木兎先輩の彼女となって二週間が過ぎた。4月から5月に月日は移り、私は夕食前後に先輩へメッセージを送るのが習慣になっていた。送るのはその日見た景色の写真や明日の天気、夜ご飯のメニューなど他愛もない内容ばかりで、自分で送っておいて言うのも悲しいけど、送られてきても面白くなさそうな内容だった。
これじゃあ日記だ。
他人の日記を見せられている先輩はどんな気持ちなんだろうと同情しかけたけれど、やっているのが私なのだからどうしようもない。けれどやりとりが発生しない相手にどんな内容のメッセージが適切なのか未だにわからない。部活を頑張っている先輩に友だちと行ったカフェの感想やドラマのことを言うのは違う気がして結局日記のようなメッセージを送り続けている。
迷惑になるならさっさと辞めようと思っていたけど今のところ何も言われないので様子を見ている最中だ。
★
「お茶忘れてきたから買ってくる」
「いってらっしゃーい」
お財布だけ持って教室から一番近い自動販売機を目指す。お昼にも関わらず自動販売機前には誰もいなかった。私は御目当てのお茶を購入して身体を翻すと見知った顔がすぐ後ろに迫っていて目を見張る。
「久しぶり」
「久しぶり」
「ゴールデンウィークは合宿だったんでしょう? お疲れ様」
「ありがとう。木兎さんに聞いた?」
「え? ううん、バレー部の追っかけしてる子から聞いたよ」
赤葦くんはガゴンと落ちてきたペットボトルに手を伸ばしたまま一瞬とまって、それから体を戻すと私の方を見た。少しだけ眉に皺が寄っていた。
「木兎さんと連絡とってる?」
「私からは毎日送ってるけど…。あ、返信不要ですって書いて先輩の負担にならないようにしてるよ」
誤解のないよう付け加えるけど私の答えはお気に召さなかったのか赤葦くんはますます眉を寄せてため息をついた。先輩の世話役として名高い赤葦くんからすると私は彼女としてすでに落第点なんだろうか。
「よくわからない」
「え?」
「木兎さんが部活後にそわそわしながら携帯を見るんだけど喜んだりがっかりしててさ。たぶんミョウジさんからのメッセージを見てると思うんだけど、あんなに嬉しそうなのに木兎さんからは送らないんだなって」
「それは私が返信いらないって言ってるからでしょう?」
「そうだとしてもそれだけ尽くしてくれたらちょっとくらい報いたくなると思うけど」
つまり。
つまり? どういうこと?
私は報いたくならない存在ってことをわざわざ言語化してくれたんだろうか。辛辣すぎない?
「木兎さん、ちょっとひどいなって」
「エッ。そういう話?」
「うん。だってひどいでしょ」
「連絡いらないって始めから言ってるしそれを前提としたお付き合いだから別にそうは思わないけど」
「なにその結婚を前提にみたいな台詞」
「か、からかわないで。とにかく、別に木兎先輩はひどくないし私も満足してるよ」
「それって面白い?」
「……私は楽しいけど……それに送ってる内容だって帰りの景色の写真とか明日の天気とか作った晩ご飯のこととかで、むしろ送られてきてる木兎さんがつまんなくないか心配になるくらい」
えっ、と横に立っていた赤葦くんが私の方に顔を向ける。私は165センチと女子にしては身長が高いので赤葦くんの顔が近くてその瞳がよく見える。驚きと戸惑いの色が滲んでいた。
「…俺よくわからなくなってきた」
「それさっきも言ってたね」
「俺も交際経験はほとんどないけど」
「うん」
「付き合ってる男女ってもう少し…」
そこで赤葦くんが言い淀む。あまりにも色気がないと言いたいんだろう。
「赤葦くんの言いたいことはわかるよ。でも、返ってこない前提だと日記みたいになるんだよね。それに部活を頑張ってる人に遊んでる内容を送るのも憚れるというか」
「別にいいと思うけど」
「そうかな?」
「木兎さんは気にしないんじゃないかな」
そっか。力なく呟くと、そのままなんとも言えない気まずい空気が漂い始めたので私も赤葦くんもそれきり話をやめてそれぞれの教室へ戻った。
その日の夕方、夕食前に先輩にメッセージを送った。部活後の楽しみにしてくれているのなら部活後に見られるよう送りたかった。メッセージを書いていく途中で赤葦くんとの会話を思い出していつもより少しだけくだけた内容にしてみた。
