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寄りかかると若干後ろに倒れてくれる椅子の背もたれを最大限活用して大きな伸びをした。手をわざわざゆっくり広げたせいで盛大に隣に座ってる同僚の肩を叩くことになったが気にしない。「こら」と言われたが気にしない。腕が長いのでぇ〜と言ったら軽く頭をはたかれた。
さして集中しているつもりもなかったのだが、こうして画面から離れてみると周りの音が大きく聞こえ始める。キーボードを叩く降り止まない雨のような音も、たまに目の前を通る職員の靴音も、聞き取ることの出来ない無数の人が吐き出した言葉も、混ざりあいひとつの景色になって、なんだか他人事のように見えてくる。
「疲れた…」
「それは嘘。飽きたの間違いだから、お前の場合」
とりあえず言いたかっただけの言葉は、間髪入れずに否定された。隣の同僚の指摘は間違えていない。だがそれをそうと言うのは癪だし、疲れたということにしておかないと休ませてくれないだろうし、すっとぼけてシラを切る事にする。
「あ〜っ、疲れ目がな〜ずっと画面見てるとなぁ〜ドライアイでさぁ〜」
「お前この間食堂でドライアイじゃないの自慢してたろ。何秒目開けてられるかのレースで優勝してみんなにランチ奢らせたの覚えてねーの?」
「…………」
肘掛に手を置き、天井を見上げた。過去の自分、余計なことをしやがって。
「まぁでも、お前にしては頑張った方なんじゃないの。10分ぐらい息抜きに少し廊下出ろよ」
なんと。お許しが出た。つまりこれは、そのまま逃げてしまってもいいということだな?
「ちなみに、つまりこれはそのまま逃げてしまってもいいということではないからな」
「……チッ…」
「舌打ちしない」
ガヤガヤと騒々しい管制室を後にする。扉を閉めただけで、耳にまとわりつくような騒音はすぐにシャットアウトされた。
「でも"10分ぐらい"の定義は、こっちで決めていいということだ」
私にとっての"ぐらい"の定義は、幅が広いぞ同僚くん。詰めが甘いぜ。
どこへ逃げようかな、後ろ手を組みながらスキップして廊下を進みだした。



「なにをスキップして浮かれてるんですかね、お嬢さんは」
第1サーヴァント発見。片目を隠したタレ目の男は、特に何もせずに前方で廊下の壁にもたれかかっていた。まるで街中で彼女でも待っているかのような風貌だなと思いながら、せっかくの第1サーヴァントなので接触を試みる事にした。
「サボりでございます」
「声高に言うことじゃないでしょソレ。っていうか、オタクいつもそんなんで怒られないの?」
「怒られてるよ。でも怒られるだけだし」
「何言っても無駄なだけってか……」
はぁ、とため息をつかれてムッとする。いつもならそうだが今日は違う。ちゃんと仕事をしてちゃんと許されて休憩しているのだ。10分と+αで。
「今日は違うし。さっきまでちゃんと仕事してた。今は休憩を無限に伸ばそうとしてる最中なの」
「休憩が無限に伸びたら休憩じゃないでしょ。区切りがあるから休憩なわけ、それはもう休みだろ」
軽く伸ばした人差し指でおでこを弾かれる。痛くはなかったが少しよろめく。
「たまにはバシッと仕事してきたらどうです?やればできるんだからさ、アンタ」
「……」
そう言われても、嫌なものは嫌だった。つつかれたおでこを両手で押さえる。地面を見つめながら、さっきまでいたあの騒音の部屋を思い出していた。
「嫌。あそこは…息が苦しい。皆が難しい顔してて、全然、楽しくない。音も、うるさいし…だから、」
嫌。子供っぽく言ってしまった言葉は、自分にしては本音を吐き出しすぎていてすぐに恥ずかしくなった。押さえていた手はそのままにして顔を見られないように塞いだ。
ロビンフッドは何も言わない。ただ前から居なくなる気配はなくて、おそるおそる指の合間から顔を覗き見ると、
「へぁ、」
思ったより顔が近くて間抜けな声が出た。エメラルドの目がチカチカしそうなぐらい、指の隙間から差し込むように光る。その口元はニヤニヤとだらしなくつり上がっていた。
「へぇ〜〜、なるほどね。お嬢様は重苦しい空気が苦手だと」
見せてはいけない相手に弱みを見せてしまった気がする。少し目線が高い相手の顔を睨みつけながら、顔を覆っていた手を下ろしてファイティングポーズを構えた。シュッシュッと右ボディーブローを空中へ放つ。
「はいはい茶化して悪かったですよ。降参降参」
ヘラヘラと小馬鹿にするように両手を上に上げられる。しかし恥ずかしさはまだ取れない。そのままパンチを繰り出していたら、「どうどう」と上げていた両手を下ろして、私のへなちょこパンチをぺちぺちと手のひらで受け止められた。
「お詫びついでに、ご馳走しますよ。休憩なんでしょ?ホラ、プリン食べましょプリン」
「………食べる」
なら決まりだ、と言って、私の握りこぶしを両の手で包んで下ろさせると、着いてこいと言わんばかりに歩き出した。その翻った緑のマントを目で捉えながら、ゆっくり背中を追いかける。
着いてく理由はプリンだから、と心の中で唱えながら、さっきよりは軽くなった気分で、足を踏み出した。