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波の音が滑走音とともに聞こえる。車窓から差している陽射しで、列車内を漂うホコリが見えた。自分も今座っているであろう向かい側に見える緑色のシートには誰もいなかった。座席の背後全面にあるガラス窓からは、海が見える。ラムネ瓶みたいな水色の海。

「気づかれましたか」

ふいに声がして隣をみた。気配も音もなかったが、俺以外の乗客がそこに座っていた。
最近は見慣れた褐色の肌に、通った鼻筋と形のいい唇。アーモンド型の瞳は覗きこみたくなるような暗さだ。肌とは対象的な白い服は上品な青色の刺繍が施され、エキゾチックな気品を纏う彼にとても似合っている。
列車には俺と彼以外、誰もいない。木板の床、広告のひとつもない天井、掴む者もおらず振動と共に揺れる吊り革。外には陽の光を遮る障害物が一切なく、ただ波がきらきらと照り返る水面が見えるだけだった。
暫く、彼とその光景に目を奪われる。のどかな時間、緩やかな空気、どこかとても見覚えのある青年。カタン、コトン、カタン、コトン、…


いや待て、どこなんだここは。俺は確かにいつも通りに布団を敷いて眠りについたはずだ。間違いない、覚えてる。右隣には俺があげた黒いウサギのぬいぐるみを抱えて眠りにつく灰ジュナオだっていたし、左隣には俺の方を向いて身を縮めて寝るジュナオがいて、ちゃんとおやすみと言い合ったはずだ。天井の白ジュナオが、目を瞑る前に見た最後の映像だった。
たまにいつの間にか落下して布団の上にいることもある白ジュナオの角が、とうとうぶっ刺さってあの世にいるのか…?そんな事を考え冷や汗を流し俯いていると、「あの」と声をかけられた。
混乱していて忘れていたが、彼に声をかけられていたのにシカトしてしまっていた。全然状況は分からないが、流石に失礼なので「すみません、大丈夫です。ありがとう」と何も大丈夫ではないが返事を返した。青年は「そうですか」と既視感のある落ち着いた調子で答えた。
「ここ、どこだか分かります?」
聞きたいことは山ほどあったが、まずは場所の説明が欲しかった。全くと言っていいほど見覚えがない。海の上を走る列車なんて、生きてきて1度も乗ったことがないと言えるだろう。むしろ、隣に行儀よく背筋を伸ばして座っている彼の方が俺としては見覚えがあるのだが。
「申し訳ありませんが、私も状況を理解出来ている訳ではないのです。私がこの空間で目覚めた時から隣で眠っていた貴方から話を聞こうと、こうして待っていた訳ですので」
青年の方も、この空間のことを把握出来ている訳ではないみたいだ。ちなみに俺は肩を揺すっても頬をつつかれても起きなかったらしい。
「自然に起きられるのを待つしかないと思っていたのですが…貴方も、事情を知っている訳ではなさそうですね」
顎に白い手袋をはめた手をあてて考える仕草をする彼の横顔は、見れば見るほどジュナオにそっくりだ。ただ歳はかなり上だし、髪の毛の感じも違う。いや、そういえば髪とか弄ったことなかったな。ジュナオもセットすればこんな感じになるのだろうか。
俺がまじまじと見すぎたのだろう、こちらを見て「何か?」と訝しそうに青年が言った。
「状況は分かりませんが、貴方についてお聞かせ願います。魔力はあるようですが、人ですね?」
「あぁ、うん」
どうやら俺から自己紹介するべきらしい。何となく、彼の方がとっても位が高い感じなので異論はない。
「名字名前。日本人だけど、日本に来たのは最近なんだ。簡単な魔術は使える」
ふと気づいたが、ジュナオ達との契約はどうなってる?とっさに手の甲を確認したら、令呪は消えていなかった。ほっと胸を撫で下ろす。
俺の令呪に気づいた青年が説明を促すようにこちらを見ている。隠し立てしていても状況は良くならないだろうし、ジュナオにそっくりな青年に無関係な話だとも思えない。俺はこの奇妙な模様が出来た訳と、ジュナオ達のことをできるだけ簡潔に、包み隠さず彼に伝えた。


