如何に多少なりとも人見知りを克服したと言っても、あくまで多少は多少であって完全ではないのだ。
この彷徨海、ノウム・カルデアに来てからというもの、なんだか右も左も初めて見る英霊ばかりになってきた。いくらか見知った顔によく似たサーヴァントも見たけど、なんか雰囲気とか、装いが違うし。そういうのってやっぱり、水着の時みたいなのと同じなのかな…、ジャンヌオルタは水着でもあんまり変わらなかったけど。その中でも特にやりにくいのが、新しく医務班に加わったアスクレピオスというサーヴァントだ。彼、コワイ、とてもコワイ、スゴくコワイ…。
「コワイ、トテモコワイ」
「はっはっは、名前くんがアンドロイドのようになってしまった」
医務室への道をホームズのコートに掴まって、重たい足を引きずりながら歩く。ホームズは割りと涼し気な表情だが、どことなく彼もその足取りはいつもより遅い気がする。
「なに、君のはただの定期診断だろう。私は完全なる呼び出し、お叱り確定だ。参った参った」
「心当たりは?」
「なにかな。健康に良い最高の薬なら大体毎日やっているのだが」
「…………」
「はっはっはっはっは」
笑ってる場合か。もしかしてもう打って来てるんじゃないだろうな。掴んでいたコートの袖を離して少し距離を取ると、ホームズは少し眉を下げて寂しそうな表情をした。
「冗談さ。毎日というのはね」
「フォローになってない…」
こんな状況下だし、ホームズの気持ちも分からなくもないが…やっぱり薬は良くないだろう。英霊にはどうなのかは知らないが。
「ところで、君はどうしてそんなにアスクレピオスに怯えるのかな」
「どうしてって」
「遅い」
「ワァーッ!?出たーッ!!」
「おっと」
突然の登場に思わず本音が出てしまい、半泣きでホームズに必死でしがみついてしまった。長い袖の白衣で腕を組み、眉間に皺を寄せたアスクレピオスが、さらにすごい剣幕になっていく。
「なかなか来ないと思ったら、チンたらチンたらミミズのように…愚患者ども、さっさと歩け。その脚は飾りか?」
「ずびばぜん」
「先生自ら出向いて来させてしまったようだ。名前くん、腹を括りたまえ」
「言っておくが括るべきなのは貴様の方だぞシャーロック・ホームズ」
「ふむ……」
見上げると、ホームズは肩を落とし、明後日の方を向いて目を逸らしていた。大丈夫だろうかこの経営顧問。
「……よし、いいだろう。若干の寝不足、栄養不足は自覚を持て。それ以外は問題は無い。つまらないな」
いいんだか悪いんだが、喜んでくれてるのか残念がられているのか。分かりにくいが、検診は合格だったらしい。タブレットを指で操作しながら不機嫌そうにアスクレピオスが椅子のキャスターを鳴らす。
「…………」
そして沈黙。俺と同じように人見知りや会話が苦手な人なら分かってくれると思うが、この沈黙というのは慣れていない相手となると物凄く耐え難いもので、たとえ話すのが苦手だとしても、俺のような人間はむしろ沈黙に耐えきれず、慣れない会話を試みてしまう。そして幾度となく失敗を繰り返してきたのだが。
「あ、の…その」
「…………」
「あー、ホームズは?」
「アレは今ナイチンゲールが対応している。見るか?なかなか面白いぞ。見てる分にはな」
「やめときます」
即座にお断りをしておいた。残念ながら俺にできることは無いだろう。ごめんホームズ。
会話が途切れ、またも沈黙が訪れる。俺がアスクレピオスを苦手な理由のひとつは、やたらとこの時間が長い気がするからだ。ただ無意味に黙って見つめられている、と言うよりは、こっちを見て考え込んでいるような気がするので「もういいですか」とかが言い出しにくい雰囲気なのだ。
「…まぁいいだろう。帰っていい…」
「!」
「というのは嘘だ」
「何故!?」
上げて落とされた。愕然としている俺を無視して、アスクレピオスは立ち上がりベッドルームのカーテンを開けた。その脇で、なにやらカチャカチャ準備をし始めている。俺は音をたてないよう、アスクレピオスが後ろ向いているうちに忍び足でドアへ向かう。
「逃げるなモルモット」
「患者です!俺は患者です!」
「残念だがそのフェーズはもう終わりだ。貴様は今からモルモット、この新しい鎮静剤を試させて貰うぞ」
「職権乱用〜!」
こっちを見もせず逃げようとした俺の腕を掴みあげて、ズルズルと引きずるようにベッドの方へ引っ張られる。俺がアスクレピオスを苦手な理由その2、患者として以外だともう完全にモルモット扱いされることだ。これは俺の自業自得でもあるのだが、散々注意されていた勤務時間を破り隠れて作業していたところをエミヤにつまみ出され、呆れたアスクレピオスから「次に医師の指示を無視したのなら、貴様をモルモットにしてやる」という脅し文句を頂いた後、見事その通りになってしまったという訳だ。いやぁ〜、いいじゃないですかね、3時間くらいね、部屋で作業してただけなのにね。今流行りのリモートワークだったのにね。ちなみに、最後は見かねた立香くんからの報告だったらしい。裏切り者ォ!
「死にたくないです…死にたくないです…」
「安心しろ、死にそうになったら治療してやる」
「ヤダー!ここだけで治療と実験の機関が完成してるよー!」
今までこの臨床実験で、命に関わるような何かになったことはないが、命に関わるほど恥ずかしい思いをしたのは幾つかあったので本当に嫌。
「俺人間なんだけど…英霊ほど頑丈じゃないんだけど…」
「お前は薬の効きがいいからな、反応が見やすくていい」
「鬼」
大人しくしてろ、と言われ逆らえるはずもなく、腕に微かな注射の感覚がした後に直ぐに瞼が重たくなった。なんだろう、大した副作用じゃなきゃいいな…もう幼児退行も女体化もこりごりだよ…。せめて発熱作用ぐらいなら…いやあれもキツいんだけど…。
「…寝たか」
すぅすぅ寝息をたてて、名前はベッドに身を沈ませ眠りについていた。若干の寝不足、ではなく明らかな寝不足に、慣れない人間関係からの多大なストレス。
「…はぁ、つまらんな、凡庸な症例すぎるが…」
カルテを読みながら、アスクレピオスはタブレットを操作しフォルダを開いた。几帳面に分けられた過去のカルテと、それを作成した人物が書いた所感のようなメモ。自分のものとは違う、やや感情的に寄った診断結果の羅列。
その中にある名前のカルテのフォルダを開け、指で上から下まで何度目かの流し見をした後、そっとタブレットの電源を落とした。
「…引き継ぐと決めたからな」
アスクレピオスはそう呟き、そっと音を立てないようベッドから離れ、静かにカーテンを閉めた。