『部活お疲れ様です。
今日は野菜カレーにしました。
この前、友だちと駅にできたばかりのクレープ屋さんに行きました。すごくおいしかったです。先輩もよかったら部活の人と行ってみてください。
また明日も頑張ってください
返信は不要です』
色気や面白みがあるかはさておき。いつもの私よりはだいぶ明るい内容だ。誤字脱字がないか確認して送信ボタンを押した。
エプロンのポケットにスマホをしまうとお皿にサラダを盛り付け半熟卵を添える。かぼちゃやオクラ、なすなどがごろごろ入ったカレーを温め直してお皿によそうとテーブルに並べ、テレビをつけて適当なニュース番組を流しながら口に運んだ。
ツツジや藤の花が見頃な観光施設やイチオシの飲食店の紹介に、そんなところあるんだなぁ行く機会もないだろうけどと穿った感想を抱きつつ今日のニュースや一週間の天気予報を確認する。ニュース番組が終わり、芸能人たちによるクイズ番組が始まると私は食後のお茶を飲み干し軽く汚れを落としたお皿を食洗機に入れてお風呂へ向かった。お風呂から上がりリビングに戻ると、いつもより早く帰ってきたらしいお父さんがカレーを温めていた。
「おかえり。私がやるからいいよ」
「ああ。明日から名古屋に3日間出張になった」
「じゃあ荷物用意しておくね」
「ん、頼む」
テーブルにカレーとサラダ、スープを並べると私はお父さんの寝室に行ってスーツと3日分のワイシャツやネクタイをガーメントバッグに入れ、靴下とハンカチはアイロンをかけ直してそこにしまった。
リビングに戻って髭剃りを明日の朝忘れずに入れるよう伝えると、歳のとった芸能人たちが政治について語り合っている番組を見ながらカレー食べるお父さんを横目に余ったカレーを冷凍していく。それが終わったタイミングでお父さんがシンクに食器を置くので軽く水でゆすぐと食洗機に入れてスイッチを押した。
リビングですることも終わったので私は二階にある自分の部屋に戻る。ポケットに入れていたスマホを取り出すとラインの通知が4件あったのでアプリをひらいた。送り主の名前を見て私は小さな悲鳴を上げた。
木兎先輩からメッセージが届いていた。しかも3件も。
さらに先輩の上の段には赤葦くんの名前があって思わず二度見してしまった。トークを開かなくてもメッセージの一部が見えて、そこには『赤葦です。木兎さんから連絡先を聞いた』と書かれていた。ちなみに木兎先輩は『食べにきた!うまい!!』と表示されている。まずは木兎先輩のトークをおそるおそる開く。
『部活終わった!野菜カレーうまそう!』
画像【クレープを片手に笑顔の木兎先輩とその横でクレープを無表情で食べる赤葦くん】
『食べにきた!うまい!!』
勢いのあるメッセージに思わず頬がゆるむ。そして先輩と赤葦くんが食べているクレープが夕方に私が送ったクレープ屋さんだとわかりなんだかむず痒くなる。なんて返信しようか悩み、先に赤葦くんのメッセージを確認する。
『赤葦です。木兎さんから連絡先を聞いた。
たまには返事したらどうですかって言ったら返していいの?て驚いてた。
余計なお世話だったらごめん』
急に木兎先輩が返信した理由がわかって納得する。
『部活お疲れ様。こちらこそ気を遣ってもらったみたいで申し訳ないです。先輩から返信あってすごくびっくりしたけど嬉しかったよ。ありがとう』
先輩にもメッセージを送った。
『お疲れ様です。
先輩が食べてるチョコバナナのやつ、私も食べました。おいしいですよね』
すぐさま既読がついてどきりとする。赤葦くんからメッセージが届く。
『なんで赤葦が先に返信もらうんだってうるさいから木兎さんの相手してやって』
うんざりとした赤葦くんの表情がありありと浮かんで小さく笑うと木兎先輩からも返信があった。せっかくの機会なので日記のような内容で問題ないか聞いてみたところ、特に気にしている様子はなかった。それどころか次の日が雨のときは教えてくれるので傘を忘れなくなったと感謝されたのでこれからも天気予報をきちんと見ようと誓った。連絡のやりとりは先輩がクレープを食べ終わってお店を出るまで続いた。
