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なんだか今日はむちゃくちゃに、もうめちゃくちゃにカレーが食べたい。
いつもは食べるという行為さえ面倒で、栄養補給食品をバリバリジュルジュル雑に吸収して済ませているが、なぜだかもう今日は数時間前からカレーが食べたくて仕方ない。カレー。カレー。日本のカレーがいい。甘くてスパイスは控えめ、細切れの豚肉がまばらに入った、野菜の主張があまり激しくない感じの…。
「カレーが食べたい…」
「食堂行け」
俺の無意識に零れた独り言に、隣で作業をしていた友人が視線もよこさずに言ってきた。カチャカチャと鳴るキーボードの音は最早耳に慣れ親しんでいて、今では部屋に一人でいてもどこからか鳴っている気がするほどである。病気かな?
「まだ仕事残ってる」
「残ってねーよ。お前の分は。やり過ぎなんだよはよ行け」
そうは言っても友人が隣で作業をしているのに、カレ〜!と叫んでスキップで食堂には行きたくない。別に仲良く並んで食べたいからとか言う訳では無いのだが、俺1人だって抜ければ痛手になるだろう。あー、とか、うー、だとかふにゃふにゃした何かを発しながら動かずに作業を続ける。
「動かない気だな」
「………」
顔は見ない。モニターに集中だ。画面。流れる数字。カレー。キーボード。カレー。モニター。カレー、カレー、カレー…。
「カレー…」
「もしもし、ドクター?はい、管制室です。ええ、患者が一人。名字名前くんです。この間のように運搬お願いします」
俺はお疲れさまでーす!と吐き捨て急ぎ足で食堂へ向かった。

割と必死で食堂に辿り着くと、そこは人っ子一人いなかった。それも当然で、今は明け方だ。朝食にはまだまだ早い。がらんとした食堂をただ真っ直ぐに厨房へ突っ切って行く。カレー、作れるかな?別に料理は得意でも苦手でもない。レシピがあればまぁ人並みに作れる。そもそも材料があるのかも分からないのだが。
厨房へ近づくと、カチャカチャと食器の音がしてきた。食堂は無人だが、どうやら厨房はこの時間から忙しくなるようだ。誰が頼んだ訳でもないが、召喚された藤丸くんのサーヴァントの中には、厨房を我が城だというくらい張り切って治めてくれる英雄がいる。厨房の英雄である。
彼らの城に踏み入るとそこに居たのは、肌色が8割りを占め直視するにはこちらが恥ずかしい、でも視線が吸い寄せられてしまう、そんな服装の綺麗な女性だった。
「あれ?こんな朝早くに来ちゃったの?こらこら、朝ごはんには少し早すぎるんじゃない?」
鮮やかな赤い髪が、デジタル画面に疲れた目にはチカチカした。オタマ片手にそう笑ったのは、厨房を治める王の1人、ブーディカさんだった。
「えっと、カレーが食べたいんです」
「え?カレー?朝から?」
「はい…」
カレーか〜と、オタマを持ったまま腰に手をあてて、うーんと彼女は唸った。彼女に対するイメージは、なんというか失礼な話だが友人のお母さんという感じだ。こう、友達の家に遊びに行ったら、あら、今日も来たの?いらっしゃい!と微笑まれて…まぁ、この話はまた今度にしよう。
「にゃきり」
「ひっ」
俺の妄想がブーディカさんとのドキドキ出会い編から授業参観編へ移ろうとしていたら、目の前のシンクからよく分からない効果音とともに猫の手が生えてきた。その手はシンクのヘリを掴んだまま、「にゃにゃんにゃんにゃにゃん、にゃにゃんにゃんにゃにゃん」という謎のメロディを口ずさみながら、ふわふわの耳からピンクの髪へと、じわじわと姿を現してきた。
「ワオーン!(猫)」
支離滅裂の擬人化みたいなのが、シンクの下から姿を現すなり両手を上げて鳴いた。厨房四天王の1人のタマモキャットはなぜだか分からないがシンクの下に隠れていたらしい。いや、ホントに何で?でも考えるだけ無駄な気もする。
「キャットに良い考えがあるぞ若造よ」
「あれ?本当に?」
ブーディカさんはタマモキャットの提案を嬉しそうに聞き返した。俺としては、え?大丈夫なの?という感じなのだが、このままブーディカさんの可愛い困り顔を眺めているだけというのもいけないと思っていたので、大人しくタマモキャットの方に向き直った。
