2日前のことだ。ダウィンチちゃんに呼び出された俺は、今まで通ったことも無い通路を通り、知らない部屋で、見たことも無い箱を見せられた。
なんだこれ、鉄の塊?にしては大きい。ぽかんと口を開けていた俺にダウィンチちゃんはニコリと笑ったが、どうにも冗談で作った玩具を見せているような雰囲気ではない。と、思う。たぶん。やりかねないからこの天才。
「えっと、なんです?この塊」
「保険だよ。大事だろ?保険は」
含みがある言い方で、ぽんぽんと堅牢そうな機体を叩くダウィンチちゃんは、腕を組んで話し始めた。
「緊急脱出用のポッドだよ。査問会でもしもの事があったら…とかまぁ、そんなんさ」
「え…そんなモノまで?」
なんとなくの不安が、その一言で、絨毯に零したコーヒーのようにジワジワと広がっていくのがわかる。もしも、もしもってなんだ?
ダウィンチちゃんがふざけてこんな物を作るわけがない。何か、俺の知らない、不吉な予見があるとしか。
「そんなにシリアス顔になるなって。可愛い顔が…うぅん、いや、そんな顔も可愛いけどね?」
「なんなんですか、本題言ってください」
「照れるな照れるな〜。ま、ちょっとこっちも色々コミコミでね?猫の手も借りたいのさ、君の手はもっと助かるけどね」
「俺でよければ…」
「ありがとう。そう言ってくれると思ったよ。実の所、コイツの存在は私と君と、あと、そこの中で作業中の男しか知らないものさ。くれぐれも、内密にね。君なら大丈夫だと信じているよ」
「プレッシャーに弱いから死にそうなんだけど…」
「生きろ、そなたは美しい!」
「やめて」
「でも私の方が美しい!」
「やかましい」
「仲が良いところ大変申し訳ないがね、そろそろいいかな」
いつ現れたのだろうか、落ち着いた、それでいてよく響き、耳に残るような声が聞こえた。
涼し気な表情の、冷たい印象がする色男だ。彼は俺とダウィンチちゃんの方を見て、俺の方についっと視線を流した。
「ふむ」
値踏みされている、と言うより、観察されているという方が正しい気がする。彼はじっ…と数秒俺を見つめて、ダウィンチちゃんに声をかけた。
「他ならぬレオナルドダウィンチが認めた者に異論はないが、一応確認だ。彼は大丈夫かい?」
「何度も言わせないで欲しいな。大丈夫だよ。ね、名前くん?」
「ひゃい…」
「ほぅらね!」
「顔が赤いな。冷や汗もかいているが」
「それは君がジロジロと見るから!ほら、やめやめ!」
「それは申し訳ない。性分でね」
ようやく舐めるような視線をやめてくれて、内心ほっと胸をおろした。ただ見られるのならまだ良かったが、何だか胸の内を抉られるような錯覚を起こすくらい鋭利な視線だった。知られたくないことまで分析されたような気分だ。
「このデリカシーのない男と作業してもらうのは大変申し訳ないけどね、私はやる事が山積みすぎて、流石の天才も肌ツヤが通常より若干悪い」
「え、そう?」
「そうそう、触ってみる?」
「(ほっぺぷにぷに)分かんないな」
「じゃあ大丈夫だ!」
大丈夫なんかい。ダウィンチちゃんと遊んでいたら、やりとりを黙って眺めていた男が僅かに口元を緩めた気がした。…いや、待て、今更だけど、もしかして。
「…シャーロック、ホームズ?」
「ご名答」
今度は爽やかに笑った男の顔は、確かに管制室でモニター越しに見た顔だ。細身の体にオールバック、探偵帽もパイプも咥えていないが、今にも館の住人を呼び出して「それでは推理をはじめよう」と言い出しそうだ。
「英霊はみんな退去したはずじゃ…」
「そ。だからこれも"保険"だよ」
ダウィンチちゃんはそれでも笑って話していた。多分、少しでも俺を安心させる為だったんだと思う。
「よろしく頼むぜ、名前くん」
信頼を寄せてくれる稀代の天才に、少しでも応えようと、俺は何とか頷いて見せた。