やりとりが終わると私はベッドに倒れ込んではあー…と長く息をはく。今さらドキドキしてきてしまった。先輩に恋愛感情がなければ連絡のやりとりも興味はなかったけれど、実際やりとりをしてみるとなかなかドキドキしてしまった。そもそも男の人と連絡をし合うのさえ初めてなのだ。ドキドキしない方がおかしい。
ともあれ。
日記を送ることは問題ない。それがわかったことは収穫だった。私は満足してスマホを握りしめたまま目をつぶった。
★
先輩から初めて返事がきた日以来、私の送るメッセージは特に変わりないけど先輩から返事がくるようになった。もちろん毎回返ってくるわけじゃないけど、私としては返ってくればラッキーくらいの心持ちなので落胆することはない。
今日の先輩は帰宅後にメッセージを返してくれた。ご飯とお風呂を済ませた先輩は時間があるのか珍しく返事をたくさんしてくれる。
『そういえばいつも晩飯のこと書いてるけど苗字が作ってんの?』
『親の帰宅が遅いので私が作ってます』
『すげー!いつもうまそうだよな!今度食べたい!』
今度食べたい。社交辞令だと思ったけど木兎先輩は気持ちを素直に表す人なので念のため『今度お弁当作って行きますか?』と送ってみた。送ったあと社交辞令なのにまともに受け取られて困っているかもと焦っていると『食べたい!!』と子どもみたいな反応が返ってきて小さく笑った。
『好きな食べ物や嫌いな食べ物ありますか?好きな味付けとか』
『嫌いな食べ物はない!卵焼きは出汁巻きがいい!』
『わかりました。じゃあ明後日どうですか?あと先輩って普段どれくらいのお弁当箱持っていってますか?』
身近にいる男の人と言えばお父さんだけど、歳のせいか私よりは食べるもののそこまで量は多くない。一方、先輩は育ち盛りのスポーツマンだ。どれくらい食べるのか想像ができない。ポンと送られてきた写真には先輩が普段使っているであろうお弁当箱が写っていた。お米を入れる下段の深さがすでに私のお弁当箱くらいあって、うちにあるお弁当箱では対応出来なさそうだった。
続けてメッセージが届く。
『苗字の弁当は部活前に食べたいからこんなに大きくなくて大丈夫』
その言葉にホッとしてする。ご飯はおにぎりにしておかずも食べやすいものにしよう。その後いくつかのやりとりをして寝る挨拶をすると、スマホでいいおかずや盛り付けがないか探した。
そわそわした気持ちでバレー部の部室前にいると遠くから私の名前を呼ぶ先輩の声が届いた。いくら外といえこの時間は部室や部活に向かう生徒がいるため、多くの人が木兎先輩に注目している。でも先輩はそんなことを気にもせず手を大きく振って走ってくるので私は恥ずかしくて顔を隠すようにぺこっと頭を下げた。
「待った?」
「いえ、少し前に来たところです」
先輩が目を輝かせ期待の眼差しでこちらを見るのでウッと息がつまったけど、おずおずと手に持っていた保冷バックを渡す。木兎先輩は大袈裟なくらい喜び、後ろにいたバレー部の人たちに「うるせえ」「いいよなー」「声でけえ」と言われていた。
ゴールドアッシュの髪の人がニタっと笑って私の方を見る。
「俺は木葉。木兎と同じ3年」
他の3人もそれぞれ、小見、鷲尾、猿杙と名乗ってくれた。
「こんにちは。苗字ナマエです」
お辞儀をすると、先輩たちは口にぐっと力を入れて何かに耐えているようだった。私はすぐにあの日のことを笑われているんだと気付いた。もうすっかり頭の中から消し去った記憶が鮮明に思い出され、顔に熱が集まる。早口で木兎先輩に伝えるとその場を足早に去った。
「よ、容器は捨てて大丈夫です。バッグは明日取りに来ますね。部活頑張ってください、失礼します」
その日の夜、先輩からきたメッセージはとても興奮していた。
『弁当すげえうまかった!また食いたい!』
『肉おにぎりとだし巻き卵が特においしかった!』
連続で届いていたメッセージは私が作ったお弁当への讃辞であふれていて先輩がおいしく食べてくれたことが充分に伝わってきた。
『これからも作りましょうか?』
『マジで?!嬉しい!』
すぐに返事がきた。昨日百均で購入したプラスチック容器やカトラリーはまだまだあるし予備の保冷バックもある。いつもお父さんと自分のお弁当を作っているので、ひとつ増えても手間ではなかった。
先輩がお願いをしてくれる。それに応えることが出来る。誰かの役に立てていることがひどく嬉しかった。