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道端に紙が落ちていた。ゴミだったらなんで私が他人の落としたゴミなんか拾わなきゃいけないんだよって感じだったけど、近くまで行ってみるとなにやら絵の描かれた原稿用紙だった。
ちょっと気になったからしゃがみこんでもっとよく見てみる。上手い絵だ。どうやら告白シーンらしい。キャラクターはどっちも男だけど。
さて、どうしたものか。ここで見て見ぬふりをして、元あったようにポイ捨てしてもいいのだけど、後ろから源頼光と坂田金時が歩いてきている。このままだと、この、一応甘酸っぱいはずなのに、両者の肌面積が異様に危うい告白シーンが頼光の目にとまるということで。
チラ、と後ろを見ると、頼光は金時に熱心に話しかけている。金時はやりずらそうに照れているのか頬をかきながら歩いていた。手元の原稿用紙と2人、交互に見ながら、仕方ない、と諦めて原稿用紙を手にその場を離れた。


爆弾を抱えてその場を離れたはいいものの、処理に困ってしまった。流石にこんな完成された絵の描かれている原稿用紙をシュレッダーに突っ込むほど冷たい人間ではないけど、だからといって健気に人に聞いて訪ねまわるほど優しい人間ではない。
原稿用紙を見つめながら考え込んでいたら、ふいに腕を誰かに引っ張られた。見下ろすと、人形のように愛らしい、黒のドレスを着た三つ編みの少女が微笑みかけている。
「こんにちは、スタッフのお姉さん!さっきから、何を見てそんなに考え込んでいるのかしら?」
くりくりしたアーモンド型のおっきな目が、純真無垢に手元の紙を見つめている。こて、と首を傾げる動作が愛らしい。けど。
「こんにちは…あー、これは…んー…」
改めて言われると、この原稿はセーフなもののやつなのか判断が難しい。いや、この1枚だけじゃなんとも言えないけど、この2人の状態を見るに多分わりとアウトなものだと思う。
「多分エロ本の原稿」
「悩んだ割には、簡潔に言ってしまうのね…」
ナーサリーライムは頬を赤らめながら残念そうにこちらを見てきた。彼女は少女のように見えるけど、その実見た目の通りの人物ではないことを一応知っていたので、まぁ言ってしまったわけだけど。ちょっとガサツすぎたかもしれない。
まぁいいか、と気を取り直してせっかくなので聞いてみる。
「これ、廊下に落ちてたの。ナーサリーちゃんは誰のか知らない?」
「うーん、漫画なら、刑部姫くらいしかいないんじゃないかしら。なんにせよ、はしたないわ」
「刑部姫…」
残念ながら面識がない。声をかけてくれたナーサリーに、ついでだから刑部姫の部屋の場所も教えて貰った。ポケットに入れていたハチミツ飴をお礼に渡すと、ナーサリーはキラキラした笑顔で手を振ってくれた。

で、部屋の前まで来たわけだが、ノックしても返事がない。ここまで来て留守かよ、とゲンナリしてもうドアに貼り付けちゃおうかとか考えていたら、後ろから「名前〜!!!」と元気なドラゴン娘の声が聞こえてきた。
「名前!名前じゃない!どうしたのよ!ねぇねぇ、この間のライブはどうだった?アタシ、ますます上手くなってきちゃったと思うんだけど!」
「トテモヨカッタヨ」
「えへへ…えへへへ…」
後ろから抱きついて頭をすりすりしてくるのはいいけど、角があたってちょっと痛い。あれから何がそんなに気に入ってもらえたのかは知らないけど、ライブの度に優待チケットを渡されるので、行かないわけにはいかずにいつの間にか常連になってしまっていた。ノリノリでペンライトを振る柄じゃないから、一般席から離れた関係者席で腕組みして、時折エリザベートと目が合う度にとりあえず分かってますよ感を出して頷いてるだけなんだが、そのせいでいつの間にか一部のスタッフからエリちゃんPとか呼ばれてしまっているのが納得いかない。別に、自分に近寄ってきてくれるエリザベートが可愛くないのかと言われれば、まぁ、うん、そんなに、悪い気はしてないのだけど。
「ていうか、おっきーの部屋の前で何してるの?」
「これ、刑部姫のだって聞いたから」
差し出した原稿用紙を、ん?と言ってエリザベートが覗き込む。…しばらく見つめた後、口から火を噴くんじゃないかと思うくらい赤面しだした。
「みやぁぁぁぁぁああぁ!?!??!何よそ、そそそれ!」
「エッチなやつ」
「も、もぉぉおおおおお!!!!!こらぁ!!アンタね!!なんてものおっことしてんのよーーー!!!」
真っ赤になったエリザベートがいきなり目の前のドアをドンドンと蹴りだす。ドッカンバッカン蹴りまくり尻尾でビンタしまくるので、壊れんじゃないかと心配していたら、中から慌てたような足音が聞こえてきた。おい、居るのかよ、おい。
「ま、まって、まって!い、今開けるから!」
開いたドアの取っ手を思わず掴む。そのまま出てきた人物に詰め寄ってニコッと笑った。
「なんだいるんじゃーん、刑部姫さん、ちーっす」
「ち…………チーッス……………」
ひくっ、と頬を引き攣らせて、黒髪メガネの女の子が涙目になっていた。

