合宿当日、私はこの日のために購入したボストンバッグを肩にかけて学校の校門前に立っていた。時刻は5時と早いけれど夏ということもありすでに空は白んでいる。
合宿をする森然高校へは大型バスでの移動のため、朝早くから眠そうな部員たちが私のようにバスの到着を待っていた。
隣に立つ赤葦くんは朝に弱いみたいでまだ半分寝ているんじゃないかた思うほど静かだ。目もほとんど閉じている。
「苗字さんは朝強いの?」
「強いかなあ。わりとすっと起きれる方ではあるけど。いつも5時起きだし」
「早いね」
「お父さんが6時過ぎには家を出るから朝ご飯の準備を考えるとそれくらいになるの」
「苗字さんはえらいね」
むにゃむにゃと音が聞こえそうなゆるい言い方に普段はクールで大人っぽい赤葦くんにもこんな一面があるのかと面白かった。
少し離れたところでは早朝にも関わらず溌剌としている木兎先輩とそれをうざったそうに見る木葉先輩が目を入る。
私は初めての合宿に朝から妙な気分でいる。高揚と緊張が同時に押し寄せる、運動会の朝の気持ちに似ていた。
バスが到着すると次々と乗り込み、私は白福先輩と雀田先輩の前の席にひとりで座った。発車してどんどん離れていく校舎を見て、ここに本当に帰ってくるんだろうかと不思議な気持ちになった。
バスを走らせ2時間ほどした頃、あたりの景色は山ばかりになった。そこからほどなくして合同合宿の会場である森然高校に到着した。
すでに到着している高校もあるみたいで私たちも割り当てられている教室へ行ってひとまず荷物を置いた。教室には他校のマネージャーさんたちもちらほらいて、先輩たちは気安く挨拶を交わしていた。
私も目が合い、ぺこりと頭を下げた。
「この子が言ってた料理担当のナマエちゃん」
「初めまして、ミョウジナマエです。料理担当で参加させていただきます。よろしくお願いします」
白福先輩が紹介してくれ、私も改めて自己紹介をした。他校のマネージャーさんたちも順番に名前を教えてくれて、名前を覚えるのは苦手だけど忘れないよう頭に叩き込んだ。
最後に宮城からやってきた烏野高校の清水さんと谷地さんが自己紹介を終えると全員で体育館に向かった。
体育館に入ると背の高い部員がずらりと並んでいてその圧に思わずたじろぐ。谷地さんも同じだったらしく、目が合うと小さく頷き先をいくマネージャーさんたちに続いた。
整列後は今回の合同合宿の目的や注意点が話されすぐさまコートの準備が始まる。
その間に三年生のマネージャーさんたちに学校内の案内と説明を受け、食堂も全員で確認後調理場の使い方を教えてもらった。
体育館に戻ると白福先輩と雀田先輩をはじめとするマネージャーさんたちはマネージャー業に勤しむため自分の部員のもとへ帰っていき、私は私で烏野高校の武田先生に買い出しのための車を出してもらった。
近くにある業務用スーパーでひとまず3日分の食材を買い込むと急いで食堂に運び、さっそく準備にとりかかる。なんせ昼食まであまり時間がないのだ。
時間がないことを考慮して今日の昼食はカレーライスになっている。大量の野菜をひたすら切って、お肉と軽く炒めたら水を入れて火にかける。
サラダ用の生野菜を水に浸しておいてバカみたいな量の卵を水がたっぷり入った大鍋へ投入すると火をつけタイマーをセットする。
サラダと一緒に出すトマトやパプリカなどをカットしてボウルに入れるとラップをして冷蔵庫にしまった。
その後も卵の殻向きやレタスをちぎるなど大したことはしてないものの、いかんせん量が多いだけにあっという間に時間は過ぎていく。
気付けば昼食まで30分となっていて、助っ人にきた宮ノ下先輩と白福先輩がサラダをお皿に盛り付け、配膳の準備をしていく。私は冷凍のカツをひたすら揚げた。
幸いなことに調理場は業務用のお鍋やフライヤーがあるため一気にたくさんの量を調理できる。先輩二人がきたことでどうにか昼食まで無事用意することができた。
