藤丸立香
イメソンリクエストのお話でした。
アウトサイダー/Eve



人差し指にできた小さなささくれが気になって、ついつい皮を引っ張ってしまった。少量の出血、それとじんじんとした痛み。傷口を弄りながら、なぜ毎度後悔するのに同じ事をしてしまうのかと自己嫌悪していると、隣で同じくモニターに向い忙しなく手を動かしている同僚が、そのまた隣の同僚と会話している内容が耳に入ってきた。
「本当に歴史の修繕なんかできんのかな。所長も死んじまったし」
「オイ、声でけーよ」
今更だろう、恐らく無意識だけど、その場にいた全員が彼の呟きに無言になった。もう夜通しカルデアのシステムメンテナンスを行っている。疲労感が部屋の中を満たしていた。
「あの藤丸とかいうガキさ、」
「お前な」
「いいだろ別に。本当にあんな奴に任せて大丈夫なのかよ。ついこの間まで魔術も知らない一般人だったんだろ」
その言葉に、室内の雰囲気が怪しくなる。俯いてひたすら手を動かす人、動きを止めて目を閉じる人、発言した彼を睨みつける人、同意するように視線を逸らす人。
「俺たち、そんな奴に縋るしかねぇのかよ…」
一気に来た不安感が、疲労を伴って彼を押し潰してるのだろう。口から漏れた言葉が、無言の室内に響く。が、きっとこれから誰かの言葉を皮切りに、その不安は感染していくだろう。
彼の向かい側に居たスタッフが何かを言い出そうとしたのと同時に、俺はそっと立ち上がってその場を離れた。隣の奴に「絆創膏貰ってくる」と指先の傷口を見せると、「ああ、それ、俺もよくやるよ」と笑って言ってくれた。

廊下に出ると重たかった空気が一気に軽くなった。深呼吸をして、あの室内で溜め込んでしまった肺の中の空気を絞り出した。
静かな廊下だ。あの事件が起こる前までは、多くの人間がいつでも行き来していたのに。1度だけ見かけたAチームのエリート達は、今は冷たい箱の中で、縋っても祈っても、もう目を覚ますことはない。
窓の外を見ると夜だった。ひたすら画面を見つめる時間を過ごしたせいで、今が昼か夜かも分からなくなってしまっていた。彼の弱音も、完全に否定できない。あのままあの場にいたのなら、きっと自分も噛み潰したい心の底の悪意が、弾けて飛び出してしまっていたかもしれない。
自分の足音しかしない廊下を進んで医務室の扉を開いた。誰もいない。ドクターも、ずっとここで患者を待っている訳にもいかないのだろう。
確かこの戸棚に絆創膏があったはず、と扉に手を伸ばした時、カーテンの向こうで誰かが横になっているのが見えた。
ほんの好奇心で、小さな隙間を作って覗いてしまった。こんな状況なんだ、意識を失ってしまっても無理はないだろう。
日本人特有の、真っ黒な髪が見えた。まだ幼く見える顔立ちの少年が、目を閉じて浅い呼吸を繰り返している。
噂の真っ只中にいる少年が横になって寝ていた。先程まで契約したばかりのサーヴァントを連れて彼が補うことができない魔力リソースの回収に向かっていた筈だから、体力を使い切って倒れでもしたのだろうか。
苦しそうにも見えるその寝顔を複雑な気持ちで見つめてしまった。彼だって、逃げたいだろうに。寄せられた眉間にシワが出来ている。思わずつついてシワを伸ばしてしまった。うーん、と一瞬身動ぎしたので起きてしまうかと慌てたが、直ぐに元の状態に戻って寝入ってしまった。
そろそろ離れよう、そう思って足を動かそうとした時、彼の閉じた目から水が零れた。
「あ、」
思わず声が出る。泣いてる。ぽろぽろと数滴目の端から零れていった雫が、寝台を濡らした。
「………」
息を呑んでその光景を見ていた。しばらく動けなかったが、あまりにも彼が悲しく見えて、気づけば自分も堰が切れたように泣いていた。ぐすぐす鼻を啜って藤丸くんの頭を撫でる。彼は起きなかったし、涙が出ていたのもほんの少しで、今は俺の方が止まらなくなってしまった。ちょっと、どうしてくれんのこれ。
これ以上彼を見ていると、情緒が乱れすぎて泣きわめいてしまいそうだ。医務室を飛び出て、廊下を早歩きした。医務室の前でマシュのような人影とすれ違ったが、とても挨拶できるような状態じゃないので無視してしまった。ごめん。
途中の水道で顔を洗って充分に目を冷やし赤みが消えたのを確認して管制室に戻った。どうやら議論はひとまず消火したらしい。みな一心不乱に手を動かすだけになっていた。
椅子を引いて座り直す。さぁ自分もとキーボードに手を伸ばして気がついた。
「あ」
絆創膏、忘れてた。声に気づいた隣の奴が、覗き込んだ俺の手を見て「いや何しに行ったんだよ」とツッコミを入れた。


「うわ、名前さん、痛そうそれ」
「あぁ…癖なんだよ、ささくれできると剥いちゃうの」
指先にできた小さな傷に気がついた立香くんが、俺の手をとってまじまじと見てくる。別にそんな見ることなくない?恥ずかしいんだけど。
「絆創膏貼りに行きましょうよ」
「いいよ、こんくらい」
「婦長に見つかったら消毒液擦り込まれますよ」
「貼りに行こうかな」
医務室は無人だった。ドクターは最近コタツに引きこもっているので、多分今もみかんを剥いてウトウトしているだろう。太るぞと忠告はしたが、効果はないな。
立香くんは迷いなく扉を開けて絆創膏を取り出した。自分でやると言ってるのに、いいからと俺の指を離さず絆創膏を巻き付ける。その手をよく見ると、もう塞がってはいるが小さな切り傷と傷跡が見えた。直視出来ずに目を逸らす。
「はい」
「どうも」
お礼を言って手を引っ込めようとしたけど、軽く引っ張られて元に戻される。俺の手をしげしげ眺めて、立香くんはニッと笑った。
「綺麗な手だから、気をつけてくださいよ」
「いいから!そういうの!」
対英霊用キラースマイルを俺に向けないで。熱い頬を隠したくて顔を背けた先に、真っ白なカーテンとベッドが見えた。はっと、少し昔の記憶が蘇る。
立香くんに向き直る。そのままじっと顔を見ると、不思議そうに笑顔のまま彼は首を傾げた。
「どうしました?」
嬉しそうに笑いながらそう言う彼に、あの時の涙がフラッシュバックした。
「立香くん…」
「へ、え、あの、名前さん?ちょ、何ですか?えっええええ」
君、本当に頑張ったね。まだまだ途中なのは分かってるけど、あれからいくつもの特異点を越えた彼をどうしようもなく褒めたくて、抱きしめてあの時のようにぽんぽんと頭を撫でた。やばいまた涙出てきた。
「立香くんはいい子だね…頑張ってるの分かってるからね…」
「は、ははははい!!!!」
ぐすぐすと鼻を鳴らしながら、あの時よりも確かに逞しくなった彼を、俺は気の済むまで褒めまくった。