生ぬるい風が吹き始める5月。洗いたてのTシャツを干していると、湿った雨の匂いがした。予報では一応、曇りのち晴れだ。
庭が寂しいから買ってみた赤いチューリップは、花に疎い俺のせいで買ったままの茶色い素朴なプランターに植わったままだ。ジュナオ達が交代で毎日水やりをしている。仕事で使う薬草のための温室を作ろうかと思っているけど、まずは園芸の勉強を始めなきゃいけないな…と考えていたら、今日の水やり当番がゾウさん型のジョウロを持ってやって来た。
白ジュナオは小さい、ほぼおもちゃみたいなそのジョウロでぱらぱら水をふりかけて、しゃがみこんでチューリップの蕾を覗き込んでいた。目線の先には小さなてんとう虫がとまっている。
より目になってまで熱心に見つめる姿を見ながら、洗濯物を干す。雲の切れ間から少し太陽が覗いて、物干し竿にむりやり括りつけた小さな鯉のぼりが陽射しに照らされた。
洗濯物が入った桶に手を伸ばすと、ジュナオが隣にやって来て干すのを手伝おうとしていた。
「ありがとな」
「はい」
再び視線をチューリップの方に向けると、いつの間にかてんとう虫鑑賞会の人数が増えて2人になっている。白ジュナオと灰ジュナオからの熱視線を一身に受けるてんとう虫は、微塵も気にすることなくチューリップの花びらを歩き回っていた。
「あの、マスター」
「うん?」
俺の腰あたりの身長のジュナオが、Tシャツを広げながらこちらを見上げている。何だか言いにくそうに何度か顔を逸らして「ええと」と言い淀んでいた。
「マスターにとって、思い出すのは、辛い事だと思うのですが…」
「いいよ、聞いて」
そう言えば、驚いて目を開き少し固まった。しばらくして、「ありがとうございます」とぺこりと頭を下げた。
「その、マスターは私の記憶を見た、と仰いましたよね」
「うん、ごめんな」
「謝ることはありません。マスターになら、隠すこともありませんから」
嬉しいことを言ってくれる。こちらは少し照れているのに対し、何ともなしにニコリと笑ったジュナオは話を続けた。
「ただ、その時の事が少し気になります。マスターは、突然夢に私の記憶を見たのですか?」
そう言われて、はたと気づいた。今まで散々、夢の中のアルジュナにはジュナオの話をしていたのに対し、ジュナオたちには全くアルジュナの話をしていなかった。別に隠していた訳ではないのだが、何となく言い出せていなかった。ジュナオも何か思うところがあるのだろう、悩む俺の返事を、急かすことも無くじっと待っていた。
「じゃあ…最初の夢から話そうかな」
「……で、アルジュナだけどアルジュナじゃない感じのアルジュナに言われて、君らの記憶を見てきたんだ。あれからまだ夢は見てないけど」
全ての夢の話を言い終わってジュナオの方を見ると、気づかない間にギャラリーが3人になっていた。まるっとした幼い瞳で見上げ、感情の読めない表情をしている。音もなく来るなこの2人は。
「……なるほど、そうだったんですね」
「ごめん、隠してたわけじゃなかったんだけど」
「大丈夫です。どうか謝らないでください、マスター。お話が聞けて、とても嬉しかったです」
そう言ってニコッと笑った。何この子、いい子…。
話してる間に、とっくに空になった洗濯物の桶を片そうと伸ばした手を、がしりと掴まれた。白ジュナオが珍しく神妙な顔でこちらを見ている。
「どした」
「名前」
「名前?」
短すぎる答えに反芻して返すと、ムッとして睨み返される。まるで駄々っ子のようだった。
「名前で呼ばれている」
「…??」
意味がわからず考える。しばらくして、アルジュナが俺の事を名前で呼んでいた、という事を言っているのかと気づいた。
「あー、まぁ、アルジュナは俺のサーヴァントじゃないし、マスターとは呼ばないだろ」
「名前…」
今度は灰ジュナオもぽつりと呟いて考え込んでいた。よく分からないが、何か思うところがあるらしい。
「別に皆が呼びたいなら名前でもいいよ、俺はマスターって呼ばれるのも嫌いじゃないけど」
そう返せば、3人揃ってぱっと顔を上げた。
「名前」
「はい」
「名前」
「はいはい」
白ジュナオと灰ジュナオが順番に呼んでくるのに頭を撫でて答える。満更でもなさそうに2人がほくほく顔をするので笑う。というか2人には呼ばれ慣れていないので俺も少しむず痒い。
「あの、それじゃあ」
2人の陰に隠れて、そわそわと尻尾を揺らしていたジュナオが遠慮がちに近づいてくる。少し照れているようだ。
「名前…」
呼んだ後で、えへ、とはにかむ姿が可愛い過ぎてわしゃわしゃと頭を撫で回してしまった。くちゃくちゃになるジュナオの髪の毛はふわふわで気持ちがいい。
「次」
「その次」
なんの順番待ちだよ。ジュナオの後ろに縦で並ぶ2人につっこみを入れる俺の腕を掴んでいたジュナオは、幼い顔でまだ笑っていた。