今日のにゃんこ
猫とは得なものだ。生まれ変わったら猫になりたい、そんな事を生前ずっと考えていたら、まさか本当になれるだなんて思ってもいなかった。触れてくる遠慮がちな手にわざとらしくゴロゴロと鳴けば、人はみな満足そうに笑いかけてくる。適度に遊んでやりながら、私は第2の人生をやたらと変わった奴が多いカルデアと呼ばれる施設で過ごしていた。
カルデアの廊下で丸くなってのんびり昼寝を楽しんでいたら、赤い槍を担いだ後ろ髪のやたら長い男が頬をつついてきた。睡眠を邪魔されたことに苛立って薄く目を開けて睨めば、「怒んなって」とわしゃわしゃガサツに頭を大きな手で揺らしてくる。存外悪くない心地である。寛大な心で許してやることにして、再び頭を降ろし昼寝を再開することにした。

ご飯の匂いで目を覚ますと、私の皿に今日のお昼を入れて持ってきたエミヤが私をひと撫でして皿を置いて行った。もっと撫でさせてやるのに、そう思いながらお昼を食べる。今日はマグロか、美味である。
時間をかけてゆっくりと、上品に食べる。ここが元人間猫と普通の猫との差である。私は他とは違うワンランク、いやニャンランク上の猫ちゃんなのだ。
「あら、今日はマグロを貰ってるのね。美味しい?」
口周りについたのを舌で舐めとっていると、マルタのアネゴに声をかけられたので姿勢を正して見上げた。お利口さんね、と頭を撫でられる。
「ふふ、今日はいい汗かいたわ。やっぱたまには杖振るだけじゃなくて拳も使いたくなるのよね」
バシンッ、と拳を手のひらにぶつけて語るアネゴに敬意のにゃんを返した。
「ご飯中にごめんね、今日も聞いてくれてありがと」
ポンと頭に手を乗せるだけの挨拶をして行ってしまったアネゴの背が見えなくなるまで見つめて、また食事を再開する。美味である。
皿も空になったし、そろそろ散歩にでも行くとしよう。適当な方向に歩いていれば、すれ違う人間たちが甘い声で触ってきたり呼びかけたりしてくる。気まぐれににゃあと鳴けば顔を崩して喜ぶ。ふふん、分かるぞ、私は可愛いからな。
いい気分で廊下を歩いていたら、突然首根っこを掴まれて宙ぶらりんにされた。一体どこのどいつだと振り返って姿を見る。全身の毛が逆立つ。真っ赤な服に鋭い眼光、そして香る消毒液の臭いに体が自然と震え出す。
「そろそろ体を清潔にする頃合ですね。ご同行願います」
ギニャー!泣き叫ぶも、恐ろしく強い力で全く抵抗を許さない女に連行されて、十中八九風呂へと向かわれている。風呂はいい。私は元人間だからな、それは構わない。だがこの女に洗われるのは勘弁だ!仕上げにかけられる消毒の量が尋常ではない。
「ナイチンゲールさんよ、マスターが呼んでますぜ」
わちゃわちゃとなりふり構わず手足を動かすも、こちらを見向きもせずに足を進める女に恐怖していると、救世主があらわれた。その言葉にピタリと足を止めた女が声の主を見る。
「ロビンフッド。申し訳ありませんが名前を洗うのでお待ちくださいと伝えてください」
そう言うとまた歩きだそうとする。待ってくれ!助けてくれ!にゃあーと鳴いて抗議を続けた。
「名前の風呂なら俺がやっときますよ。急ぎみてえだから早く行ってやんな」
ホラ、と手を広げるロビンフッドの方へ手足をバタつかせた。ナイチンゲールはそうですか。とようやく私を解放した。
「よろしくお願いします。多くの人に触れられていますので、念入りに消毒を」
「ハイよ、任せな」
スタスタとナイチンゲールは去っていった。抱きとめられた腕に爪を立ててしがみつく。いてててと一旦剥がされた。
「命拾いしたなぁ」
にゃあん、と返す。全くだ。危うくまた抗菌剤責めにあうところだった。
「そんじゃ風呂入りますか。綺麗に見えるけど、約束しちまったからな」
普通に入れてくれるなら構わない。地面に降ろされ、いつものシャワー室へ向かうロビンフッドの後をついて行った。