食堂が開くとともにお腹を空かせた男子高校生がドタバタと入ってきてカウンターにトレイを滑らせる。
他のマネージャーさんたちも合流してそれぞれ配膳と盛り付けを分担していき、よくやく先生方も腰掛けたところで私たちも自分の分のご飯をトレイに乗せて席に着く。
手を合わせ元気のいい挨拶とその食べっぷりに男子高校生ってすごいなと今さらながら驚いた。私もカレーを一口すくって食べた。
「ミョウジさん、ありがとう。初日のお昼は特に大変だからすごく助かった」
清水さんが綺麗な顔に綺麗な笑顔を携えお礼を口にした。
「いえ、間に合ってよかったです」
間に合って本当によかった。いきなり躓いたらどうしようと気が気でなかった。
最初のミッションを無事終えて安心したのも束の間、頭の中ではすでにこの後の洗い物や夕食の準備のことでいっぱいで、それぞれにかかる時間を計算していた。カレーを半分食べたところでおかわりにきた人に気付き席を立つ。
谷地さんは一番下だからと交代しようとしたけど私は料理担当で来てるからと言って座らせた。
結局、その後も次から次へとおかわりの人が来たり食べ終わった人が持ってきたトレイを回収したりして気づけば昼休みも終盤になっていた。
「ミョウジさん、す、すみません…! 全然食べてれてないですよね?!」
「私はこのあとも時間あるから平気だよ」
ぺこぺこと何度も頭を下げる谷地さんにそう言って食堂から送り出した。谷地さんから受け取ったトレイを調理台に置いて持ってきた椅子に座ると残りを食べ切ってふうと息を吐いた。
あまりの怒涛っぷりにご飯を食べた気がしない。
時計は1時半を指していて、夕食の6時までは4時間ちょっとある。夕食は品数も多いためこの4時間もあっという間に過ぎ去ってしまうんだろう。
私はのろのろと立ち上がると水につけておいた食器を大きなシンクから取り出して食洗機に入れていく。大きくて深いシンクからお箸やスプーンを掬い取るのに苦労して、すべてセットしたところで食洗機のスイッチを押すとゴオオっと大きな音を立てて食器が洗われていった。
食洗機に入らない大きな鍋や包丁、まな板などを手で洗い消毒もしていく。そして洗ったばかりのまな板と包丁ですぐさま夕食の準備にとりかかった。
★
初日の夕食とその片付け、次の日の朝食の準備を無事に終えたあとお風呂に入ってくたくたになりながら女子の部屋に戻る。布団を敷くとその上にぽすっと倒れ込んだ。
「ナマエちゃん大丈夫!?」
雀田先輩が駆け寄って私をゆすったけど、その揺れが心地よくてあやうく夢の世界に飛び立つところだった。「大丈夫です」むくりと起きて布団の上に正座をする。
参加が2,3回目となる白福先輩や雀田先輩、他校のマネージャーさんたちはさすがといったところでまだまだ元気そうだ。谷地さんは私同様くったりしている。
「すいません、全然体力なくって」
「ひとりで料理の準備してるんだもん。疲れるよ〜」
「そうそう。今年私たちはそれがないからマネージャー業に集中できるし本当に助かってる。ありがとう」
白福先輩、宮ノ下先輩に労われその優しさが身に染みる。
「でも毎年マネージャーさんたちでやってたんですよね。マネージャー業に加えて料理もなんて本当にすごいです…」
「毎年、ふたりくらいずつ抜けて2時間ごとに交代して回してたの。それをひとりでしてるんだから苗字さんも充分すごいよ」
清水さんの言葉にうんうんとみんな頷く。褒められることなんて滅多にないので照れてしまう。役に立っててよかった。みんなのために全力で応えたいと思った。
「私、頑張ります」
気合を入れ直すためにそう言えばみんなお願いねと笑い、そこからは和気藹々とそれぞれの部活や学校について話が盛り上がり、なぜかみんな下の名前で呼び合うことになった。
