接触した後悔は幾度


また、早い朝だ。別段遅くまで起きていることはないけど、でも眠いものは眠い。作戦が日々打ち鳴らす調子に合わせてくれることはないんだから、文句も言えないし、ふあ…………ねぇ。白いブレザーに白いスカート、白いリボンを結ばれた私は彼へ近寄った。白軍の人間だ。

「もしもし、少し道を尋ねても」

「何だ、お前。白軍か」

「ええ、ええ、その通り。今春、入学する学校がここから近いはずなのですが、見当たらなく、お尋ねした次第で」

「……中学なら、この先を右に曲がった所にある、さっさと行きなさい。勉強に励むんだ、そして白軍に栄光を……」

「どうもありがとうございました」

その言葉の後、胸ポケットへ仕舞っていた短刀を彼の首に宛がう。小さく息を呑む音が聴こえた。

「それで、もう一つ」

本部の人に、帰り際に囁かれた私だけへの言葉を思い出した。『アプローチだけでなく、乗り込んだって良いよ、黒軍の為に──』

「おたくの支部を、教えて下さる?」


雑居ビルに、支部はあった。薄暗い室内灯がどこか不気味で、三階に着くと、男は、ここだと言った。首に刃を突き付けられたまま。でももう用無しだよね?この人……迷った末に私は死なない程度に腹を刺した。ごめんなさいここまでありがとうございます。まだ朝早いせいか、ノブは何も言わなくても開けられた。でも開いているってことは、誰かいるってことかぁ。気を付けようね〜。整然と並ぶ机をすり抜けて奥の扉の前。ノックする?しない?しても無駄かも。理由は合図が分からないから。えへっ。いや、違う、ほんとうに。来るまでに教えてくれなかったっていうか、知らない!って。偵察に行けとしか言われてなくて、しかも雇われだからやりとりは文書しかないって。まあその文書も見せてくれたし、嘘っぽくはなかったから、ああそうなのねと思ったけど。そのときだった。取っ手がひとりでに動いた。私は動転してしまったけれど、それは扉の向こうの人間がそうしたってことだ。急いで踵を返したけど間に合わなかった〜。口を冷たい手で塞がれて、体を別の腕で強く抑え込まれてしまう。

「ようこそ、百舌、待ってた」

小さな錠剤が腔内に入って、あ、これかなり非常事態、と思ったのも束の間だった。脳みそがぐるりと回って鮮烈な睡魔に意識を奪われるとき、ぎゅうって。痛いくらいに抱き締められたのを感じた。


「百舌、なあ、なあ、俺のところへお出でよ」

「それはできないんだってば」

深紅のタイが彼の首を締めている。ゆらゆらと揺れる様を見ながら、私はもう何度このやり取りを繰り返しただろう?気付けばさっきとはまた別の場所で、天井から吊り下がる彼のタイとお揃いの色の縄で腕だけが吊られている。痺れはもうとっくに慣れちゃった。私と彼と縄以外何もない部屋だ。そして彼は美麗な若い男だった。私の知り合いも嫉妬しそうなほど美男揃いだけど、この男も引けを取らない。しばらくして彼が一度部屋から出て、私の足元に大きな布を広げた。

「や、やだ!やだやだ!」

──愛する日本国の国旗だ。腕の痛みも憚らずに両脚を上げて縄にぶら下がった。踏めるわけがない、踏めるわけ。それを見て男は笑った。やだなこういう性悪。しかも手にはビデオカメラ。東京や京都など、主要都市でしか手に入らない代物を、彼は片手に携えて私に向けながら言う。

「なあ、俺のものになってくれ、そうしたら解いてあげる」

「やだ、やだ、絶対いや」

「白軍が嫌なのか?」

「白軍じゃない癖に」

「……さすが、百舌、分かったのか」

彼は、やっぱり、白軍ではないよなぁ。私が目敏いんじゃなくて彼が見せつけてるだけだ。赤、新興勢力の赤軍だ。まだ実態が知れていないから警戒しようにもできない。唯一の区別は赤色をどこかしらに身に着けているというもの。白軍のふりをして誘き寄せられた、まんまと。どうしたら良いんだろう、まだ皆学校だし。眠っている間に武器やその他諸々はすべて奪われている。ぎちぎちと締め付けられて血の通り道がほとんどなくなってしまった手首から上はもう感覚を失っている。別に良いんだ、日本国の国旗さえ踏まなければ、この体はどうなろうと構わない。でも少し心残りを言うのなら、だからこそ、お国のためにこの体を尽力したい。使いものにならない体は不必要なのである。死ぬより残酷な罰!男はレンズと共に私を見て微笑むのみ。どれくらい経ったか分からないけど、まあ一時間強だなぁ、正座一時間したら脚こうなるからなぁ。雑な予想が当たっていてもいなくても、どうでも良くて、ふつうにもう体が限界だった。

