♪喧騒、狂乱に、雨あられ



アサシンはとても優秀だ。頼んだことはやり遂げて来るし、判断も良く1人で十分的確に動ける。その上もちろん強い。あと顔が良い。
彼の働きに不満はない。政府から任されたこの区間での壊れた聖杯の対処も、彼の力があるからこそ出来ていることだ。マスターの仕事だろ?なら俺にも無関係じゃない、と言われて、今では私の警察官としての仕事にも手を借りている程だ。本当に助かっているし、私は彼を信用している。
だが、少し困っている所がある。これが無ければ言うことなしなのだが、どうにもこれが彼の抱える闇というか問題であるらしい。
「マースタァー」
またか、と思いつつ無視をする。いつもとは違う少し間延びしたような呼び方。馴れ馴れしく肩を抱く仕草。普段の彼ならしないであろう触り方で顎をなぞってくる。
「寂しいね、なんで無視するんだよ」
はぁ、とため息をついて距離の近いアサシンの顔を横目で見る。目がいつもと違う。姿形は彼なのだが、まるで別人のようだ。
「マスターも俺が居なくて寂しかったろ?」
今回はそういう感じの人格で潜入してきたのか。煙草の煙を吐き出しながら、適当にウンウンと頷いてみせると「やっぱり」と腰にキツめに抱きついてくる。
「マスターのにおいだ」
「煙草の臭いだと思います」
ベランダなので普通に会社帰りのようなオッサンに見られてしまった。見せモンじゃねーんだよ、と手で払いのける仕草をすればオッサンはそそくさと走って行った。
「なぁ俺頑張ったろ?ご褒美くれよ」
これはさっさと目を覚まさせないとこっちが酷い目に合いそうだなと思い、まだ吸いかけの煙草を灰皿に押し付けた。彼の方を向き、「燕青」と呼びかけ頬を触る。
「マスター…」
「シャキッとせんかい!」
「ごはっ」
そのまま自慢の石頭で頭突きした。彼もなかなか硬いのだが、私には及ばない。くらっと後ろに倒れたアサシンをしゃがみこんでべしべしと顔を叩いた。
「アサシン、起きてください」
「う、ゔゔゔ………はっ!」
気づいた。がばりと体を起こすと、キョロキョロと辺りを見回し、どうやら状況を理解したらしい。申し訳なさそうに後ろ手で頭をかいた。
「いやー悪い、マスター。またやっちまった」
手を取ってアサシンを立たせる。すっかりいつも通りになったアサシンが、あーあとベランダの塀に寄りかかった。
「なんでかなぁ、なーんか最近変装後がうまく解けないんだよ。まずいなぁ、自信なくすぜ」
「無理をしすぎです。だから休んでいいと言っているんです」
「俺はアンタのサーヴァントだ、好きに使ってくれて構わない。…だけどまぁ、こうも頻繁に戻れなくなっちまってるのは、なぁ」
チッ、と舌打ちして考え込むアサシンを見ながら2本目に火をつけた。煙を吐きながら、彼の髪をかき上げる。
「なぁーにマスター」
「美人の顔を見ています」
「照れるねぇ」
言うほど照れていない彼は、ニヤニヤと頬杖をついてこちらを見た。
「それにしてもさ、毎度毎度頭突きってどうかと思うんだけど?もっとこう、優しく、愛のある感じで出来たりしない?マスター」
「贅沢を言わないでください。それに、愛は込めて頭突きしています」
とは言いつつ、自分もそれは思っていた。が、どうにも他の方法が思いつかない。
「では例えば?」
「キスでいいよ」
「他」
「んー、すっごい可愛いポーズで、『戻って、燕青!』って言う」
「他」
「いっそその時の俺に身を任せるとか」
「死ぬほど凶暴な時もあるのですが?」
「どんなになろうとも、マスターを傷付けることだけはしないさ」
そこだけ真っ直ぐに言われてもな。
「どうあれ、暫くは変装禁止です。自我が安定するまで、私と有給を楽しんで頂きます」
煙草を灰皿に捨ててそう言うと、ぱちくりと目を瞬かせたアサシンが「へ?」と間抜けな声を出した。
「マスター、有給なんかとったのか?あの仕事人間のマスターが?」
「いいでしょう別に。明日は買い物です。明後日は遊園地に行きたいです」
そう言うとまだ信じられないのか、あんぐりと口を開けてこちらを見ている。ふん、と鼻を鳴らして部屋に戻れば、慌てて後を追ってきた。
「なになになに?!俺ここに来て初めてマスターの口からそんな事聞いたんだけど。熱?風邪?おでこ!おでこ出しなマスター!」
「ありません。もう一度頭突きが必要ですか?たかだか1週間程度休むぐらいで、なんだというのです」
「1週間もマスターが休むだと!?」
ガシッと肩を掴まれた。いってえ。
「俺、そこまでマスターを追い詰めてたのか…」
「いや、追い詰められてるのあなたですけど」
くっ、と下を向いて思い詰めているところ悪いのだが、これは全く、私が遊びたいからとかでは決してない。
「あなたの不調は、恐らくエネミーの殲滅に加えて警察の調査までやらせてた私の責任です。マスターとして、サーヴァントの管理が出来ていないと実感しました。ですから、明日からはあなたのための休みです。私と居るのが嫌なら、1人で出掛けてもいい。好きにしてください」
そこまで言って、喋りすぎたなと後悔した。それならいいと断られないかと危惧していると、予想外の返答が帰ってきた。
「え?いいの?やった〜」
すんなり聞き入れられた。なんだ、気にすることもなかったと安堵し寝室へ向かおうとするとグイッと肩を引かれ足が止まった。
「でも、マスターと一緒のが嬉しいね」
また距離が近い。アサシンはたまになんの前触れもなく、変装後でもないのに人格が変わったようになる事がある。それか、と思い、もう一撃いくか…と顔を近づけたが、ふとさっき彼が言っていたことを思い出した。
「…………」
「マスター?」
返事をしない私を不思議に思ったのか、首を傾げているアサシンに、そっと触れるだけのキスをした。
「…へ?」
「目は覚めました?おやすみ」
いくら頭が硬いからと言っても頭突きが楽なわけじゃない。元に戻るならこっちのが楽だな、と思いながらベッドへ向かった。




「…えーっと…」
実は今日は初めから、全然"ブレて"などいなかったのだが。燕青は唇を触りながら、はは、と笑った。
「うーん、ラッキー」
明日から1週間、楽しくなりそうだ。上機嫌な彼はベランダの塀に腰掛け、彼のマスターが愛用している煙草に火をつけるのだった。


vinyl/King Gnu