恐怖を見た。それはアカギの狂気だった。

「でも、アカギくんみたいに何でもできちゃうような人なら、学校なんか行かなくても大丈夫そうね」

運動神経も悪く、楽器の才能も無かった紗雪にとって、勉強は一番手っ取り早く校内の地位を確固たるものに出来る方法だった。

「アカギくんってホント不思議。年下って思えないくらいに大人びてて、なんだか負けちゃったきぶん」
「クク、あんたが子供っぽいだけじゃないの」

紗雪は傘の柄をくるくる回しながらそう言った。確かにアカギは十三歳とは思えない謎めいた少年ではあるが、内面は思春期らしく複雑で脆い。
実際アカギが紗雪に甘えることだって少なくない。数日家を開けていた後にはやたらと口数が多くなるし、布団をピッタリくっつけて寝ているし、本を読む紗雪の背中にもたれ掛かることさえある。

「アカギくんだって、ちょっと子供っぽいところもあるじゃない」
「……どんな?」
「……こういうところ!」

傘を地面に放り投げて、思いっきりアカギを抱き締めた。女性らしい柔らかな感触と髪油の椿の匂いに包まれる。アカギは珍しく赤面した。ほんのりと頬を染めて、目を伏せて、胸を高鳴らせている。

「ほらっ、いつもかっこつけたこと言っといて、意外とすぐ顔真っ赤にするんだから!」

紗雪は得意気に笑った。

「これ、子供とか大人とか関係ある?」
「あるわよ。だって、映画で見るような二枚目の俳優さんたちなんかすごいんだから。はぁ、あんな台詞、一度は言われて見たいわ……」
「そんなの、ただの創作物じゃない」

いつか、紗雪とアカギは二人で映画を見に行ったことがあった。紗雪の選んだのは推理物だったが、恋愛シーンも少なからずあり、見てるこっちが思わず笑ってしまうようなくさい台詞を主人公の探偵が何度も言うのだ。流行りの監督と俳優らしかったが、アカギにはちっとも良さが分からなかった。

「でも、あんたは俺の弱みを分かってないな」
「弱みねえ。アカギくんにもあるの?弁慶の泣きどころ、ってやつ」
「誰にだって一撃必殺の弱点くらいあるよ」
「ふーん。私にも、あるのかなあ」

傘を拾い上げて二人は再び歩き始めた。
アカギの弱点なんて想像もできない。心の弱みは確かにほとんどの人間にあるだろうが、自分の弱みと言われてもあまりピンとこない。

「俺はあんたの弱点知ってるぜ」

あまり人に興味を持つようなタイプではないアカギでも、紗雪のように単純な人間のことなんか、手に取るように分かる。

「ホント?なになに、教えて!」
「ひみつ」
「どうして?もう、ケチ!」

俺の弱点はあんたで、あんたの弱点は俺だよ。
そんな言葉を飲み込んでアカギはそっぽを向いた。こんなことは、自分だけが知っていればいいのだ。





第一章
〜完〜





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