17
最近、悩みがある。廊下を歩いていたり、誰かと話していたりすると、どこからか視線を感じて仕方がないのだ。気になって振り返ってみても、その瞬間に気配は消えてる。最初は気のせいだと思っていたけど、最近ではだんだん頻度が高くなってきて今日はもう朝から幾度となく振り返っては同僚に「どうした?」と聞かれている。
このままだと仕事にも支障がでるし、何より怖い。だからといって友人にストーカーにあってるかもなんて恥ずかしくて言えそうにない。第一このカルデア内で俺にストーカーするような人物なんか全く心当たりがないので、ストーカーかどうかすらも分からなかった。
もしかしたら、知らぬうちに恨みを買っているのかもしれないし…。そう思うとますます仕事どころじゃなくなって、ソワソワと忙しなく周囲を見渡す俺を周りが不思議そうに見ていた。あぁ、恥ずかしい。
「えーと、名前くん、どうしたのかな?なんか今日は落ち着きないね?」
聞き慣れた声に振り返ると、ドクターが心配そうにこちらを覗き込んでいた。安心する姿にほっと胸を撫で下ろして、大丈夫です、と言おうとした所で、またあの視線を感じて固まる。
「……………」
「あれ?名前くん?おーい、もしもーし」
「…………うぅ……」
「え?ちょっと待ってどうしたの!?」
「あー、ドクターが名前くん泣かせたー」
「何も言ってないよ!?じゃなくて、どうしたの、頭痛い?具合悪い?熱?熱は?」
隣のスタッフに言われて、慌てて涙目になってしまった俺のおでこをドクターが触れてくる。その時だ。今までにない、なんかこう、熱のこもったような強烈な視線を感じてしまった。
「も、」
「も?」
ドクターが首を捻る。俺は限界だった。
「もうやだーーーー!!!」
「なんでーーー!?!?!?」
後ろから聞こえるみんなの制止を振り切って、モニター室を飛び出した。もう無理。俺は猛ダッシュで、安息の地へ向かった。




「……………え、それで、私の所にそんな息切らせて来たわけ…?」
「ゔん」
とりあえず落ち着けと俺を椅子に座らせて、コーヒーを淹れてくれたジャンヌオルタになんとかお礼を言えば、「いいから飲みなさい」と言われた。
「視線ねぇ。今はどうなの?」
「ない…。というか流石に部屋では感じたことなくて…あ、でも」
コーヒーをひと飲みして、息を吐く。ジャンヌオルタは頬杖をついてこちらを見ている。ちゃんと話を聞いてくれているから、すごく安心した。
「立香くんの部屋ではなんでか普通に感じて…」
「…………ああうん、なんか分かったわそれ」
「へ?」
呆気にとられて見つめ返せば、ジャンヌオルタは椅子を引いて立ち上がった。
「行くわよ。あぁ、コーヒーは飲んできなさいよね。せっかく淹れたんだから」
そう言ってつかつかとドアに向かって行ってしまうジャンヌオルタに、1人にされたくない俺は急いでコーヒーを飲み込んで後を追った。

「ここがあの女のハウスよ」
しばらく廊下を歩いて、ジャンヌオルタはある扉の前でピタリと足を止めた。オドオドと付いて回る俺にイライラしつつも、決して傍を離れはしないジャンヌオルタに何度も何度もお礼を言えば、うるさいわね、とその度怒られ辿り着いた部屋の前で立ちつくす。
「………ここにいるの?」
「多分ね。今原稿でも描いてんじゃない」
そう言ってジャンヌオルタは「入るわよ」と宣言したのもつかの間、全く心の準備が出来ていない俺を横目に、ドンドンと遠慮なしにドアを叩いた。
「開けなさい、さもないと燃やすわ」
とんでもない事を言っている。失神しそうなのを必死に堪えて横になんとか立っていれば、部屋の中から慌てたような足音がドア付近へ近づいてきた。
