は、と息を吐けば、すぐに白い煙になって吐息は夜の外気に霧散した。頬はツンとつめたく冷えて、手袋をしてもなお寒い指先を擦り合わせる。
深呼吸をして肺の中に冷気を満たした。つめたい、けれど透き通る水で体の中を洗ったような気持ちよさだった。夜明けにはまだ2時間ほど早い。
「よく晴れていますね」
隣で青いフードのついたパーカーを着たジュナオが、夜空を見上げて口を開けていた。さすがにTシャツじゃ見た目が寒すぎるから着てもらった。まぁ、ジュナオ達は温度に鈍感なので完全に俺の感覚に付き合わせているだけなんだが。
灰ジュナオはさっきから林の向こうの暗闇をじっと見つめている。怖い。猫が何も無い部屋の四隅を見つめている時の怖さある。
「いないよね、何もいないよね」
「ふくろう」
「…あ、ホントだ」
目を凝らさなければ分からない所に、瞳だけを光らせたフクロウが夜の闇に紛れてこちらを見つめていた。というよりじっと見つめている灰ジュナオの方を警戒しているのかもしれない。
そしてさっきから人のジャケットに潜り込んで寝ている白ジュナオは置いといて、俺はジュナオに倣い空を見上げた。
今日は流星群が見られるらしい。
開けた空には無数に星が瞬いていた。銀河までハッキリ見える晴れた夜空には、いつもの様に月ともうひとつ衛星、そしてその隣には視認できるほど大きな宇宙ステーションがある。
「その、正直、いつ聞こうかと思っていたのですが」
ジュナオが俺の袖を引いて、戸惑った顔で見上げてくる。なんだ?と首を傾げれば、ジュナオは空を指さした。
「あの、一際大きく見える惑星はなんでしょうか。私が認識している地球の最大の衛星は、月しか記憶にないので…」
「え?」
驚いてしばらく言われた言葉の意味を考えた。月より近い惑星といえば、そんなのひとつしかない。常識、というか、幼稚園児でも空の絵を描きましょうと言われれば太陽とあの惑星を描き入れる。
「何って、冥王星だろ。昼だって見えるし、空は大体あの惑星で半分は埋まってるんだから」
「…うぅん…」
困ったように唸ってジュナオは目を閉じた。フクロウと見つめあっていた灰ジュナオでさえこちらを振りかえり何とも言えなさそうな顔をしている。
何かおかしな事を言っただろうか。分からず言葉を待っていると、灰ジュナオが「やはり」と口を開いた。
「本にも、当たり前の様に記述されている」
「いや、うん。そりゃな」
「ここは、本当に違う世界なんですね…」
ジュナオが納得したように頷いた。しかしそれ以上は追求してこないあたり、そこまで問題視していることでは無いらしい。
「地理は確かに記憶にある地球と同じなのに、不思議です」
ジュナオの声はしんとした夜の空気に響いた。どうやら彼らがいた世界と齟齬があるらしいが、俺にはそちらの世界のことが分からない。あれこれ聞き出すことでもないだろうと、俺も言及はしないでまた空を見上げた。
「そういえば、流れ星に3回願いを唱えれば叶うって言うけど、なんも考えてないな」
ほとんどひとりごとだったけど、それを聞いたジュナオは興味深そうに尋ねてきた。
「どうしてですか?」
「さぁ、見れたらラッキーなものだし。おまじないなんじゃないかな。今日はたくさん見れるだろうし、叶えたい放題だな」
「私も何か、考えた方がいいのでしょうか」
真面目な顔でそう言うので笑ってしまった。
「別に義務じゃないし。まぁでも、考えてみたらどうだ?」
「はい」
うーん、うーんと目を閉じて考え始めたジュナオを見ていたら、急に寝ていた白ジュナオがぺしぺしと頬を叩いてきた。
「なになに」
「はじまった」
何が?そう言って上を指した白ジュナオの指を辿ると、夜空にぽつぽつと瞬きが見えて、それは線を描き消えていく。すぐにまたあちこちが光出しては、真っ直ぐな線を引いた。
流星群だ。障害物のない空は自分と空との距離の感覚を狂わせる。フレームのない幻想的な光景に、まるで自分が宙に浮いているような感覚さえした。
横を見れば、ジュナオはまだうんうんと唸って目を閉じていた。おい、と肩を揺すると、ハッとして目を開け流星群に「わぁ…」と声をもらした。
白も灰もじっと空を見ている。俺もまた見上げた。
本当に、手を伸ばせば届いてしまいそうだ。無意識に伸ばした手は、当然何も掴めずに宙をかいた。だけど、掴めたところで俺はどうするのだろう。
「マスター、飛ぶ」
「と、飛ぶ?」
突然白ジュナオが尻尾を腕に絡めて引っ張り出した。いや、待て待てと制止しようとしたもう片方の腕にいつの間にか灰ジュナオの尻尾が巻きついている。え、と思っている間に、背後にジュナオが手を回して抱きついていた。
「え、ま、待って待ってなんっ、でっ!」
「せーの」
ジュナオの軽い呼び掛けで、簡単に俺の足は地面から離れ上昇した。みんなは全くもってなんの苦もない表情で俺を持ち浮き上がる。
「ヴィマーナを出す?」
「だ、だめだめだめだめだめ!」
なんか凄いことを言い出したのでそれだけは全力で止める。少し残念そうに灰ジュナオは「わかった…」と言った。
「マスター。近く、なった。どうだ?」
白がどう?と首を傾げて聞いてくる。確かに近くなったが、空は空だ。だからといってあの流星を手にすることは出来ないだろうけど。
「うん、ありがと。嬉しいよ」
「そうか」
手を伸ばす俺を見て考えてくれたのだろう。足が何にも接してないというのはちょっと怖いが、ジュナオ達が落とすという事は考えられないので安心している。けど怖いのは怖い。
しばらく星を見ていたけど、ふと思い出してジュナオの方を向いた。
「願い事決めたか?」
「それなんですが」
俺を背後から抱きしめるように抱えたジュナオが、俺の肩に頭を押し付けた。ジュナオは他2人と違ってそこまでくっ付いてくる方ではない。珍しく甘えたような仕草だ。
「叶っていることを願う必要はないのでしょう」
それだけ言ってニコリと笑った。なんとなく俺は、前のジュナオなら「祈る資格がない」などと言う気がしていた。
そっかと返事をして近いような遠いような空を見上げる。あと1時間もしないうちに、流星群は終わってしまうだろう。最近は日の入りも少しずつ早まってきている。
春は、もう少し。最後のひとつが流れるまで、俺たちは空を見上げていた。