お弁当を毎日作ると約束をした日から私は放課後にバレー部の部室前で木兎先輩を待ち、前日の保冷バッグとお弁当の入ったバッグを交換するのが習慣になった。部室前で待つと他の部員に見られるため校内で渡した方がいいのではないかと提案したことがあるけど、保冷バッグを部室に置きっぱなしにしているようなので結局部室前で交換することになっている。
ここで待つと木兎先輩以外のバレー部とも当然顔を合わせることになり今ではすっかり顔馴染みのようになっている。と言っても挨拶をするくらいで顔こそ覚えても名前まではわからない部員ばかりだ。たまに同級生が同級生のよしみで話しかけてくれるので、名前を覚えるのが苦手な私も失礼にならないよう二年生は顔と名前を一致させた。
「ミョウジさん」
スマホから目を離すと赤葦くんが目の前に立っていた。赤葦くんの後ろには三年生の先輩たちと木兎先輩が小さく見える。
「今日も渡したら帰るの?」
「うん。そのつもりだよ」
「木兎さんのバレー姿を見たいって思わないの?」
バレーをしている姿が好きだと言っているわりには練習を見に来ないのだから疑問に思ったのかもしれない。確かに彼女になった日から今日まで放課後に部活を見に行ったことは一度もない。ただ彼女になる前も――初めて木兎先輩を見た日を除けば――一度もないのでそこは彼女うんぬんは関係ないことだ。
「見に行ける公式試合は欠かさず行ってるよ」
「そうなの? 全然知らなかった」
「応援団の近くにいないしコートからじゃ観客席に誰がいるなんてわからないでしょう?」
「そうだけど俺たちも試合のとき以外は観客席から見学してるから会ってもおかしくないのに」
「制服着てないと案外わからないよ」
女子は私服だと雰囲気がだいぶ変わるから気付かれなくても仕方ないと思う。それに木兎先輩に告白するまで赤葦くんは私の名前どころか顔を知らなかったんだからわからなくて当然だ。
「ミョウジ!あかーし!」ドンっと、もはやどつきではと思える強さで先輩は赤葦くんの背中に寄りかかり赤葦くんがすごく嫌そうな顔をする。
「これ今日のお弁当です」
「いま昨日のやつ持ってくる」
部室のドアが壊れてしまうんじゃないかと心配になる勢いでドアを開け、そのままドアが壁に当たった反動で戻ってくる。ドアが閉まる直前で木兎先輩が勢いよく室内からドアを開け、ぐいっと昨日の保冷バッグを私に渡してきた。もし部室のドアが壊れたら十分の一くらいは私のせいかもしれない。先輩はもっと優しくドアの開閉を出来ないんだろうか。思い返せば空き教室で再会したときもドアが壊れそうな勢いで開けていた。
もうお弁当を作ってきてそれなりに経つのに未だにわくわくしている先輩の姿に微笑ましい。渡された保冷バッグを丸め込んでスクールバックに仕舞っていると赤葦くんが「ちょっと部活見てけば」さらりと言うので私は固まって視線だけ赤葦くんの方に動かす。今はインターハイ予選に向けて集中している時期で邪魔をしたくなかった。
「お邪魔になるので――」
「そうだな! ミョウジ、見てって!」
「ひえっ。きょ、今日はちょっと」
「用事でもあるの?」
やけに今日は赤葦くんの押しが強い。
「よ、用事があります…」
「木兎さんのバレー姿を少しも見れないほどの?」
「赤葦くん!? やけにぐいぐいくるね!?」
「公式戦欠かさずに見にくるくらいなんだから部活も見たらいいのにって思って」
「なになにー! ミョウジ、試合見に来てくれてたの!?」
ぎゃあぎゃあ叫ぶ木兎先輩と胸に刺さる言葉を投げかけてくる赤葦くんに思考がまとまらず三年生の先輩方に助けを求めて視線を送るもニタニタしているか我関せずといった顔をしているだけで全くもって助けてくれる気配はなかった。
「あ、明日…明日見学します! 今日は冷蔵庫が空っぽでスーパーに寄らなきゃいけないし晩ご飯の準備もあるので帰ります、すみません…!」
あたふたと告げると木兎先輩も赤葦くんもぴたりと止まり先輩方も目を丸くする。そして次の瞬間、木葉先輩がぶっと噴き出した。高校生らしからぬ主婦じみた発言に羞恥心が込み上げ頬に熱が集まる。