「ま、待って待って今はダメ!いやいつだってダメだけどマジで今だけはダメだから!例え隕石が降ろうともピラミッドが突き刺さろうとも今この時だけはこの部屋を死守しなきゃいけないからー!!!」
ドアが開くと同時に、慌てた女の子が飛び出してきた。掛けていた眼鏡がずり落ちてる。部屋着であろう赤いジャージ姿の美少女は、俺とジャンヌオルタの顔を見てピシリと固まってしまった。
「は、はにゃ…」
「そんな時に悪いけど、ちょ〜っといいかしら、ストーカーさん」
ニコッと微笑むジャンヌオルタ(怖い)に、顔を引き攣らせた少女は、「はひ…」と涙目で答えた。


「出来心だったんです」
部屋の真ん中に置かれた丸テーブルを挟んで、ジャージの少女、刑部姫ちゃんは正座で頭を下げた。テーブルの上には、今まさに描き途中であろう原稿用紙が散らばって、部屋の中もなんというか、うん、どうしようかな、彼女の名誉も考えて詳しい描写は避けよう。
「ヤバいと思ったが制作意欲に逆らえなかったんです」
「は、はぁ」
よく分からず首を捻っていると、隣でジャンヌオルタが溜息をついて、床に落ちてるお煎餅の袋をあけてバリバリ食べ始めた。ちょっと美味しそう。
「茶」
「へい!ただいま!」
素早く立ち上がった刑部姫ちゃんが一瞬でお茶を淹れて俺達の前に湯呑みを置いた。ジャンヌオルタがズズっと啜り、ふぅ、とまた溜息をついた。
「で?なんでコイツを付け回してたのか、説明してやったら?私は分かりますけど」
「ゔ、」
言葉に詰まった刑部姫ちゃんが、しどろもどろにこちらを見る。あのー、そのー、ともじもじ手を弄りながら、チラチラと様子を伺っていた。
「あの、なんか理由があったんなら別にいいです。怒ってないんで…」
「ほんとぉ!?」
「泣いてたくせに?」
「な、泣いてはない!」
「泣いてたわよ」
ぐ、と言葉を詰まらせる俺に、刑部姫ちゃんが目を輝かせた。
「泣いちゃったの!?!?」
なんで喜んでるんですか?困惑してジャンヌオルタの方を見れば、「気にしたら駄目よ」と言われた。
「あ、や、えーと、そうだよね、怖かったよね、ごめんなさい…。でもでも、すっごく気配消して見てたのに何で分かったの?」
「興奮した時に気配消すの忘れて見つめてたんでしょ」
「あ…そうかも」
やべ、と視線を逸らして刑部姫ちゃんが舌を出した。咳払いして、こちらに向き直る。
「あのー、同人誌ってわかる?」
いきなり質問された。困惑しつつも、俺も気を取り直して正座し直す。
「えっと…趣味で描く漫画のこと…?」
「あぁまぁ、そんな感じ。漫画だけじゃないけどね」
刑部姫ちゃんはそこでテーブルの上の描きかけの原稿用紙を手に取る。こちらに見えるように、顔の横で掲げて見せた。
「姫ね、今その同人誌の原稿描いてるの。締切明日」
「明日」
「まぁ正確に言うと明日の昼なんだけど。そこはちょっとコネとゴネ使ってなんとかするからいいとして…」
ふぅ、と肩を落とす刑部姫ちゃん。持っていた原稿用紙をテーブルに置いて、目を閉じた。
「今回なんかスランプでさー、全然描きたいものが定まんないの。何描いても、これが私の描きたいものなの?ってなっちゃってー。あーあ今回新刊落とすかなーってなってた所に、キミとマーちゃんが廊下で話しててね?」
「マーちゃん?」
聞きなれない呼び名に首を傾げる。刑部姫ちゃんが、「あ、マスターのことね」と教えてくれた。マーちゃん…。
「それでこう、それを見てたらね、インスピレーションがこう、ぶわっときてね」
「俺と立香くんを見て…?」
「あ、そこ深く考えちゃだめね。…いや、深く考えさせるべき…?」
「いーから続けなさいよ」
「はい」
お煎餅をパリパリ食べ続けるジャンヌオルタに言われて、刑部姫ちゃんは姿勢を直した。右腕にぺしりと何かが当たったので見れば、ジャンヌオルタがお煎餅の入った袋を差し出している。いやそれ、刑部姫ちゃんのだからね。
