3.菊丸(社会人)

疲れたな、と誰にも気付かれないように小さくため息をついた。大学を卒業するまではそれなりに順調な人生を歩んでいたのに、肝心の就職先を間違えてしまった。どれほど頑張ろうともその全ては上司の手柄となり、自分の評価や給料は上がらない。なんのために生きているのか完全に見失っているのに、易々と辞めるわけにもいかず途方にくれていた。

「ああああああもう無理〜!!!!」

周りに誰もいないのを確認して、無理と言いながら空の段ボールを軽く叩いた。

「なーんで不機嫌なの?飲みに行く?」

そこに現れたのは同期の菊丸。
入社したのは私を含め三人、それぞれ別の部署に所属することになった。はじめのほうは情報交換も兼ねてよく仕事終わりに飲みに行き、どんな感じかって話をしたり聞いたりした。二人はとても恵まれていた。朝一番に上司が今日のおやつ〜ってお菓子をくれるとか、社長の気まぐれな説教からかばってくれるとか、可愛がってもらっているようだ。

その点私の上司はというと……新人の私ですらわかるくらい責任感がなく仕事もできなけりゃ報連相もできない。責任感の無さと仕事のできなさは大きくふりまわされることはないが、報連相がないというのは結構私にとって致命的。

今までのつもりつもったことと、ついさっきのことを一人回想してイライラが止まらない。

「おーい、みょうじ〜?」

目の前で手のひらをパタパタとする菊丸。ハッと我に返り、あわてて返事をした。

「あ、なんだっけ?」

「も〜心配だなあ。今日飲みに行かない?」

「今日……」

「やっぱ今のなし!」

話を聞いてほしい反面、疲れているので一秒でもはやく帰りたい気持ちがある。その為どうしようかと決めかねていたら取り消しをされてしまった。

「今日、飲みに行くかんね!」

「お、おお?」

「そんな顔させたまま帰すの心配」

眉を八の字にさせてのぞき込む姿が、なんだか実家の犬みたいだ。わかったと返せば満足そうに頷き、終わったらいつもの店で待っててねと言われた。
なんか、たったそれだけなのに少し気が楽になった私は、平常心を取り戻して持ち場に戻る。けどそれもつかの間、また上司がやらかしてくれたのでイライラしたままお店にむかうことになった。

退社時間になった瞬間にタイムカードを押す私と違い、菊丸はいつも談笑してから帰っている。だから先に飲んでいようと、レモンサワーを頼みお通しをちまちまつまみながら待った。一時間もすれば来るだろう、と思っていたが意外にもすぐに現れた。

「お疲れ〜!」

「お、お疲れ???」

「なに?」

「いや、思ってたよりはやかったから」

「俺から言ったのに待たせるわけないじゃん」

当たり前、と続けながら呼び出しボタンを押した。適当に頼まれるメニューはいつもお決まりのもの。私と菊丸は好みが合うらしく、何種類も頼み少しずつつまむというのが定番になりつつある。

「カンパーイ!」

「お疲れ〜」

「で?」

「ん?」

「どうしたの、いくらでも聞くよん」

菊丸のその言葉に、「聞いて!!!!!」と一気に捲し立てた。
上司が責任感がいこと、仕事ができないこと、報連相もできないこと。取引先や別部署の人に伝えただろと怒られるのはいつも私だ。一度、もう少し情報を共有させてほしいとお願いしたが

「お前が横で聞いてれば良いだけ」
「俺は報連相が大嫌いなんだ」
「すぐに忘れるから無理」

と開き直られてしまった。そのくせ他社には報連相がなっていない、なんて怒る。でもそのせいでミスも増えるが、上司の指示でやったことも、上司が最終確認をしてGOサインをだしたものでも、全て私のせいにされてしまう。
大体横で聞いてろってなんだよ、すぐどこかサボりに行くくせに!トイレでも電話するくせに!しかも鼻をほじりながら!私は常にお前を付きまとわなけりゃいけないのか!?!?!お前と違って仕事の量が多いんだから無理に決まってんだろ!!!!すぐに忘れるって自覚あるならメモしろよ!!!お前は書き方すら忘れたのか!?ていうか報連相が嫌いって、好きとか嫌いの問題じゃないから!!!

「もおおおおお!!!!本当に!!!!なんであんなのが上司なの!?なんで部長までなれたの!?仕事ができないって周知の事実じゃん!!!!」

「みょうじ」

私の激しくなっていく口調に菊丸は静かにこう言った。

「なんで部長になれたかって、人数的に仕方がないからだよ」

すごく真面目な顔をしてそんなことを言うものだから、口に含んだお酒が勢いよく飛び出した。

「うわ!みょうじ大丈夫!?」

「ご、ごめん」

菊丸のシャツを濡らしてしまったにも関わらず、私の心配をしてくれる。お手拭きを手にして自分より真っ先に私のまわりを拭いてくれた。

「本当のことなのに、そんなにおもしろかった?」

「本当のことだからおもしろかったんだよ」

「俺の上司もそうだよ。人数的に常務になったんだろうなーって感じ」

「え、部下思いじゃないの?」

「それは俺が気に入られてるだけ、あの人の仕事って取引先や他の部下に怒鳴り散らすだけだよ」

意外すぎる事実を聞いてしまいうまく返事をできずにいると、ちょっと迷ったように続けた。

「今日は友田来れなかったけど、あっちも中々」

「え?いつもかばってもらってるじゃん」

「そうなんだけどね、二人きりになると結構ひどいこと言われてるよ」

この前休憩時間に忘れ物して事務所へ戻ったら、そういう会話が聞こえてきた。気づかないふりして元気に入っていったら慌てたように取り繕ってたけどね、と肩をすくめた。

「その後、友田さんは?」

「もちろん俺が適当に理由つけて一緒に抜け出した」

ズイッとピースサインを決める菊丸に、自分だけ何も知らなかったんだなと少し寂しくなった。

「みょうじは、どうしたい?」

「え?」

「もちろんみょうじの上司が悪いし彼が辞めたら一番良いんだけど、この会社にいる限り誰が上司になってもあんま変わらない気もするんだよね」

「……うん」

「会社、辞めたい?」

「辞めたいけど現実的ではないなって迷ってる」

「それならこうやって愚痴ってスッキリするならいつでも聞くから、もうちょっと一緒に働こうよ」

ね?と不安そうに首を傾げる姿はやっぱり最愛の犬に似ていて少し笑ってしまう。ありがたいけど、そうなると常に話を聞いてもらわないといけなくなる。だって落ち着く間もなくストレス与えてくるんだから。

「そんなこと言ったら毎日呼び出しちゃうよ」

それはちょっと、なんて困った顔をすると思ったのに、目を嬉しくてたまらないというように光らせ、いいよと答えた。その様子にちょっと戸惑っていると、口の端を上げてこう言った。


「じゃあさ、もう一緒に住んじゃおうよ」


その言葉に、菊丸が犬に似ているからで、思ったより酔っちゃったからで、他意はないんだって、何かに言い訳をしながら私は二つ返事をした。



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