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「あだっ!つぅいって〜…」
思いっきり打ち付けてしまったおでこを押さえしゃがみこむ。こういう、予期してなかった不注意の鈍痛って徐々に徐々に痛みが増してくるし自分の注意力の無さにじわじわ心まで痛くなってくる。まさにダブルパンチ。俺はKO負け。
体と心の痛みに涙を流していたら、ふと横に人の気配を感じた。患部は両手で抑えたままチラッと横目で気配の元を探ると、見えたのは褐色の肌。俺と同じ目線に合わせるためかしゃがみこんでこちらを見るその人物は、顔までは見えないもののどこか不思議そうに首を傾げているような気がする。
この体躯と肌の色、アルジュナだろうか。それにしてはいつもと服装が違って見える。あと気のせいか、背中に大きなしっぽがゆらゆらと揺れている気もする。額を打ち付けて脳がイカれてしまったのだろうか。困る、それは困るぞ。
「大丈夫ですか?」
ほら、アルジュナの声だ。俺が無様にも落とした資料を拾おうとして上の棚に額をぶつけ痛みに悶え泣いているのを心配してくれたようだ。ありがとう、なんて優しいんだ。頼むから忘れてくれ。
「大丈夫、ちょっとぶつけただけ、平気平気」
「そうですか?涙が出ているように見えます」
「違うぞ、これはアルジュナが心配してくれて嬉しいから泣いているんであって、決して痛いとか情けないとかで泣いてるんじゃないぞ。嬉し涙だから」
「そうなのですか?なるほど…そんなに喜んで頂けるとは……。不思議な方ですね」
そこで、さらに違和感を覚えた。アルジュナにしては、なんだか幼い返答だ。最近では少し心を開いてくれたのかそういった面も見え隠れするようにはなってきているけど、ここまであどけなく話すのはなかなかだ。そして更には、幻覚でなければ彼の背に見え隠れしているしっぽ。もしかして、もしかすると。
「…………」
「……………?どうしました?私の顔に……何かついていますか?」
本来のアルジュナには付いていない猫耳のような器官としっぽ。少しハネた黒髪を揺らしながら、アルジュナオルタはまた首を傾げていた。

「おでこをぶつけたのですね」
「うん。まぁ、本当に大した事ないよ。ゴメンな、大袈裟で」
「座りこまれていましたから、気になりまして」
そうは言ったものの未だにズキズキ痛む額を擦りながらアルジュナオルタに事の顛末を話すと、こくこく頷きながら話を聞いてくれた。その体は羽もないのにふわふわ浮いていて、まるでここが宇宙空間であるように無重力だ。神秘的なオーラと人ではないモノの威圧感こそ感じるが、なんだか話し方と物腰のせいで、どことなく幼子のような印象を与える。俺が話す度、その大きな黒い瞳が、幼稚園の先生の話を真剣に聞く園児のように真っ直ぐこちらを見る。少し気恥しさまで覚える程だ。
「しかし…赤いですね。やはりまだ痛むのでは?」
押さえている指の隙間を覗き込み、なおも心配してくれるアルジュナオルタに少し後ずさる。
確か、彼は召喚された最初の頃はこの姿ではなかった。白い髪に灰色の肌。無機質で機械のように返答をするサーヴァントだったような気がするのだが、さすがは立香くんである。いつの間にこんな変貌を遂げさせていたのだろう。
「えっと、大丈夫だよこんなん、ほら、痛いの痛いの、とんでけーっ、つって…」
いや、流石にそれはこの歳でキツいか。自分がやった事の幼稚さに恥ずかしくなってきて語尾を小さくしていると、アルジュナオルタは目をぱちくりさせながら固まった。
「なんと、そのようなことが?」
「え、いや」
「あ、しかし、飛ばした痛みはどこへ行ってしまうのでしょうか?誰か他の人へぶつからなければいいのですが……」
可視化できない俺の飛ばした額の痛みをキョロキョロと目で追おうとするその姿に、罪悪感がのしかかる。うそ、やだ…この子、大丈夫?守らなきゃダメじゃない?俺今自分の中に母性を感じた。
「あ」
何かを見つけたのか、俺の背後に目線を向けアルジュナオルタが更に目を丸くする。俺も慌てて後ろを振り向くと、そこには何故か俺と同じように大量の資料を抱えたカルナが立っていた。
「また雑用してる!」
「名前か。違うぞ、これは俺から声を掛けたのであってだな」
「カルナ…」
「……む」
アルジュナオルタの表情が険しくなる。鋭くカルナを睨みつけ、カルナもすぐに表情を硬くした。オルタといえどアルジュナはアルジュナ、これはまずいかと身構えた時、アルジュナオルタが真剣な顔で口を開いた。
「動かないでください」
低い声でそう言い、カルナに制止を命じる。カルナが眉を潜め、口を開こうとした瞬間───。

「"痛いの"に当たりますよ!動かないで!」
「む?」
「え゛」
何を言い出すんだ。カルナも拍子抜けしたように困惑の表情を浮かべ首を捻った。対して、アルジュナオルタはやや慌てたように至って真面目な声で俺たちに注意を促す。
「今、名前さんが自ら受けた傷の痛みを、この空間に放ちました……恐らくまだ近くに居るはずです」
すみませんそれまだ俺のデコに在住してます。
「なん…だと…。名前、お前はそのような事まで出来たのか………」
すみません、出来ません。許してください。
「ここは危険です…!」
「ふっ…俺を見くびるなよアルジュナ」
「なんですって?」
「確かに俺の目にも、"痛いの"の姿は見えん。だが……避けきって見せよう、そしてこの資料の束を、管制室へと届ける……!!」
「なんと………!!」
「許して……許してください………」
2人が見えない痛みとの攻防を繰り広げる中、俺はもはや額の痛みなどどうでもよくなるほどの罪悪感で涙を流した。俺は途中から何故かカルナに持っていた資料ごと抱えられ、無駄なアクションを繰り広げる中管制室へと辿り着いた道のりは、今までに体感したことの無い長さだった。2人はすごいやりきった顔をしていたが。
うん、ほんと、今度謝りに行こう。