布団の上に座って色々と話していると修学旅行を彷彿とさせ楽しかった。
ピロンと通知音が鳴る。手元のスマホを見ると木兎先輩からだった。
『今から1階これる?』
「かおり先輩、就寝時間までは校内を歩いてもいいんですか?」
「別にいいよ。木兎?」
ニヤッと口角を上げてズバリ言い当てるかおり先輩に咄嗟の返事が出来なかった。「え、なになに?」英里先輩がかおり先輩の服の端をぐいぐい引いて好奇心全開の視線をこちらに向ける。その間にも手の中のスマホはピロンピロンと音を鳴らし続けた。
「木兎が機嫌損ねたら面倒だから行ってあげな」
「は、はい」
英里先輩と真子ちゃんが手を取り合いきゃあきゃあと高い声をあげ、私は恥ずかしくなってそそくさと教室を出た。就寝時間まであと30分を切っていたので廊下を早歩きで進みながら先輩からのメッセージを確認する。
『風呂入ったあと会うのってまずい?』
『もう寝る?』
デリカシーがあるのかないのか。でもそのオブラートに包まない率直な物言いは先輩らしく、オッケーのスタンプを送って階段をおりていく。
『職員室の前にいる!』指定された場所まで行くと、職員室前にはソファとローテーブルがフェイクグリーンで目隠しのように囲まれているスペースがいくつかあり、そのひとつに木兎先輩はいた。
先輩は足を伸ばしてソファに座っていてローテーブルがあるせいか少し窮屈そうだ。先輩の向かいには赤いジャージを着た黒髪の人が腰を下ろしていた。
「お疲れ様です」
「お疲れ様! 今日も苗字の飯おいしかった」
ニコニコとした笑顔でいつものように言われ、私もいつも通り「ありがとうございます」と返した。先輩の隣をぽんぽんと叩かれ、躊躇いつつもおそるおそる少し離れて座った。
「黒尾、俺の彼女の苗字」
ひえっと弱々しい声が出た。突然呼び出して何かと思えば、他校の人への私の紹介だった。そんな心づもりのなかった私は木兎先輩を軽く睨みつけるけど先輩は気付かないのか「苗字の飯うまいだろー?」呑気に話しているので、私は早々に文句を言うのを諦めてバレないよう小さくため息をついた。
黒尾と呼ばれた音駒の人はまだ言葉を交わしてないのにすでに生暖かい目で私を見ていた。苦労してんな。そんな言葉が黒尾さんの目には浮かんでいる。
「俺は音駒高校バレー部主将の黒尾。今回、料理担当で来たんだって? 飯うまかった。ありがとな」
細い目とトサカのような髪型にもしやヤンキーなのではと少し恐ろしかったけど黒尾さんから出た言葉はいたって普通のもので私を労ってくれる気遣いも見せてくれた。
「初めまして、ミョウジナマエです。今回は料理担当で参加させていただきました。よろしくお願いします」
「木兎と正反対って感じだな。こいつ、バカでガキだけど大丈夫? 苦労してない?」
いろんな人にされる、もう何度目になるかわからないこの質問にも慣れたもので「そこが木兎先輩の良さなので」いつものように答える。黒尾さんは目を丸くさせたあと「赤葦だ…」と呟いていた。赤葦くん?
「どいつもこいつも失礼だ!」
「お前の態度見てりゃそう思うっつーの。ええ〜木兎にこんなに可愛くて料理上手な彼女か。黒尾サンやってられないわ」
「いいだろー」
木兎先輩は黒尾さんの嫌味を気にすることもなく歯を見せて笑っている。木兎先輩には恥じらいがないんだろうか。
そのあとは黒尾さんが自分のことや木兎先輩との関係などを話してくれた。話しぶりからふたりが好敵手であることがわかる。他校だというのに同じ学校の人たちと変わらないような仲の良さに木兎先輩の人懐っこさと黒尾さんの親しみやすさを感じつつ、就寝時間が近づいたので揃って階段をのぼり二階で別れた。
三階に上がり教室に戻ると英里先輩が明日詳しく聞かせてね! と興味津々の様子だったので曖昧に返事をして私も布団をかぶった。疲れていたせいかすぐに意識を手放した。