あなたのためのナーサリー


 この文章はまだ完結していない。何故って? あなたが読み進めている途中だから。
 あなたは今、一ページ目を開いて文章を読み始めたばかりで、最後まで読み切っていない。だから、まだ未完結と言える。二週目というなら話は別だけど、もしあなたが二週目の文章を読んでいるなら今すぐ引き返した方が良い。だって、この文章は一週目と寸分違わず同じで、あなたはもうオチも知っているのでしょう? そんなのつまらないから、さっさと引き返して他の文章を読んできた方が絶対良いに決まっている。
 …………二週目のあなたはもう居ないかな。それでは一週目のあなた。存分にこの文章を読み進めて行って欲しい。






































 え? 進んでも何も無かった、って? なるほど、真っ白いページがずっと続いていただけだった、と。
 そんなはずはない。なぜならあなたは律儀にも、文字通り何もない行間を、じっくり丁寧に、作者からの隠れたメッセージが存在しないか考えながら、頭を捻りつつも、読んでくれたからだ。嘘だと思うならもう一度読み解いてみると良い。透かしたり、反転してみたりしてごらん。
 そしてあなたは、私の文章を実行した後でこう呟くんだ。
『やっぱり何もないじゃないか!』
 そう。作者はそこに何のメッセージも残していない。きっと作者は今頃あなたが私に騙されたことに思いをはせて、文章の向こう側でにやにや笑っていることだろう。
 ああ、そんなに怒らないで。これはユーモアさ。もちろん、あなたを楽しませるための。
 これでどうかな? あなたは私に慣れた? それとも、なんて嫌な奴だろうと腹を立てたかな。
 そうかい、なるほど。ここまで読んで、最後のオチが知りたくなった、と。そうだね、文章に嫌気がさした人はとっくにどこか別の文章を読んでいる頃だろうから、今まさに727文字目を読み終わったあなたは、ここまで付き合ったのだからオチが知りたいと思うのも、至極当然だ。
 まあそう急かさないで。まずは私のことを知ってもらって……いや、少し待って、私の一人称はこれで合っていたかな? 僕だったかもしれないし、吾輩だったかもしれない。ああ、少し手間をかけて悪いのだけれど、あなたに頼みがあるんだ。少しページを戻した所に、名前の入力欄があるだろう? そこの「名字」の欄に私の一人称を入れてくれ。いいかい? 入れたらここまで戻って来るんだ。
 ……OK? ミッションはしっかりこなしてきたかな。それじゃあ今から一人称は名字だね。
 よし。これであなたは一つ、名字のことについて知ったわけだ。
 ああそうだ。ここに戻って来てもらった後で悪いのだけれど、名字の名前を決めて欲しいんだ。用意が良いあなたなら既に名前というとっても素敵な名前を名字にくれた後だろうけど、本当にこの名前で良いのかい? もしあなたが気に入らないのなら、先ほどみたいに一度戻って「名前」の入力欄に名字の名前を入れてみて欲しい。
 うん。これで名字は名前という名前の何かだということがあなたに伝わったはずだ。逆に言えば、あなたはそれ以外のことはまるで知らないということになる。
 いいかい、名字はね、まだ、この文章以外の何物でもないのさ。文字以外の形が、まだ、無い。なぜならあなたはまだ名前の容姿を知らないから、想像のしようがないでしょう? おっと、もしかして既に何か想像していたのかな。今まで読んできた文章だけで想像した名字はどんな人間だったのだろうね。あなたはすごい想像力の持ち主だったようだ。見くびっていたよ。そんなあなたは今すぐに文章を読むのを止めて、紙やペンを用意してあなたの想像を文章やイラストに変換する作業に入った方が良い。絶対に。作成する側になるのも、きっと面白いと思うよ。
 それではあなたは、可愛らしい女の子な名字を想像してごらん。そうだな、いかにも夏の浜辺に居そうな、黒髪でロングのストレートヘア、お嬢様帽子とそれに合わせたワンピース。帽子と服の色は白くて、裾がふわふわしている。
 もし、あなたが名字の文章に合わせて想像したなら、きっと作者はこう言うだろうね「してやったりだぜ!」って。
 あなたは名字の文章に合わせる必要はまるでなかった。表紙も挿絵もないただの文章に従わないで、あなたはあなたの好きなように名字の外見を想像しても良かったのに。もしこれが漫画だったら、名字の外見は一目見てあなたに伝わるはずだった。けれども残念ながら、そうじゃない。あなたは想像することでしか名字の外見を知り得ない。そしてそれは、あなたのお友達と同じ想像ではないに違いない。
 それでもあなたは、さっきの文章の通りに、名字のことを可愛らしい女の子だと想像しているんじゃないかな。まるで表情の分からない文章をつらつらと読んでいるより、なにか、キャラクターが話しかけている、と考えた方が頭に入りやすいよね? だから名字はこれから、白いワンピースの似合う可愛い女の子、そう思ってほしい。
 あなたは、名字の一人称と、名前という名前と、想像上の外見を知ったわけだ。……え? なに? 可愛い女の子がそんな堅苦しい口調な訳がないって?
