バレンタインデー。カルデアでは年に一度のお祭り騒ぎで、どこもかしもこ甘いチョコの匂いでいっぱいになる、特別な日だ。
特に、主役になるマスターの立香くんは、数歩歩けば右に引っ張られ、また数歩歩いて左に引っ張られ、姿を見かけては、その数秒後にはその場から消えている何かの心霊現象みたいになっている。
有難いことに、スタッフの俺らにもその甘い恩恵を受け取る機会があって、今日も朝から食堂では、キッチンカルデアのタマモキャットやブーティカさん、紅閻魔ちゃんやエミヤといったメンバーからのチョコレート菓子を頂けた。とても美味しい。
更には今年もジャンヌオルタに練習で使わなかった部分だからと割としっかりめの量のチョコを貰ってしまった。かき集めて溶かし型に入れて整えてくれたらしい。余り物だからと繰り返していたが、そこまで手をかけてくれているのなら十分な貰い物だ。ありがとうと言うと、照れくさそうにそっぽを向いていた。
それと今年は小さな方のジャンヌからも、小さなカップケーキを貰った。「スタッフさんへ、おっきな私となかよくしてくださってありがとうございます。」と、拙いながらも、丁寧に書かれたであろうメッセージカードも入っていた。これはファイルに入れてしまっておこう。
あとはナイチンゲールさんから、配られた救急キットの中に非常食だとチョコレートが、刑部姫ちゃんからはチョコレートパフェ(なんだかウエハースの量がやたらと多い)、アルトリアから、日頃のおやつのお礼だとすごく高そうな箱に入っているチョコレート(お礼どうしよう)、ダウィンチちゃんとシオンからは労いのチョコレート、同僚の女の子からのチョコ…などなど、他にも意外と戦利品は多かった。
甘いものは好きだし、作業の合間に食べられる物も多いから嬉しい。ただ、貰った分は返すのが筋だろう。今からお返しに悩んでしまう。やっぱり誰かに助けを求めた方がいいだろうか?エミヤに頼るのが1番な気もするけど、彼からも貰ったようなものなんだし、第一、去年も一昨年もそうしてしまったので、今年こそは手を煩わせたくないような気もする。……所長とかどうかな?
そんなことを思いながら、少しいつもより賑わいのある廊下を歩いていると、不意に目の前に2人の人影が道を塞ぐように現れた。咄嗟にすみません、と言って避けようとしたが、「お待ちください」という凛とした声に呼び止められて足を止めた。
顔を上げて、うげ、という悲鳴を何とか喉の奥にしまい込む。もしかしたら表情には少し漏れてしまったかもしれない。ディオスクロイの、兄の方が若干顔を曇らせていた。
いつだかの廊下で鉢合わせた神霊の双子の兄妹だ。妹の方はポルクスで…兄の方がカストロ。前回の邂逅以来特に話す機会も無かったが、当初の冷たい空気が多少なりとも緩和しているのは何となく気づいている。気づいてはいるんだけど、だからと言ってこちらから話しかけることも無いし、あちらもスタッフの俺に用など無いのだろう、これといって、あれ以降接点のない2人だったんだけど。
「おい。妹が貴様に話しかけているのだ。全神経、全細胞を研ぎ澄ませて聞け人間」
「は、はい」
見下されてる、というよりは、睨まれているというほんの少しのニュアンス違いくらいの誤差で優しく感じる目線に恐縮しつつ、頭を下げてポルクスの方を見る。兄と同じ身長で意外と背の高い彼女は、安心させるように口元を笑顔の形にして何かを俺に差し出した。
「どうぞ、加護チョコです」
「加護チョコ」
加護チョコ。…加護チョコ?脳に伝わった新しい単語に戸惑いつつも、両手で出来るだけ丁寧に受け取った。円形のトッピングチョコだろうか。丁寧で細かい技巧が光る綺麗なチョコレートだった。
「お受け取りください。それと、兄様」
「フン、分かっている」
ポルクスは兄に目配せすると、隣のカストロはやや顔を顰めて俺の方を見た。以前の憎しみが込められた色は薄まり、宝石が嵌め込まれているような澄んだ瞳がただ真っ直ぐこちらを見定めている。
「いいか、1度しか言わんぞ。貴様のその矮小な鼓膜を全力で震わせ」
「兄様」
「…ム」
兄の方を見ずに言葉を遮ったポルクスにカストロはムグムグと口を噤んで少し停止した後、また少しして口を開いた。
「……許す!」
「何を!?」
思わず間髪入れずに突っ込んでしまった。俺は何を許されたんだろうか。存在することとかだろうか。
「兄様……」
「貴様ごときがポルクスのチョコレートを受け取る事、そして我らの加護を受ける事、この俺の眼前に在る事だ。心して喜べ」
「あ、ありがたきしあわせ…」
「よし。フハハハハハ、どうだ、ポルクス!」
「はぁ…」
満足気に笑うカストロに、あちゃー、という表情でポルクスは溜息を吐いていた。けど、安心して欲しい。なんとなくのニュアンスは伝わったし、手の中のチョコレートはきっとすごく美味しくて、ありがたい物だということに、変わりはないのだ。
「何やら楽しそうですね」
と、そこに穏やかな声が入ってきた。ディオスクロイの後ろから、にこやかな笑顔でケイローン先生がやって来ていた。
「フハハ、ハ………」
「今、兄様とチョコレートを配っているのです。よろしければお一つ」
「ありがとうございます。所で、カストロは何を?」
「…妹よ、俺はなにやら面倒な気配がする。さっさとこの場を離れるぞ」
「え、あっ兄様!?」
言うが早いか、妹の手を取って早足で廊下を駆けて行ってしまった。
「おや、行ってしまいましたね」
慣れているのか、ケイローン先生は驚くことなくその後ろ姿を見送るだけだった。いまさっきポルクスから貰った袋を微笑ましげに見つめた後、こちらを向いて、またにっこりと笑う。
「悪い子ではないのです。これからも、よろしくお願いしますね」
「…はい」
頭を下げて、通り過ぎていく背中を見送った。手の中のチョコが溶けないうちに、甘い匂いの廊下を、俺はちょっと浮ついた足取りで歩いていった。