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「あれは…古い建物ですね。しかし手入れが行き届いている。おや、ちょうど屋根の補修作業をされている所のようですね。なるほど、修繕と保管…残された遺産を大切にする、敬意を感じます」

「野良猫がいますね。よく肥えています。近づいても離れませんね……。あ、行ってしまいました。…ああ、ご飯の時間だったようです。見てくださいマス…名前、レストランの店主から、お魚を貰っていますね」

「これは何でしょうか?………ふむ。テディベア…なるほど……。いえ、決してねだっているわけでは。あの、……ありがとうございます、名前」

「街並みからして、日本とは全く雰囲気が違いますね。空模様は重たいですが、街の空気に溶け込む景色です。あちらに見える橋なんかは、いかにも英国というスタイルですね。…あ、あれは何でしょう」

よく喋る。落ち着きがないわけではないけど、歩く度にゆっくりと右左を見渡し、その度に足を止めて楽しそうに話すジュナオを眺めるのが楽しい。いい感じに薄手のロングコートに隠れた尻尾が裾からはみ出て揺れる度に少しハラハラはしたが、ジュナオはロンドンに着いてからというもの終始こんな様子ではしゃいでいる。
ツノ隠しのために被せたシックな色のハンチング帽の頭頂部がほんの少しとんがっているのを見ていたら、ジュナオがまた何か見つけたらしい。「あれは?」と言って指をさしていた。

「遠くの丘の向こうに、何か大きな…施設でしょうか?水車もありますね」
「あぁ、あそこに向かってるんだよ」

きょとんとした顔で振り向くジュナオに、何となくの気恥しさを誤魔化しながら視線を水車に向ける。ほんの少しだけ劣化が進んだようにみえるそれは、記憶の中の物よりも、ひとまわり小さく見えた。




「うわ……なんかイケメン連れてきてる…」

久々の再会だというのに、第一声がそれとは恐れ入った。
ドアの隙間から目だけを光らせて、警戒心剥き出しの様子で姿を見せようとしない謎の人物を前にしても、ジュナオは特に動じていない。警戒を向けられているのも気にしていないご様子で、窓の外から見える動く水車に興味津々なようだ。

「久しぶり。あのさ、取りに来たから部屋、開けてくんない?」
「知らない人間を入れろっていうのか…俺の聖域に…」
駄目だ。心を閉ざしてしまっている。臆病な引きこもりの友人に、アポなしでエキゾチックイケメンインド人を会わせたのはかなり刺激が強すぎたようだ。
「チチチチ…怖くないよ…大丈夫…おいで〜、イイコイイコ…」
「クゥ〜ンワンワン…」
「よ〜しいい子だ〜ドアを開けて〜」
「ぐぎぎぎぎ」
「お〜よしよし落ち着いて〜」
「名前、あの水車の動力は何に用いられているのですか?」
「ギャワン!!」
「あー、引っ込んじゃった」

いい所までいったのだが、ジュナオが俺に声をかけたせいで元のヤドカリ状態に戻ってしまった。そこでようやく、ジュナオの興味がドアの奥の不審者に移ったようだ。手だけはみ出した隙間の妖怪みたいな奴を、ジュナオは逆に警戒心ゼロ、軽いフットワークで覗き込んだ。
「すみません、驚かせてしまいましたか?」
「ヒッ…優し…い…?」
野生で育てられた人類みたいな反応になってる。というかあんまりこのままだと埒があかないので、そろそろ入れてもらいたい。
「こちらの施設に住んでいる方ですか?あの、よければ、あの水車について教えて頂けますか?」
「え…いや…あの水車は……ここの、開設以前からある……古い水車で……その、すごく珍しい型式の物なんだ……昔は小麦の脱穀に使われてたけど、今はただ回ってるだけ」
「なぜ珍しいんですか?」
「ヒィッ」
食い入るようにドアの隙間に詰め寄るジュナオに友人がすかさずドアを閉めようとするが、既に扉を抑えているジュナオの腕力に対してねこパンチレベルの抵抗だ。ビクともしない扉のドアノブを握りながら、ただ純粋に首を傾げているジュナオと目が合い挙動不審になっていた。
「なぜ今は使われていないんですか?」
「いや…だから、そ、その、必要なくて…もうそんな時代じゃないし……」
「では何故残してあるのですか?」
「何故って……」
ほんの少し、扉が開いた気がした。たぶん、今彼の中では人見知りの恐怖心と、教えたいオタク心で天秤がグラグラしているのだろう。
「ジュナオ…じゃなかった、アルジュナ。もう一押し」
「非常に気になります、よければ、教えて頂けますか?」
「……ほんとに?ほんとに聞きたい?」
「ええ、お願いします」
うーん、この純粋さ、素直さ、礼儀正しさ。我が子として誇らしい。

ほんの少し、間が空いて扉が人ひとり分ほど開かれた。1年ほどぶりの友人は相も変わらずヨレヨレのスエットに度の強い眼鏡をかけて、のっそりと顔を覗かせる。
「ふぅん…じゃあ、教えてあげるから…入れば?」

いや、水車の事聞きに来たんじゃないんだけどね…。