「あぁ、はい。大丈夫そうでよかったです…ええ、次も是非」
満足そうな顧客の声を聞き、安堵して通話を切る。ふぅと溜息をついて携帯を放ると、俺が通話を終えるまでじっと待っていた灰ジュナオが、マスター、と声をかけてきた。
「ごめん、お待たせ。どうしたんだ?」
「読了した」
短くそう言うと、ぴっ、と後方の本棚を指差しながら俺を見上げた。本棚の方を見ると、俺が主に灰ジュナオにと買った絵本がズラりと並んでいる。買い始めて数ヶ月、かなりの冊数になったが、どうやら全て読み終えてしまったらしい。
「そっか、面白かったか?」
そう聞くと、固まった表情で俺と絵本を数回見て、答えにくそうに辛うじて「勉強になった」と言った。
「じゃあ今度は小説とか読んでみるかー」
本棚の絵本を数冊めくりながらそう言うと、視界の端で鋭い角が前後に揺れるのが見えた。でも改めて見てみると、絵本より小説の方が1段階上という訳でもなく思える。難解で想像力が掻き立てられ、大人でものめり込んでしまいそうなものが結構あるので、俺も少しハマってしまっていた。
どれを買ってあげようかな、と思案していると、とてとてと足音が聞こえてくる。
「マスター」
ジュナオが少し不安顔でやって来た。どうしたと聞けば、外に来てください。と言ってまた足音をたてながら行ってしまった。
不思議に思いながらも灰ジュナオと一緒にジュナオの後を追う。玄関を開けて俺を待つジュナオの向こう側を覗くと、白ジュナオが何やら浮きながらじっと何かを見つめているのが見えた。
「何見てんだ……………ん?」
「マスター」
俺の呼び掛けに答えた白ジュナオの視線の先に、茶色く丸いものがくるっと丸まっていた。それはふわふわとした毛をしていて、近づいても動き出す気配がない。呼吸はしているのか微かに動いているのは分かるが、目をキュッとつむって苦しそうにしている。
家の目の前に茶トラの子猫が蹲っていた。見たところ外傷はなさそうだが、酷く弱っているのが分かる。とりあえず、こんな所ではすぐに衰弱死してしまうので、両の手でなるべく振動が無いよう優しくすくい上げて包み込み家の中に入れることにした。ジュナオ達も追いかけて中へ戻っていく。
片手で抱えながら、タオルを敷いて子猫をそっと降ろす。鳴き声もあげずにされるがままの様子を見るに、相当危険な状態なのかもしれない。これは看病が必要だと覚悟して、準備をするためにジュナオたちにも手伝って貰うため指示を出した。俺に言われた通りにテキパキと用意をする3人に負けないようにと、腕捲りをして気合いを入れた。
昼過ぎだったのが気づけば夜になっていた。手に感じる小さい心音はか細い。だが子猫の表情は健やかで、呼吸は安定してきていた。
どっと疲れが出た。大きく深呼吸をしてソファーにもたれ掛かる。ジュナオが心配そうにタオルと麦茶を差し出してくれたので、ありがたくタオルで汗を拭き麦茶を飲み干した。灰ジュナオは俺の隣に座って、珍しく不安そうにくっついてきている。
子猫が寝ている小さなカゴを、上から眺めていた白ジュナオが「生きている」と呟いた。
「あぁ、なんとかなったな。お前が見つけてくれたんだろ?お前のおかげだな」
そう言うと、なぜか白ジュナオは首を振る。俺は首を傾げながら、違うのか?と問うと、白ジュナオは眉をひそめ目を閉じて無言になってしまった。
よく分からない。ジュナオに助けを求め視線を向ければ、ジュナオもまた無言になってしまった。言おうか、言わまいとしているのか、逡巡しているように思えた。
「これは不要かどうかを問おうと思っていた」
不意に隣に座っていた灰ジュナオが口を開いた。見ると、俺の方は見ずにすやすやと眠る子猫の方を見ている。
「生存の見込めない生命がいたので、必要か、不要か、マスターに問うべきだと」
今度はこちらの目を見てそう言ってきた。ほか2人を見れば、同じようにじっとこちらを見ている。
「そっか」
両脇にいたジュナオと灰ジュナオの頭をがしがし撫でる。目を細めてされるがままに頭を揺すられている2人を見て笑う。白ジュナオがぱちくりと目を開いてこちらを見ているので、傍まで寄って両頬を包みもふもふの白髪と一緒にうりうりと撫で回した。
抵抗せずにはてなマークを浮かべながら、ほっぺたを持ち上げられている白ジュナオがそのまま「まひゅたー」と喋ったので吹き出して笑ってしまった。少しムッとした白ジュナオがぺしりと尻尾で手をはたいてくるが全然痛くなかった。
「ほら、生きてるよ。分かるだろ?」
「わかる」
コクリと頷いたのを確認して子猫の方を見る。ふわふわの頭を人差し指で優しく撫でた。むにゃむにゃと口を動かして、しまい忘れたベロが小さい口からちろりと覗いていた。
「お前が教えてくれたからだよ」
だからそれは、と言いたげな視線を受けながら白ジュナオをソファーに座らせた。ジュナオも座るようにと言えば、ぽす、と大人しく座る。
「お前たちがどう言おうと、今この子は生きてるよ。何をどう考えていたかなんて、それこそ些事なんだ」
俺を無言で見つめながら、3人がほうけている。すると、みゃあ、と小さく鳴き声が聞こえた。ぱっと皆して鳴き声の方向へ顔を向けた。子猫が目を開けて、キョロキョロと視線をさ迷わせている。
「里親探さないとな」
そう言うと、灰ジュナオが「え」と声を出した。
「飼わない?」
「いやーそれはちょっと…」
手はそれほどかからないけど、うちにはウサギ2匹と猫1匹が既にいるので、とは言わなかった。
「…やはり不要?」
白ジュナオが困惑しているのが分かった。違うぞ、と答えて頭を撫でる。
「こいつにも家族ができて、居場所ができるよ。それだけ」
再び目を閉じて眠った子猫を見て安心した。とりあえず、ツテに頼んで引き取りに来てもらおう。俺もさすがに疲れた。風呂に入って寝ると伝えて、ジュナオたちにも休むようにと付け加え子猫の傍を離れた。
目を覚ますと、やたらと体が重かった。流石に無理をし過ぎたのかと思ったが、どうやら原因はそれではないらしい。身動きが取れない。視線だけで辺りを見渡すと、腕の中に白ジュナオがいた。背中の方にもぴったりと何かがくっついている。横向きになって寝ている俺に覆い被さるように、上から灰ジュナオがのしかかって寝ていた。
じゃあ背中のはジュナオか…そう思っていると、みー、という鳴き声が耳元で聞こえた。動くことも出来ずにじっとしていると、顔の方に子猫がやってきた。そのまま俺の鼻をかぷりと甘噛みすると、じゃれついてゴロゴロと喉を鳴らした。しばらく人の顔で遊び倒し、喉の辺りで寄りかかって寝てしまった。
「……動けねぇ……」
全包囲、がんじがらめ。諦めてもう一度瞼を閉じた俺は、巨大な象の形をした石像にのしかかられ続ける悪夢を見たのだった。