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熱したフライパンに油を薄く引いて、多めに割入れ溶いた卵を流す。菜箸で少し混ぜながら、固まってきたら手前側に巻きとっていく。昨日は中央が固まりきる前に巻きはじめたせいで破けてしまったが、今日こそは完璧なだし巻き卵を作ってみせるぞ。
「マスター」
「待って…あとちょっとだから…あと少しでこの玉子焼きは過去最高傑作になるから…」
「マスター」
「見てくれバーサーカー、ヤバいぞ、今日のは美しすぎる。俺は天才なのかもしれない。便利屋なんか辞めて卵焼き職人として生きていこうかな」
「マスター」
「うおっ」
グイッと袖を引っ張られた。先程からだし巻き卵にしか意識を向けていなかった俺に焦れたのか、バーサーカーが服の袖を握っていた。
俺の腰あたりまでの身長しかない幼い顔のバーサーカーは、他の2人とは違い短めのネコミミみたいな角を持っている。真っ黒な瞳でこちらを見上げている姿は餌をねだる黒猫のようだ。バーサーカーは俺を掴んでいる方とは反対の腕に、2番目のバーサーカーの尻尾を捕まえていた。
「悪いバーサーカー、もう少し待てるか?」
「1番目の私が、浮いたまま風に流されて窓から出ていきました」
「バーサーカーー!!!」



「すみません、引っ張ろうと思ったのですが、2番目の私も違う方向に流されていってしまって、間に合いませんでした」
「いや、い、いいんだ、バーサーカー…俺が、窓、開けっ放しに、して、たから…」
猛ダッシュで窓から浮遊していった白髪のバーサーカーをなんとか遥か彼方に行ってしまう前に連れ戻すことが出来たが、朝から魔術まで使って大ジャンプする羽目になってしまった。かなりの高さまで登ったにも関わらず、些事だと言わんばかりに無表情なまんまの1番目のバーサーカーを抱えて屋敷に戻ると、3人の中ではかなり感情を表に出せる3番目のバーサーカーが朝食の準備を終えてくれていた。
「ありがとう、バーサーカー」
「いえ」
俺の隣に座り、行儀よく手を合わせてから朝食をとり始めた3番目のバーサーカーに礼を言い、俺も朝食に手をつけようと箸を持つ。すると、向かい側で俺の作った卵焼きを頬張る2番目のバーサーカーがじっとこちらを見つめていたので、どうした、と聞いてみた。
「私も、手伝った」
「そっか、ありがとな」
こくり、と頷くとバーサーカーはまた卵焼きを口に頬張った。1番目のバーサーカーよりかは幾分感情の起伏はあるが、それでも無表情に近い。1番目のバーサーカーはというと、朝食は不要だと言い天井に風船みたく丸まっていた。彼らを召喚して1ヶ月、見慣れた朝の風景だった。

その日俺は地下の書庫で、先日亡くなったという叔父の遺品整理をしていた。この屋敷は亡くなった叔父が晩年1人で過ごしていたらしい。らしい、というのはそもそも俺は日本の山奥に暮らしていた叔父のことなど今まで聞いたこともなかったし、むしろ天涯孤独になって18年、今更血の繋がった家族が先週までこの世にいましたと言われても反応に困った。家族は端からいないものと思っていたし、父が唯一残していった魔術書を読み漁って1人で生きてきた。家がそれなりの家系だったので援助を受けながらも学校にだって通えていた。
今は、父が生前やっていたという魔術師専門の便利屋をしている。決して楽しいことだけではなかったけど、寂しいことばかりでもなかった。沢山の人にお世話になったし、今だってそうだ。それでも、血の繋がった叔父がいたという事実は無視できるものではなかった。俺は慣れ親しんだロンドンを離れ、日本の北海道、その左端に人目を避けるように建っていた日本屋敷にやって来たのだった。