さっぱりしたあとはやっぱり眠くなるものだ。お気に入りの場所で丸くなって船をこいでいると、扉が開く音がして耳だけ動かし注意を向ける。目の前を通り過ぎる気配と、煙草とコーヒーの香りがした。
コトリとカップを2つ置いて直ぐに踵を返した男が、私の前でピタリと足を止めた。ス、と指を差し出してくる。本能的に鼻先で匂いを嗅いで、喉を鳴らした。フ、と笑った男がそのまま指を耳裏に移動させて絶妙な強弱で撫でてくる。ほぅ、なんというテクニック…。
うっとり目を細めて指の感覚に浸っていると、向こうはもう満足してしまったのか手を離して行ってしまった。なんと名残惜しい。しかし追いかけるのもそれはそれで億劫なのでまた丸くなることにした。
1、2時間たった頃、今まで机に向かいガリガリと筆を走らせていたこの部屋の片方の主がガタリと唐突に席を立った。突然の音に顔を上げると、のしのしとこちらへ向かってくるのが見える。
「ぬぅあーーーーーッ!!」
奇声をあげて、私の腹に顔を埋めた。そのまま深呼吸を繰り返している。またか、と思って目を閉じた。たまにあることだ、気にすることでもないだろう。
ガタリ、とまた席を立つ音がした。目を開くと、もう1人の小柄な方の部屋の主が薄い電子機器を机に放り投げてやはりこちらに向かってくる。
死んだ目で何も言わずに両手で顔を包まれわしゃわしゃと動かしてきた。こちらを見ているようで何も見ていないような瞳がちょっと怖いが、これもまぁよくあることだ。逃げずに大人しくしていると、腹に顔を埋めていた方が、がばりと顔を上げた。
「脱稿ですぞ………」
「あぁ……………」
男がそう言うと、見た目と反して低い声の少年が相変わらずピントの合わない瞳で私の頭をかき混ぜながら応えた。どうやら山場を越えたらしいな。にゃんと一声鳴けば、また腹に顔を埋められ今度はそのまま気を失うように倒れた劇作家を労い尻尾で肩を撫でた。もう片方の少年もいつの間にか私の顔を手で挟んだまま寝てしまった。
身動きが取れないので仕方なくそのまま眠ることにした。本とインクの香りを堪能しながら、幾度目かの眠りについた。

目が覚めても2人が起きる様子がないので、するりと抜け出しそろそろお腹も空いた頃合なので食堂へ向かう。すれ違う人間に適当に返事をして足早に進めば、食事の良い香りが漂ってくる。
厨房へ潜り込み、息を細かく吸って美味しいものを探していると、ぱちぱちと手を叩いて、私を呼ぶ声が聞こえた。声の主に返事をして傍に近寄る。
「よちよち、たんと食べるでちよ」
夕飯は牛肉と野菜のスープだ。一口舐めて、あまりの美味しさに喉がなる。
「おいちいでちか?」
にゃあ、と返事をして、ご飯を進める。なるべくはしたなくないようゆっくり食べようと思うのだが、美味しすぎて食べる勢いが止まらない。
「ふふ、おかわりもあるでち」
なんと。顔をあげて驚けば、紅閻魔は食事の準備に戻ってしまった。私も食事を再開する。今日は良い日だ。

腹も膨れたし、そこらの人間に満足するまで愛でられたので寝床に行くことにした。カリカリと前足でマスターの部屋のドアをひっかけば、程なくしてドアが開いた。
身を滑り込ませて中に入る。そのまま柔らかいベッドへ飛び乗れば、マスターも横になった。
「名前ちゃん今日も楽しかった?」
ちゃんではない。何度も抗議してるのだが、マスターの少女には通じないのか全く直る気配がなかった。仕方がない、いづれ本来の姿に戻って、伝えなければいけないな。
グルグル喉を鳴らして擦り寄る。触れてくる手のひらに、また新しい傷を作ったのか手当の痕が見えた。がぶりと指に噛み付けば、「なんで!?」と驚かれた。
全く持って遺憾である。がじがじと甘噛みをしていると、だんだんと眠くなってきてしまった。瞼の重みに耐えきれず、目を閉じる。
「おやすみ」
マスターの声が聞こえる。眠る寸前、おやすみ、とそう返せば、「…ん!?」と驚いたような声が聞こえた。
何かを言っているが、もう聞こえない。今日も良い一日であった。体を丸めて、私は幸福に眠りにつくのだった。