「やだ、やだやだやだ──絶対に踏まない、このまま体を腐らせても、踏まない」

「強情だなぁ、俺、感心したよ」

カメラ、を床に置いて、彼は私の浮かせた両脚を、がっ、と掴む。さっきも思ったけど、力が強い。でもそのせいで、無理矢理私の脚は床へ──私は暴れた。それはもう暴れた。卑怯だ!めちゃくちゃに振り回した脚が一度彼の頬を蹴っていた。彼の動きが止まる。あ、これだめなやつだ!殺されるかも!ぽたん、樹脂っぽい床に血液が垂れたのが、私には確かにゆっくりなコマ送りに見えた。

「…………良いよ、あわよくば、取り込めたら、と思っていたから。けど、これで終わり、どうぞお帰りになって、とは、行かないと、分かっているだろう」

冷静になったのか火がついたのかどっちかにしてほしい。手を離して、彼は腕まくりをする。私は脚を浮かせたまま何の返事もできないでいた。いや、できないって!彼が脱いだ上着から出てきたカッターに嫌な予感しかしない。でも実際されたのは想定外だけど嫌なことだった。真新しい用意された白軍に扮していた制服を裂かれたのである。白軍の制服が裂かれようとそれほどのショックはないけど、下着まで剥がされたことに驚きを隠せない。いや、待って待って、もしかして憂さ晴らしにこのまま犯そうとか考えていませんよね。大丈夫ですよね。信じてます。

「よっ、と……」

違うかもしれない。彼が私の吊り下がる縄の端を引っ張るから、私の体はぐいと浮いた。あ、これなら踏まずに済む、そろそろと脚を伸ばしても、やっぱり踏めない高さまで上げてある。でも脚を伸ばせたのはこの数秒だけだったよ。すぐ纏め上げられて、両足首と彼の引いた、私の手首を縛るほうとは反対の端で縛られた。まるで私が一つの天秤みたいだ。背中に何か乗せられるよ。

「少し、待ってろ」

「もう逃げられないよ」

「それもそうか、はは!」

それから、追加された赤い縄で全裸で亀甲縛り。春画とかでしか見たことないよこんなの……そもそも、亀甲縛りかどうかも怪しいけど、区別がつくほどの種類を知らない。当たり前だよ。知ってるの多分、今吉さんとか、花宮先輩とか、あと赤司くんは全知だから当然知ってそう。こわっ。最終的にはふつうに正面を向いてる私のこの無様な姿を、彼は至極楽しそうに見詰める。

「奇麗だぜ、百舌、このまま殺して、俺のものに、したい位だ」

「それはさすがに勘弁してください」

「なあ、百舌、お前一人とは、俺、思ってなかった。黒軍は、甘いな」

「……黒軍は悪くない。こうなったのは私だけの責任だよ」

「そうかもしれない、けど違うかもしれない、だろ、どちらにしろ、お前には、赤軍から、黒軍と、白軍への、警告と、宣戦布告、になってもらう」

「あえ、待って、何で白軍も?」

「まあ、白軍と装われていたという、統率力の弱さを弄りたいのと、黒軍だけじゃなくて白軍も捕まえてあるからな、いや、帰してやるよ、どっちの捕虜もな、これが終われば」

何でも良い。私にとって両軍よりも、国旗を穢さずに済んだことが何よりの幸せだ。踏み絵をしたキリシタンたちの心痛が切々と感じられたよ、私にはできなかったわけだけど。踏んでも軍を裏切るくらいならこれで良かったかな*。あとずっと気になってたんだけど、床に置いたその朱墨なに?顔にでも塗るの?

「百舌、お前は女だな」

「あえ、うん、全裸見れば分かるよね」

「もっと、体は、大事にしろよ、なあ、特に、此処とか」

「っな、なに、これ、いたい、痛い」

「このしたには、子宮がある」

「痛い、痛い!痛い!いたいよ、ねえ、痛い──!」

筆で、ハアトを、彼は書いた。下腹部の、彼が言うそこ、の上の肌に朱が差す。じわじわと熱くなってきて、びりびりとした痛みが起こり、とてもじゃないが冷静を保っていられない。どうしてこの痛みから逃れよう?動くことなんてできやしないのに!彼の表情は伺い知れず、結局彼が退室して、私が気絶しても、朱は腹を痛みで貫いた。

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