「その日はもう筆がすすんでさー。でもまた何日かしたら、もうだめ。全然筆動かないの。で、また気晴らしに歩いてたらキミを見つけてね?」
ふふ、と口の端を上げて刑部姫ちゃんが笑う。
「いやーなんかね、うん。これだわって」
「…?」
「あ、つまりね。キミをモデルに新刊描こうって思ってね」
何で?訳が分からず固まってる俺に構わず、刑部姫ちゃんは語り続ける。
「キミって思ったより色んな人と関わりあるんだね?うんうん、いいもの見させてもらったわー」
「どうする?燃やす?」
ジャンヌオルタが俺に聞いてくる。わー!と刑部姫ちゃんが原稿用紙を庇うようにテーブルにしがみついた。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさぁい!もうしませんからぁ!命(原稿用紙)だけは!命(原稿用紙)だけはぁ!」
「燃やさない!燃やさないから!」
「あらそう。じゃ、どうするの?」
慌てる刑部姫ちゃんをしり目に、ジャンヌオルタがお茶を啜りながら言う。どうするも何も、視線の犯人も分かったし、本人も反省してるみたいだし、一応理由?も分かったから、もう何も無いんだけど…。
「えっと…」
「うぅ〜」
涙目の刑部姫ちゃんが上目遣いでこちらを見ていた。こんな状態の彼女に、厳しい事を言えるわけが無い。なんか締切明日らしいし。
「もう今度からしないなら、別にいいよ。それより締切、大変なんだよな?その、俺で良ければ手伝うけど…」
「うそぉ!?」
ガバッと起き上がった刑部姫ちゃんが俺の手を握って近づいてくる。近い、近い。
「かみさま?」
「馬鹿でしょ…」
隣でジャンヌオルタの呆れた声が聞こえた。そう言えば、ここまで連れて来てくれて付き合ってくれたお礼をまだ言っていなかった。刑部姫ちゃんの手をやんわり解いて、ジャンヌオルタに向き直る。
「ありがとう、ジャンヌオルタ。やっぱりジャンヌオルタの所に行って、正解だったよ」
「…そう言えばあんた、何で真っ先に私の所に来たわけ?」
そう聞かれて、自分でも考えてしまった。とにかく安心できる所に行きたかったから、深く考えてなかったんだけど。
そう言えば、ぐぅ、とジャンヌオルタが仰け反る。
「私の傍が…安心するですって…?」
やばい、怒らせてしまった。怒声を身構えて目を瞑るけど、いつまで経っても続く怒鳴り声は聞こえない。恐る恐る目を開けると、ちょっと顔の赤いジャンヌオルタが、嫌そうにそっぽを向いていた。
「………原稿何枚残ってんのよ」
「え?えっと…じゅ、12枚…え?まさか、手伝ってくれるの?」
「うっさいわね!ここで私だけ帰ったら気分悪いじゃない!ほら、そうと決まればさっさとやるわよ!アンタらさっさと座りなさい!」
刑部姫ちゃんと顔を見合わす。いいから早くしなさいよ!とまくし立てられて、慌てて2人とも座り直した。
「指示!」
「あ、じゃ、じゃあ、ここ消しゴムお願い!」
「はい!」
締切は明日のお昼。3人なら、余裕で間に合うだろう。そう思っていたけど、結局夜の締切ギリギリまで俺達の戦いは続いた。


「あ、名前さん、こんにちは」
呼ばれて振り返る。いつも通りの人懐っこい笑みで、こちらに駆け寄って来た。俺も安心して傍に寄る。
「こんにちは、マーちゃん……………」
「……………マーちゃん?」
やってしまった。原稿中、話をする刑部姫ちゃんがしきりに立香くんをマーちゃんマーちゃんと呼ぶので、つい言ってしまった。
言い訳も出来ずに後ずさる。と、何故かニヤニヤした立香くんが詰め寄ってくる。
「はい、マーちゃんです」
「ぬぅぅぅ」
これは暫く遊ばれる。俺は心の中で、刑部姫ちゃんに文句を言いまくった。