「……………それは」
俺の話に一言も口を挟むことなく、礼儀正しく真剣な表情で聞いていた彼は、話し終えて数秒黙りこくるとふいに口を開いた。困惑した表情だが、確信があるように彼は話した。
「それは、私と異なる私…ですね」
薄々勘づいてはいたが、彼がジュナオの言う「真なる私」…正史のアルジュナだった。見れば見るほどジュナオそっくりだ。いや、ジュナオがそっくりと言うべきなのかもしれない。
俺が全て包み隠さず話したからか、青年…アルジュナは俺に、今アルジュナがどういった立場なのかを話してくれた。
人類が白紙化された世界で、たった1人のマスターが多くの英霊と契約し食い留まっている。アルジュナもその1人であり、ジュナオは、敵が留まるロストベルトという世界で産まれた英霊らしい。
…なんか、気が遠くなる話だ。そもそも俺の世界は紛れもなく存在している。白紙化なんてされてない。木もある、土も、花も、海も、人も。消えてなんかいなかった。
「これは憶測に過ぎないのですが」
狼狽える俺を気遣うようにアルジュナが続ける。話す時にしっかり人の目を見て話す、ジュナオの顔が重なった。
「ここは、貴方の夢ではないでしょうか」
「…夢?」
列車はどこにも止まることなく、未だに晴天の海上を走っている。そういえば下に線路はあるのだろうか。滑走音が聞こえるので、敷かれているとは思うのだけど。
カタンコトンという音に混じって聞こえる水の音を聞きながら、もう一度この場所を見渡してみた。……全く見覚えはない。けど、言われてみれば、列車自体は日本に来た時に乗った電車の雰囲気がある気がする。そう思うと、床の木板は家の床にも見えてきた。
…そういえば以前仕事でセーシェル共和国に行ったのだが、その時に見たインド洋の真珠と呼ばれる海の色に感動して一日中見つめていた。外の海はその時の色にそっくりな気がする。
それを聞いたアルジュナは頷いた。
「おそらく、貴方が今まで見てきたものが継ぎ接ぎされて出来ているのでしょう。ここは貴方の記憶からできた空間、という可能性が高いです」
なるほど。俺はほぇーと感心してアルジュナを見る。冷静で落ち着いていて、ただただパニくっていた俺とは大違いだ。ここはどこだと騒ぎ立てるなら、何故か俺の夢に来てしまったアルジュナの方だというのに。
「いえ、私も戸惑ってはいます。ですが…不思議ですね。どうにもここは落ち着く」
ふぅ、と息を履いて背もたれに寄りかかったアルジュナは、本当にリラッスクしているように見えた。俺の夢の中でくつろいがられるのは上手く言えないがなんか恥ずかしい。そのまま車窓を眺めるアルジュナに、俺も同じように海を眺めながら聞いた。
「なんで、俺の夢にアルジュナがいると思う…?」
「分かりませんが、貴方が異なる私と契約を結んでいることが関係しているのは確かでしょう。私の方もマスターとの契約が繋がったままなので、特に緊急的な危機ではありませんね…これも憶測なのですが、貴方が目覚めれば私もあちらに戻ると思います」
確証がないのに大丈夫なのだろうか。それとも、マスターとの契約が変わらずあることは、彼にとってそれほど安心できる要素なのか。なんにせよ落ち着いているアルジュナを見ていると、自分もようやく息をつけた。ふぅ、とため息を吐く。すると、急に外の景色の色が変わった。波にきらきらと差し込んでいた陽の光はピンク色の斜陽に変わり、海の色はそれを映すように色を変える。夜になるのだろうか?それにしてもいきなりすぎるんじゃないだろうか。
「そろそろですね」
俺の夢なのにアルジュナの方が早く夢の終わりを感じ取った様だった。どんどん暗くなっていく灯りのない列車の中で、彼の輪郭が闇に溶けていく。思わず、「また会えるか」と聞いていた。
窓の方を見ていたアルジュナは俺の問にこちらを向いた。全く表情は見えないが驚いている気がした。「−−−−、」聞こえない、なんて言ったんだ?おい、アルジュナ、

















気づいたら、手を伸ばしている俺の腕と、見慣れた天井が見えた。
目が覚めたのか。白ジュナオが不思議そうに天井から俺を見ている。その顔が夢の中で会ったアルジュナに重なった。
「マスター、大丈夫ですか。急に手を伸ばして目覚められたので、驚きました」
見ると両隣にいたジュナオと灰ジュナオまで俺を心配そうに見ている。何でもない、夢を見ただけだよ。そう言って頭を撫でて、天井の白ジュナオも引っ張り撫でる。分からないことばかりだが、俺には俺の世界があって、白紙化なんてされていない。
まずは朝ご飯を作って考えよう。後にくっついてくるジュナオ達を眺めながら、俺は踏みなれた床板を軋ませた。