が、来てみればそこはゴミ屋敷も同然だった。ゴミというか、物で溢れかえり、出口まで転がってきている木彫りの熊とか陶器の皿とか植木鉢とか和服姿の童人形とかが見えた時は、持っていた荷物を落として愕然としてしまった。その日は玄関を掃除したが、少し覗いた居間も同じような状態だったのでそのまま玄関で不貞寝した。これは教訓だが、夏の北海道の夜は肌寒い。
俺は次の朝風邪をひいた。


それから苦節1週間、屋敷は見違えるように綺麗になった。俺は屋敷の前で天を仰ぎ涙を流した。俺が今の所生きてきた中で涙を流したのは、両親を亡くした日と、学長に拳骨を貰った時、そしてあの日あの瞬間だった。

俺が地下室の存在に気がついたのはそれから更に1週間。ロンドンから来た手紙を読みながら、そろそろ仕事を再開しようかと考えていると、下から物が崩れる音が聞こえた。隈無く床を調べ歩くと巧妙に術式が組まれた隠し扉を見つけた。少し手こずったが、地下へと続く扉は開けることが出来た。灯りを持って埃の舞う薄暗い階段を降りていくと、そこは10畳程の広さの書庫だった。正直新しい部屋を見つけた時は、また大掃除か…とげんなりしてしまったが、そこは今までの状態とは一転して小綺麗な場所だった。埃こそ積もってはいるが、意味のわからない土産物が乱雑に積まれていたりはしない。見れば古臭い魔導書が足元から天井までびっしりと本棚に詰まっている。今までの意味のわからないガラクタたちとは明らかに違う、叔父が遺したものだと思った。時間はかかりそうだが、俺は書庫の本を全て読むことにした。

書庫にあった簡素な作りの机に本を積み、硬く背もたれもない丸椅子に座って読み込んでいくこと100冊目、それは強い芳香を放つ魔術書だった。表紙も裏表紙も真っ黒で、分厚い。タイトルもない、背表紙もない。不思議に思いページを開きたくなったが、書庫に篭って3日目、水は飲んではいたが、ご飯と呼べるものを全く摂取していなかった。物凄い空腹に気づいた俺は、流石にここらで休憩を、と真っ黒な魔術書に手をついて立ち上がった。その時だった。
術式が発動した。魔力を送った訳では無い。鍵穴に鍵が入っていくように、俺の掌を通して、黒い本の表紙に施された術式に魔力が通っていく。部屋中が稲妻に包まれたように光りだし、足元に床を埋め尽くす巨大な召喚陣が浮かび上がった。呆気に取られた俺は、ただ呆然とその光景を見ていた。僅か数十秒、光は消失し、本は衝撃波で床にバラバラになっていた。この量を棚に戻すのか、というか棚がバラバラになったからまず棚から何とかしなければとか心の隅で思いながら、俺の目は召喚陣が出ていた場所の中央にいる小さな人影を捉えていた。
彼らを見えなくしていた埃は、直ぐに晴れていった。というのも、埃が尻尾、?によってスパッと切り裂かれたからだ。俺と彼らを遮る埃は消失し、ついでに俺の右頬辺りにヒュンッと衝撃波が抜けていった。
大きく黒い目が計6つ、こちらを見ていた。年齢は11かそこらに見える。左端の子は白い長髪で、真ん中の子はやや明るい黒色の長髪。右の子だけが、真っ黒な耳にかかるくらいの短髪だ。服装もそれぞれ違う。白い子は半裸で、真ん中の子は彼よりも布は増えているがまぁ半裸。右の子は上も着ている。短いマントがヒラヒラとたなびいていた。彼らは俺を見つめ、俺が何が何だかさっぱり分からず硬直しているのを確認すると、今度は3人同時にお互いを見つめ合い、白い子は目を閉じ「些事」と、真ん中の子は「ふむ」と一言、そして右の子が、俺に向き直り口を開いた。
「私が召喚されるということ自体、不思議なことですが、ましてやこのような姿になるとは…。しかし、確かに、契約は結ばれました」

3人の瞳が、こちらを向いた。

「問おう」

俺は

「貴方が"我々の"マスターか」





ぐーきゅるるるるるるるる。



盛大に腹を鳴らした。