(咳払いの音)
 はわわわ>< そ、そんな意地悪言わないでくださぁい/// 名字だってぇ、こぅみえていっしょーけんめーに! がんばって! あなたとぉ話してるんですよぉ(はぁと) にこっ:)
(再び咳払いの音)
 はい。これで満足しましたか? いいですか?
 いえ、あなたが一昔前の文章をお望みならば、出来る限りお答えしたいとは思います。けれども、名字にはそんなのは耐えられません。だってここには似合わないでしょう。ここがもし森ならば、それなりに似合ってはいたでしょうが。
 ああ、どんどん脱線していく。いえ、良いんです。文章とはそういうものだから。かつて生み出された名作達も、必要な脱線の積み重ねで出来上がったものですから。
 軽く例を挙げてみましょうか。そうですね……赤ずきんちゃん。有名ですので。
 あの物語、一行で説明すると『お婆さんのお見舞いに行った少女が狼に食べられたけども助かるお話』です。だけどそれじゃあ、お話として成立しません。
 赤ずきんちゃんはどうしてお婆さんの家に行くことになったのか、道中何があったのか、お婆さんの家で何があって、どうやって終わりに向かうのか。それらをしっかり、描写しなくてはいけない。風景や、あった出来事だけではなく、登場人物たちの心理描写もね。けれども一行で終わってしまったら、読者は決して満足しないでしょう。
 あなたが今読んでいる文章も同じ。
 作者は、『あなたは文章を読んだ!』で終わらせることもできたのにそうはしなかった。だからあなたは名字に名前をつけ、外見を与えることができたんですよ。良いですか、名字のことを細かく想像してみてください。外見だけではなく生い立ちだとか声だとか、色々。名字にリアリティを持たせてください。
 あなたとの関係は、(しばし思案する)あー……例えば、そう。名字は夏の間だけ避暑のために海辺の別荘に遊びに行くようなお嬢さん。あなたとは偶然にも、透き通ったブルーが素敵な海で出会った。そこで二人は一日限りの友人になり、そして更に偶然なことに、たまたま街に遊びに来ていた名字とあなたは再開する。どうですか、運命的でしょう?
 映画なら、ここからボーイ・ミーツ・ガールが始まるのでしょうけれど、残念ながら恋愛物は作者の好むところではありません。もしあなたが名字との恋愛を望んでいたのなら、申し訳ありません。あなたと名字はただの不思議な友人。それ以上でもそれ以下でもありません。文句なら、作者に言ってくださいね。
 ……ところで気が付きましたか?