からっぽ? きょとんとしている木兎先輩に頭を下げ、逃げるようにその場から立ち去った。
昨日あんなことがあったので出来ればバレー部と顔を合わせたくなかったけど当然それは無理な話で、部室前でひたすら木兎先輩を待つ。はあっと大きなため息をつきスマホを操作してハンドメイドの通販アプリをひらいた。通知がきていたのでタップする。
「よ! ミョウジ」
目を細めて笑う木葉先輩が片手を上げて向かってきた。隣には小見先輩と猿杙先輩もいる。木兎先輩よりも会いたくなかった人たちだ。木葉先輩はどういうわけか私のことを度々からかってくるので、とりわけ会いたくなかった。
「こんにちは」軽く会釈して部室に入るのを待つ。けれど木葉先輩は私の前に立つとジッと見下ろしてくるので私はひえっと弱々しい声が出てスマホを両手でぎゅっと握りしめた。こんなところで堂々とカツアゲはないだろうけど、その目はどこか鋭い。
「ほんっとなんで木兎なんだ?」
「…え?」
「あいつそんなにいい? バカでガキだしうるせえし」
「は、はあ…」
突然の言葉に力なく返事をする。
「なんであいつばっかり彼女ができるんだ!」
猿杙先輩と小見先輩もうんうんと深く頷いている。
「ミョウジが作る弁当さあ、あいついっつも自慢してくんの。うぜえけど自慢したくなるのもわかるくらいうまそうなんだよなぁ」
「あ、ありがとう、ございます」
「料理うまいけど普段も作ってるの?」
「はい、親の帰りが遅いので料理は私が作ってます」
「すげえな! 将来いい奥さんになるの間違いなしじゃん」
「ミョウジー!」
「うわ、うるさいのがきた」
大声を出して走り寄ってくる木兎先輩に木葉先輩がうげっと顔を歪ませる。木兎先輩はスキップでも始めそうなくらい上機嫌で、鼻歌くらいは歌っていたかもしれない。「ミョウジさんが見学にきたから浮かれてる」いつの間にか横にいた赤葦くんがこそっと教えてくれた。理由が私にあると知って嬉しいような恥ずかしいような。どういう顔をしたらいいかわからない。
「なーなー何話してたの? 俺のこと?」
「なんでお前のこと前提なんだよ。ミョウジの料理がうまいって話だ」
「確かにうまい」
「ミョウジさんって家でも料理してるの?」
さっきと同じ質問にさっきと同じよう答える。「朝も?」「朝も」「休日も?」「休日も」「弁当も?」「お弁当も」全てに答えると、先輩方と赤葦くんは感心していた。
「ミョウジとこは母さんも働いてんの?」
木兎先輩が訊ねるので、
「うちお母さんいないんです」
なるべくなんでもないトーンで言ったものの、全員まずいことを聞いたと気まずそうな顔をした。
「本当に全然平気なので普通に聞き流してください。そんなに珍しいことじゃないですし」
今の時代、母子家庭も多い。父子家庭があっても珍しくはないだろう。ここはさすが空気を読む力がピカイチな赤葦くんが「うん、珍しくないしミョウジさんがしっかり者なのも納得した。木兎さんを頼むよ」と言い、他の先輩たちも笑ってくれてその場の空気がやわらいだ。
ただひとりを除いては。
「木兎先輩? どうしたんですか?」
部室の壁にもたれかかった先輩はなぜか落ち込んでいて、ツンツンしている髪の毛も心なしか力なく見える。普段の溌剌さは見る影もなくぼそぼそを何か呟いている。
「俺…知らなかった」
「父子家庭のことですか? わざわざ話すことじゃないでしょう?」
「うっ…!」
「ミョウジさん、トドメ刺さないで」
「今のが?」
今のどこに木兎先輩を落ち込ませる要素があったのかは不明だけど、木兎先輩はますます湿っぽい雰囲気をまとっていた。赤葦くんはめんどくさいことになったとあからさまに眉を顰めていた。このままでは今日の練習に影響が出そうだ。私はお弁当を先輩の前に差し出す。
「今日、先輩の好きなおかずたくさん入れてきました。だから食べて元気になってバレーを頑張る姿見せてください。今日見学するの楽しみにしてたんです」
ダメですか…? おそるおそる見上げると木兎先輩は口を自身の大きな手で覆い、目をギュッと閉じていた。え、も、もしかして聞いてなかった? こんな近くで言ったのに?