「よ、よかったぁ…っ!もう人生終わったかと思った…!いやもう終わった後なんだけど」
拾った原稿用紙をエリザベート以外には見せていないと言って渡すと、刑部姫は大袈裟に膝をついて安堵していた。言い忘れたけどナーサリーにも見せていたな、と思い出したが言わないことにした。1人でも見られた人は減ってくれた方がいいだろう。
「ちょっとソレを廊下に落とすのはどーかと思うわ、アタシ」
エリザベートはじとっとした目で私の腕を両手で掴みながら、未だにちょっと赤い頬で文句を垂れた。まぁ、おっしゃる通りだ。
「気をつけてたんだけどね…3徹目だったから…不注意だったなぁ…というか珍しく手描きにしちゃったから…あぁ…よかった…もう絶対に落とさないようにします…ハイ…」
「それさ、間に合うわけ?」
相当探したんだろう、部屋の中が紙類でごちゃごちゃだ。それでなくても、なんだかよく分からないグッズでいっぱいなのに。
「本はもう出来てるの。ただ元の原稿をおっことしちゃっただけで…。本当にありがとうございますっ…!えーっと、スタッフさんだよね?お名前、聞いてもいい?」
「名前」
「う、うん。名前…さんだね?改めて、ありがとう…」
「ねーねーちょっと」
エリザベートが訝しげに刑部姫の肩をつつく。くいっと引っ張ると、そのまま2人で後ろを向いてヒソヒソ話を始めてしまった。
「おっきー、なんでそんな名前に引き気味なの?」
「だ、だって、あの人っ!なんかっ!クラスのトップカーストみたいな雰囲気なんだもんっ!姫と決定的に住む場所が違うっていうか!」
「えー…ちょっとよくわかんない」
「あのさー」
「はいいっ!!!」
コソコソ2人で何を喋ってるのか分からないけど、待つのもかったるかったので話しかけてしまった。刑部姫は大袈裟に肩を跳ねさせてこっちを振り返る。
「これさ、どこで全部読めんの?」
「え……………えっ?ど、どれ…?」
「だから、これ」
ペラッとつまんで、持ってきた原稿用紙を持ち上げる。すると刑部姫は、ぽかん、と口をあけてしばらく固まった後、「え、えっと!」と本棚から1冊の薄い本を取り出した。
「これ、です」
「それ、いつ買えるの?」
「え?今度のサバフェスの新刊…」
「ふーん、じゃあそれまで買えないんだ」
残念。そう言うと、刑部姫はパクパク口を動かして、ソワソワしだした。どした、と聞くとさっきまでと打って変わって身を乗り出してきた。
「好きなの?!」
「?いや、絵が好きだなって思って。あんまこーいうの読まないけど、読んでみたいなって思ったから」
「そ、そう…」
そう言うと、ススス、と後ろに下がって正座してしまった。
「絵が好き…」
「うん。上手いよね。私全然こういうの才能ないから」
「うぐ、なに、その、教室の隅っこでラクガキしてる陰キャに優しいイケメンみたいな…っ!」
なんだその例え。
「ふぁーあ、名前、もういいでしょ?このあと暇なら、アタシとご飯食べに行きなさい!あ、名前がいいなら、ア、アタシの手料理でもいいのよ…?」
「それはいい」
「なによー!」
行こう行こうと背中を押してくるエリザベートに流されるまま席を立つ。刑部姫の部屋から出る前に、服の袖が遠慮がちに引かれて振り返ると、刑部姫が1冊の本を差し出していた。
「これ…あの、お礼に、あげる。今回のは、前のの続編だから。だから…前ので悪いんだけど、これ、読んで…良かったら…その…」
最後らへんは声が小さくてよく聞き取れなかったけど、差し出された本を受け取ってお礼を言った。その表紙を見て、やっぱりいい絵だと思った。
「うん、やっぱ好きな絵。ありがと、読むよ」
手を振って部屋を後にする。刑部姫は挙げた手を、振ってんだか振ってないんだか分からないくらいカチコチになってたけど、気にせず歩き出した。いい事をするといい事が返ってくるもんだ。
「恐ろしいわ、無自覚イケメンムーブ…」
腕に絡みついたエリザベートが何かぶつくさ言っている。プリン食べるか、と呟くと、「またぁ!?」と言われてしまった。