初めて会ったのは彼の診察室で、酷く落ち込んでいた俺に戸惑いながらも、俺が話す一語一句に耳を傾け丁寧に言葉を返してくれたのを覚えている。あの頃は今よりずっと人見知りが酷く、他人の目が怖くて仕方がなくて、ずっと俯いて歩いていた。資料を所長にどうしても手渡さなければいけない事があって、彼女の強気に満ちた目に睨まれるのが怖く下を向いていたら、当然ながら怒られた。「貴方、どうして人と話しているのにこちらを見ないのですか。無礼です」と、ピシャリと言われた。当然、そんなことを言われる俺の方が悪いに決まっているのだが、心が硝子細工だった俺はその一言で馬鹿みたいに情緒が乱れた。まぁ、所長の言葉が決定打になっただけで、当時の俺は今まで過ごしていた環境がカルデアに来たことで大きく変わったことや、自分の人見知りがここまで酷かったという事への自己嫌悪が溜まりに溜まっていて、遂にその場で泣いてしまったのだった。
突然泣き出した俺に所長はドン引き。それに対しすみませんしか言えずにいると、苛立った所長が俺の腕を引いて、彼の居た診察室へ放り込んだ。
「そんな状態でこの私のカルデアに居られては困ります。ここに呼ばれたのだから、それなりの技量はあるのでしょう。捨てられたくなければ、どうにかしなさい」
カツカツと靴の音を響かせ、彼に俺を押し付けて所長は行ってしまった。思えば、彼女との会話らしい会話はこれきりだった。
「ええと…僕今、おやつタイムだったんだけどなぁ。悪いけど君、後にして…って、泣いてるの?!」
棒立ちで静かにひたすら泣いていた俺を見たドクターは、ちょっと名残惜しそうに食べていたケーキを横に置いて椅子に座り直した。向かいの椅子に俺も座るように促す。
「事情を聞こうかな。ゆっくりでいいから、一緒にお話しようか」
とても穏やかな笑顔だった。自然と口からこぼれ出した感情を、ゆっくり頷きながら聞いてくれた。彼の暖かいオレンジの髪が、ゆらゆらと揺れていた。それが、ドクターとのはじめまして。そんなに遠くもない、昔の話だ。
「うん、今月もいい感じだ。体調も悪くないね。名前くんはいつも無理をするからなぁ」
ドクターはそう言って、カチャカチャとパソコンに何かを打ち込んだ。いつもいつも診察のたび、パソコンに何かを入れているのだけど、何を書いているのか全く見せてくれない。前にふざけて覗き込もうとしたら「ダメダメ!企業秘密!企業秘密だよ!」とか訳の分からないことを言ってパソコンを閉じられてしまった。
そこまで興味は無いので深追いはしなかったけど、最近なんだかやっぱり気になって、何書いてるの?と聞いてみたら、
「ないしょ」
とこちらを見てはにかんでいた。
「それにしても驚いたなぁ。ここで診察するたんびにぽろぽろ泣いてたような子が、こんなに色んなスタッフや英霊たちと関われるようになったなんて…」
「そ、そんなには泣いてないよ」
わざとらしく泣き真似をして言うドクターに、自分でも思い返して恥ずかしくなった。
「名前くんて一体いつからあんなに泣き虫だったの?」
「泣き虫…」
ムッとして睨むけど、ドクターは気にせずニコニコしている。記憶の隅をつつくと、答えは簡単に出てきた。
「俺の家、猫いたんですよ、小さい時」
どんな猫だったかも思い出せないくらい小さい時の話だ。世話はほとんど姉がしていたけど、俺も頭をよく撫でたり後を追いかけ回して遊んでいたりしていた。凄くかわいがっていたのを覚えている。
「その猫が、ある日急にいなくなっちゃって。姉ちゃんとかに聞いても、そういうもんだって、もうそろそろだと思ってたから、って言われたんです」
でも、そんなんじゃ納得できなかった当時の俺は、猫を必死で探し回った。お腹を空かせて震えてるんじゃないかと、気が気じゃなかった。
「で、結構探したんですけど、やっぱり見つかんなくて。どこにもいないって姉ちゃんに言ったら、もうバイバイなんだよって言われて。なんであんなに一緒にいたのに、お別れも言ってくれないんだろう、ってすごい落ち込んだんです。それからかもしれないですね、ことある事に思い出して泣いて、気づいたらちょっとした事で泣いてましたね…」
話を頷きながら聞いていたドクターは、「そっか」と返した。
「だから俺、誰かと別れる時に挨拶がないとすごい不安になるんですよね。もしかしたら、もう会えないかもしれないじゃないですか。だから、じゃあね、とか、またね、って言いたいんですよね」
「なるほどね。でも、もしかしたら、今の名前くんなら、もう大丈夫かもよ」
言葉の意味がよく分からず、首を傾げる。不思議がる俺に、ドクターは穏やかに笑いかけた。
「君はもうあの時の、泣き虫で人見知りの名前くんじゃない。だがら、きっと大丈夫」
ね、と言って笑うドクターに、恥ずかしくなってそっぽを向くと、「すぐ照れちゃうのは一生治らなそうだけど」と付け足された。