心配になり先輩の名前をもう一度呼ぶと先輩は、
「まかせろ! 俺のかっこいいところちゃんと見てて!」
こちらの鼓膜をびりびり鳴らすくらい大声で言うのでひゃっと肩が跳ねる。機嫌は直ったんだろうか。赤葦くんが私の肩をぽんと叩いて頷いたのでたぶん大丈夫なんだろう。感情のスイッチが全然わからない。
先輩たちと赤葦くんと別れ、着替え終わって部室から出てきた同級生の水野くんと一緒に体育館へ向かった。すでにいた部員に会釈をして二階に足を運んだ。帰るときは勝手に出て行っていいそうだ。クラスメイトと見学に来たときも途中にある休憩時間に抜けた記憶がある。
少しすると木兎先輩が姿を現し私に向かって手をぶんぶんと振る。私も軽く手を振って準備体操や整列を見守った。木兎先輩は主将だけど今日の練習内容やら今後のスケジュールなどは赤葦くんから伝えられ、先輩はその間腕を組みながら頷いていた。主将としてそれでいいのかと思ったけど木兎先輩だからいいんだろう。試合のときも木兎先輩が主将らしいことをしているのはほとんど見たことがない。
私がいたら先輩の気が散るんじゃないかと思っていたけどそれは杞憂だった。私が見ていることなんてもう頭の片隅にあるかどうかも疑わしい。それくらい真剣に集中して練習に取り組んでいた。おこがましい考えだったと反省した。インターハイ予選直前ということもあってか全員の熱量も凄まじく、見ているだけの私も練習から感じる熱に少し緊張した。
試合形式になると木兎先輩はわかりやすくテンションを上げ、二階にいる私の方をちらりと見た。ちゃんと見ててとその瞳が言っていたので私は微笑んで頷いた。先輩は赤葦くんのトスを相手コートに次々と決めていき、決まったあとに全身で喜んで二階を見上げてくる先輩は年上ながら可愛かった。まるで大型犬みたいだ。「ほんっとゲンキンなやつ」木葉先輩が腰に手を当てて呆れたように言う。私も心の中で同意する。でもそこが先輩のよさだ。
ゲームが終わり休憩のタイミングで私は一階に降りて木兎先輩に声をかける。
「もう帰る?」
「はい。今日はありがとうございました。先輩のバレーしてる姿、かっこよかったです。このあとも頑張ってください」
そう伝えれば木兎先輩はにんまりと口角を上げ、赤葦くんには「ミョウジさんってうまいよね」とよくわからないことを言われる。監督とコーチの先生方にもお辞儀をして体育館を後にした。
夏至を過ぎたばかりのこの季節、6時近くでも外は充分明るい。それでもこの時間まで学校にいることは滅多にないので不思議な高揚感があった。今日はなんてメッセージを送ろう。そんなことを考えながらの帰り道は楽しかった。