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針に糸を通すだけで10分かかった。どうやら俺には裁縫のセンスが皆無らしい。3回ぐらい軽く針の先につつかれた人差し指を擦りながら、パリスちゃんに貰った、綿のとび出たアポロン様ぬいぐるみを見つめて思わずため息をついてしまった。

英霊の皆って、毎日思ったよりもあちこちどこかへ行ってしまっているようで、決まった場所に必ず居る、というのはなかなかないみたいだ。だからいつも管制室とか、カルデアの廊下を行ったり来たりしているだけの俺に、パリスちゃんはあれ以来よく話しかけてくれるようになった。お兄さんであるヘクトールさんが捕まらずに寂しいようで、少し話を聞いてあげただけだと思うのにえらく懐かれてしまったようだ。あげます!沢山いるので!と以前あれだけ怒っていたのにも関わらずアポロン様ぬいぐるみを1つ分けてもらってしまった。確かに可愛いけど、正体を知ったあとだと少し気後れする。ただパリスちゃんが近くにいない限り、本当に普通のぬいぐるみらしいので、寝る前とかにちょっとふわふわさせて頂いている。本当に柔らかい。

と、ここまではいいのだが、問題はついさっき起こった。

部屋がノックされ、アスクレピオスが俺を訪ねに来たのだ。俺は彼の医療ブラックリストに入っているらしく、時折こうして抜き打ちで様子を見に来られることがある。その時珍しく俺は業務の間に昼寝を挟もうとしていて、腕には絶賛モフり中のアポロン様ぬいぐるみが抱かれていた。
「なんだ………貴様………それは………」
完全に据わった目で俺の腕の中のアポロン様ぬいぐるみを見下ろすアスクレピオスに、ひょえ…と小さく悲鳴を漏らしている間に、俺の腕の中からアポロン様は消えていた。突然のふわふわの喪失に、俺は「あれ?」と辺りを見回したが床に落とした訳ではなかった。
「フンッッ!!!!」
「ぬぇーーー!?!?」
正解は、アスクレピオス先生の手の中でした〜。そして細く見える腕のどこにそんな力があったのか、アポロン様ぬいぐるみがビリビリと音を立てて裂かれそうになっていた。
「や、やめてーーーーっ!?」
「離せ!ガン細胞の切除中だぞ!」
「切除されてるのはアポロン様の布地だろ!?」
急いで止めに入ったものの、既にアポロン様は3cmほど頭から裂けていた。とんでもねぇ、天罰が下るんじゃとその場に崩れ落ち裂けたアポロン様を見つめていたら、チッ!と盛大な舌打ちが降ってきた。
「さっさとそれを可燃ごみとして捨てろ。それか今すぐ燃やせ」
「バチあたりすぎる!!」
できるかそんなこと!と睨み返せば、なんだか少し怯んだような顔でアスクレピオスが固まった。
「………捨てろ」
「い、嫌」
パリスちゃんから貰ったものだし。ていうか本当に天罰きそうだし。
そうは言ってもアスクレピオスの事なので、このまま力ずくでポイとゴミに出されてしまうのではとハラハラしていたら、予想外にもアスクレピオスは立ち尽くしたまましばらく動こうとせず、ただじっと俺を睨みつけているだけだった。
「………フン、勝手にしろ」
怒って、そしてどこか拗ねたような態度でそのまま部屋から出ていってしまった。残されたのは座り込んだまま綿のとび出たアポロン様ぬいぐるみを抱きかかえた俺。
「………縫えるかな…」
針と糸どっかにあったっけ?俺はゆっくり立ち上がり、そうして冒頭に至る。


「縫えねー…」
人間、チャレンジが大事。やってみることは悪いことではないけれど、得手不得手というものはどうしてもあるのだ。俺は壊滅的に縫い物が出来ないということが分かった。
ぴょんぴょん飛び出て不格好な縫い目から、隠しきれない内容物(綿)がはみ出している。天罰は免れそうにないが、努力は認めて欲しい。そんな感じだ。
「パリスちゃん、悲しむだろうな…」
綿の飛び出たアポロン様を抱えて、瞳をうるうるさせて悲しむパリスちゃんを想像してまた項垂れる。何よりも、俺なんかのために大切なアポロン様を預けてくれたその気持ちを裏切ってしまうと思った。
膝を抱えたまま、不格好なぬいぐるみの患部をさすっているとまたもやノックの音が響いた。返事も待たずに勝手に扉が開くと、そこにはさっきと同じくアスクレピオスが立っている。
「………」
「も、燃やさないでください!」
今度は物理的に焼却処分しに来たかと思い咄嗟にアポロン様を後ろ手に隠すと、あからさまに不快そうな顔をされた。
「今縫ったばっかりなのにー!」
「……縫ったのか」
「あ、いや、縫ったというか…これを縫うと言っていいのかはなんとも言えないんだけど、って、ちょっ!ちょっと!」
突然近づいてきたアスクレピオスが、後ろに隠していたアポロン様をひょいと奪い取る。返してと手を伸ばすと、頭に手を乗せられて動きを封じられてしまった。
「ぎゃーっ!返して!」
「……フッ」
鼻で笑われた。
「なんだこれは。お前が縫ったのか」
「そうだけど…」
「下手くそだな」
俺は膝を丸めてベッドに潜り込んだ。泣いてなんかいない。男の子だもん。
そうして不貞腐れている間も、アスクレピオスが部屋から出ていこうとする様子はない。そのまま俺のベッドの傍で何かをしているようだった。
「おい、出来たぞ」
3分くらいだろうか。被っていた掛け布団をめくってアスクレピオスが覗き込んできた。不貞腐れている俺と目が合うと、「フッ」と再び鼻で笑われた。
何が?と聞こうとした瞬間、何かを顔に押し付けられる。ふわふわ。そんでモコモコ。手に取って確認するまでもなく、アポロン様だ。
五体満足で焦げてもいないアポロン様人形だ。何事もなく返してくれた事に首を傾げていると、アスクレピオスが部屋の入口に向かって歩き出す。もう用は済んだのだろうか?
「…それでいいだろう。許せ。いいな?」
そう言って返事も待たずに出ていってしまった。なんの事か分からず、無意識にさっき縫ったアポロン様の傷口を指でなぞると、ボコボコした凹凸が消えている。
「ん?」
傷口がない。というかさっき俺の縫った不格好な糸の跡が綺麗さっぱりなくなっていた。
不思議に思いよくよく目を凝らしてみると、じっくり見なければ分からないほど小さく、そして均一に、綺麗に糸で縫われた跡が微かに見えた。
「………縫ってくれたのか」
縫い目を指でなぞる。そうか、彼は医療技術として患部を縫ったりするのもお手の物なのだろう。流石の技術だ。
「………」
なんだかんだ言って、こういう所があるから嫌いになれない。今度の検診では、なるべく彼の指示に従っていい結果を出してあげようかな。破かれたり不格好に縫われたり、そしてまた縫い直されたりと忙しかったであろうアポロン様ぬいぐるみを抱きしめながら、そんなことを思った。