キリシュタリア

「…わわっ」
宝石が道路脇に転がってるみたいな光景だった。真昼の太陽に照らされて、絹糸みたいに柔らかそうな髪がキラキラ光っている。少女漫画の王子様か、はたまたお城のプリンセスか、彼の長いブロンドの髪はいつ見ても綺麗だ。
「…わわわっ…」
おそるおそる近寄って、顔を覗き込む。閉じられた目にまつ毛だって美しく、思わずほぅ…とため息が出る。ゆっくりと一定のリズムで肩を上下させ、健やかにお昼寝をしているキリシュタリア・ヴォーダイムなど、一生拝めないと思っていたのに。
「寝てる…?え…本当に?」
小声でそう言えば、パッと目を開けて「まさか」とでも笑ってくるかと思ったのに、全くそんな気配などなくキリシュタリアはすよすよと眠りに落ちたままだった。
「うわぁ〜…すごい…写真…はさすがにダメか」
しゃがみこんで、ベンチに腰掛け膝に手を組み置いたまま寝落ちているキリシュタリアを見上げる。すごいすごい。多分この光景は、オーロラを南国で見るより難しいんじゃないかな。想像したら頭の中でペンギンがハワイを満喫しだした。かわいい。
「キリシュタリアさーん、そこはー、私がいつもお昼寝してる席ですよー、特等席なんですよー」
話しかけてはいるけどまだまだ寝てては貰いたいので、小声で訴える。そんな抗議の声も夢の中の彼には届かずに、規則正しい寝息は乱れることもなかった。
それでも疑いは残っていて、実は彼は全くの狸寝入りで、寝たと思い込んでちょこまか彼の周りを動き回る私を見て笑ってるんじゃないかとか、実は彼が好きすぎて幻覚を見てるんじゃないかとか考えていたら、ヒラヒラと蝶が目の前を横切った。
蝶は私の方など見向きもせずに、一直線にキリシュタリアの頭に向かって着地し、止まった。その位置がリボンみたいで、思わずスマホを取り出しそうになる。いやいや盗撮はダメだろ、犯罪。
この素晴らしい光景を網膜に何としてでも焼き付けておかなければ。温室の床にもはやお尻をつけて座り込んで、私は膝を抱えてじっと彼の顔を見つめ続けた。
どんな夢を見ているのだろう。穏やかな表情だ。涼し気ないつもの顔からは程遠い幼いその顔に見蕩れ、時間を忘れ見つめていた。
パッと蝶が飛び立って、はっとして我に返る。時間を確認すると、次の講義があと5分で始まるところだった。
遅刻する、そう思って慌てて立ち上がったけど、キリシュタリアはピクリとも動かない。どうしよう、いくら学科の首席といえど、お昼寝で遅刻なんて事になったら、ええと、うん?どうなるんだろう…ちょっと気になるな…。
「キリシュタリア、ねぇ、キリシュタリアさーん」
おそるおそる声をかける。トントンと肩を揺すると、さすがにゆっくりと目を開けた。透き通るガラス玉のような目が私をようやく写す。
「…名前…」
「おはようございます…?」
「ん…おはよう…」
寝ぼけているのか、そのまま挨拶を反復する。ぽや…とこちらを見て、不思議そうに首を傾げた。
「もう着替えたのかい?」
「???はい?」
訳の分からないことを言われた。聞き返すと、数秒間を置いて、「なるほど」と頷かれる。
「夢か」
ずこっと古めかしく転びそうだった。なんじゃそりゃ、一体どんな夢を見てたんだろうか。問いただそうと口を開いた瞬間、鐘の音が大きく鳴り響いた。
「「あ」」
2人して顔を合わせる。間に合わなかった。もう完全に遅刻だ。私は、毎日のようにここでうたた寝をするので割と常習犯なのだけど、彼はどうするのだろう。
「しまったな、いや、君が毎日あまりにも気持ちよさそうにこの温室で寝ているものだから、つい真似をして目を閉じてみたんだが…まさかの寝過ごしだ」
色々と突っ込みたいところはあるけど、今は顔が赤くならないように無心になるので精一杯だった。自惚れるな自惚れるなと念仏のように唱える。
「悪いね、指定席をとってしまったばかりか、君まで授業に遅れさせてしまった」
「いやいつもの事だからいいよ」
それは本当なので首を振って答えると、ニコリと微笑まれる。自惚れるな自惚れるな。
唱えすぎてウヌボレルナーって小洒落た料理名みたいだなとか混乱してきた頃、キリシュタリアは突然ポンと手を打った。わりと古風。
「うん、私が君に今回の議題で聞きたい事があったから、その質問が長引いてしまったという事にしよう。どうだろうか」
「逆では」
名案だ!と誇らしげに笑う彼にオイオイと冷や汗が出た。バレるに決まってる、天体科の首席に、どうして私のようなちんちくりんが訊ねられる質問などあるというのか。
「大丈夫。名前は自分が思っているよりも、ずっとユニークで興味深い思想を持っているからね」
「ユニークって褒め言葉?」
「もちろん」
彼の中ではそうらしい。どうやら本当にその作戦で強行突破をするらしく、スタスタと歩き出してしまった。その背中を慌てて追う。
「どんな夢見てたか聞いていいやつ?」
好奇心には勝てずに思い切って聞いてみると、キリシュタリアは考える素振りをする。
「君が隣に居て」
「うんうん」
必死で頷きながらウヌボレルナーが3皿作られながらも、目を細めて形のいい唇を開く横顔に見蕩れずにはいられない。器用な事をしているなと我ながら思った。
「………」
言葉が止まった。続きを繋ごうとした口をそのままにして、横目でこっちを見てくる。心臓に悪いので、そういう事をするなら事前に言って欲しい。今から君の方を見るよって言ってくれない?いやそれはそれで恥ずかしいな。
「キリシュタリア?」
声をかけると、誤魔化すようにニコリと微笑まれる。そうじゃなくて、私が隣で何をしていたというのが聞きたいのだけど。
「何してたの私」
「忘れちゃったな」
あは、と今度は少年のように微笑まれた。今日はどうしたのだろう。そんなにいっぺんに詰め込まれると、1年分の運を使い果たしたような気がしてくる。今年もういい事ないかもしれない。なんならこの後車に轢かれそう。
「君さえ良ければだけど」
幸せすぎて怖くなってきたので今日のことは忘れようかとも思い始めていたら、こちらを振り返ってキリシュタリアが見つめてきていた。
「あのベンチの隣、予約してもいいかな。今度はアラームをかけよう」
最悪、今日死ぬかもしれない。そんな事を思いながら首を縦に振った。