「…………」
「…………」
………なんでじっと見つめ返してくるの?何秒か負けじと見つめ返してみるも、だんだんと顔に熱が集まってくる感覚に耐えられなくなりバッと逸らしてしまった。
「うむ、キャットの勝ち猫である」
「いやいや、何それ」
俺の気持ちはブーディカさんが代弁してくれた。全然面識のない人間(?)との見つめ合いは俺にはハードルが高すぎた。
「君子曰く、"かわいい子には優しくせよ"と言うではないか」
「う〜ん、言ってないんじゃないかなぁ」
言ってないと思う。キャットは俺をひとしきりからかって満足したのか、向こう側にあるシンクの小鍋を大きな猫の手で指さした。
「ん?キャットちゃんがさっきなんか入れてたやつ?」
「おうさ。玉ねぎ人参じゃがいもキャットの愛情がグツグツに煮詰まっている」
スープだろうか?しかし量としては、ここの厨房に訪れる人数に相応しくない。ともすれば数人分くらいの量ではないだろうか。
「いやな、温かいスープを寝不足のマスターにでもご馳走してやろうと思っていたのだが、カレーでも問題ないであろう。ほら、字数も同じだし」
ニアピンにもなっていないと思う。というか、寝不足にカレーはどうなんだ?
「寝不足にこそカレーでは!?」
カッ!と牙をむくタマモキャット。もうダメだ。そういえば、バーサーカーだもんね…。
しばらくあーだのこーだの言い合う俺たちを見守るように眺めていたブーディカさんは、腰に手を当て「あはは」と笑った。
「うん、いいんじゃないかな。同じ同じ」
「えっ」
「うむ、ワンダフルな判断。さすがは我が戦友〈とも〉…」
まさかの加勢である。ブーディカさんにそう言われてはなんとも言えない。というか、率直に言って俺もカレー食べたい。藤丸くんには悪いけど、朝カレーを共にしてもらおうか…。
「というわけで、マスターへの配膳、頼んだのだぞ」
「え」
わけも分からずタマモキャットを見つめたら、デジャブというか、またしてもじぃ〜っと見つめ返されてしまった。慌てて視線を逸らすも顔はたぶん赤くなってしまっているだろう。俺は学習能力がなかった。
「藤丸くんには、タマモキャットが行けばいいと思うんだけど…」
というかそれが目的なのでは?藤丸くんは彼らのマスターだ。誰もが藤丸くんを、素直な者ばかりではないにしろ皆が皆、好ましく思っているように見える。時には取り合いにまで発展しているし。
「無論。そのつもりであったが、キャットは今や厨房の猫。リストランテカルデアの看板犬なのでな」
全然意味は分からないが、たぶん何を言っても無駄だろうなというのは分かった。さっきはなんだかんだ言い合いもしてしまったが、俺に拒否権はない気がした。勝てる相手ではない。
そんなことを考えているあいだにもスープはてきぱきとカレーに進化していた。あのフワリと香るスパイスの匂いが、俺のカレー食べたい欲をどんどん肥大化させていく。なんかもうカレー食べられれば何でもいい気がしてきたな。
結局、俺はタマモキャットのよく分からない理論と、何故か途中から加勢されてしまったブーディカさんに行ってらっしゃいと見送られて、カレーの入った小鍋と炊きたてのお米をお皿に乗せた台車を押して藤丸くんのいるであろう部屋へと向かわされていた。
……あれ?ていうかひょっとして、これ、2人で食べることになるんじゃ…?





「よかったの?」
名字のいなくなった厨房で、朝の準備を再開したタマモキャットにブーディカは問い直した。タマモキャットの言葉は支離滅裂だが、その行動は決して無意味なものではない。
「うむ」
タマモキャットは自前の巨大な猫の手で器用にフライパン返しを披露しながら答えた。
「四六時中、英雄(かいぶつ)に囲まれているのだ。マスターにも、同族と語り合うアニマルセラピーは必要である」
「うん。そうだね」
普通でありながら、普通ではない世界で懸命に頑張る自分のマスター。
「きっとそうだ」
ブーディカは、いつだって大丈夫だと自分に笑って見せる少年を想いそう呟いた。