 名字の文章が、初めの頃よりすっかり柔らかくなっていること。
 あなたは今、読み返してみましたね。本当だったでしょう? だってほら、名字はかわいい女の子なんですから、堅苦しい口調を止めてみたんですよ。あなたの要望通りに。
 驚いた? 驚きましたか? それでは、次のステップに行きましょう。
 名字は今、部屋の中に居ます。
 お昼。窓際のソファに腰かけ、柔らかな日差しを受けてうたた寝しています。アンティーク調のソファは名字の体重を受け止め少しばかり沈んでいます。誰の趣味なのかは分かりませんが、部屋の中はソファと同じようなアンティーク調の小物がたくさんあります。それぞれが主張し過ぎないように、品良く配置されています。壁にかかっている時計は一等のお気に入りで、いつも変わらない時を刻み続けます。
 全ての家具が調和した中、白いワンピースを着てうたた寝をしている少女。まるで、絵画のようです。
 セピアに彩られた、どこか懐かしい香りのする一枚の絵画。
 かちこち、と時計の音だけが響く部屋の静寂を破ったのは、とんとん、というノックの音でした。
 ノックの主はあなた。扉の外から名字に、「こっちへ来て一緒に遊ぼうよ」と声をかけています。
 ここまでは大丈夫ですか? しっかり想像してくださいね。
 ノックとあなたの声を聞いた名字は嬉しさのあまりうたた寝から飛び起きます。そして、こう言うのです。





「ありがとう”あなた”。やっとBookを読み解く人間が現れた!」
「う、うわあ!!」
 レオナルドは思わず、読んでいた本を落とした。
 本の記述通りに想像した少女が、突然本の中から飛び出してきたからだ。
 黒髪ロングのストレートヘア。白いワンピースに鍔の大きな帽子。年齢は、指定は無かったからレオナルドが勝手に決定したティーンエイジの中頃。こういった外見の少女は、日本のコミックやゲームによく登場していたので、日本人。
 声も、肌の柔らかさもそのまま、レオナルドが脳裏で描いていた姿だ。
 想像がそのまま、本から飛び出してきたのだ。
「き、君は一体」
「いやだ、名字の名前は”あなた”が決めたでしょう。名前ですよ」
 名前はレオナルドがベッドへと落とした本を手に取り、最初のページを開いた。そのページにはファーストネームとファミリーネームを記入する欄があり、そこにはレオナルドの筆跡で一人称である”名字”と名前である”名前”が書きこまれている。これは、レオナルドが本の記述に従った結果である。
「え、いや、だって君はこの本に書かれていたキャラクターで……」
「そう。名字は文章。けれども”あなた”は名字をそうぞうしたでしょう? 作者はちょっとした悪戯好きなんです。だからこうして、読者の想像を創造するマジックアイテムを作った。ただ、少しばかり難解で、普通の人間にはそうそう読み解けないはずなんです。……おや、”あなた”は目が良いんですね。納得しました」
 レオナルドは混乱していたが、少しずつ冷静さを取り戻していった。ここはHLだ。本の中から少女が出てきたところで、何も不思議ではないはずだ。
 この本は、バイトへ行く前に少し時間が余ったため暇つぶしに訪れた古書店で購入したものだ。
 適当に何かコミックでも立ち読みしようと思い古書店に足を踏み入れたレオナルドは、古い紙の匂いを胸いっぱいに吸い込んだ。そして、乱雑に積み上げられている本の中から、この一冊を見つけた。
 普段はあまり小説を読まない。もっぱらコミックか、ゲームの攻略本だ。けれども、何故だか妙に、この本が気になった。
 ワインレッドカラーをした手触りの良いカバーには、ゴールドカラーでタイトルが箔押しされていた。
『あなたのためのナーサリー』
 それ以外には何も書かれていなかった。
 レオナルドは中身が気になり、ぱらぱらと見てみようと思ったが、本には立ち読み防止のためのビニルが巻かれていたためそれは叶わなかった。
 裏表紙に貼られていた値段を見ると、さほど高くはない。せいぜい、ジュースの一本でも我慢すれば購入できるような、そんな金額だった。
 レオナルドは一本のジュースを諦め、本を買った。
 鞄の底にしまいこみ、一日を過ごし、帰宅し、一息ついて、昼間に購入した本をベッドの上で開いた。
 読者に語り掛けるような文体に面白さを感じ、文章の通りに想像しながら読み進めていった。
 それがよもや、何かしらの術式が組み込まれたものだったなんて。
 レオナルドは自身の迂闊さにほとほと呆れた。そして、名づけをし、外見を与えた少女を見やる。
「”あなた”を見て、作者はやっぱりこういうでしょうね。してやったりだぜ! と。名字をこちら側へ呼び込んだのは”あなた”ですよ。だって、声をかけたでしょう。こっちへ来て一緒に遊ぼうよ、って」
 そう言って彼女は可愛らしく笑みを浮かべた。これもまた、この子ならこう笑うだろうな、とレオナルドが想像した通りの笑い方だった。
 少女を呼び出すキーは、恐らくその言葉なのだろう。本という部屋の中の少女に、リアルという外側から呼びかけ、彼女がそれに応えた時。
 作者が仕掛けた術式は発動し、ただの文章だったはずの少女は生身の体を得る。
「……君は、えーっと名前はこれからどうするの?」
「そうですね、名字も実際にこちら側へ来られたのは初めてなので、少し困っています。だって、これからは作者の手を離れていかなきゃいけないんですから。ねぇ、”あなた”。名字はこれからどうしたら良いでしょう?」
 文章という枠組みから初めて離れた少女は心底困ったように首をかしげた。
 文章のままだったなら、文字の通りに生きていけば良い。けれどもこれからは、そうもいかない。名前のための文章はリアルになったことで途切れ、未来は未だ白紙だ。
「あー……じゃあとりあえず、自己紹介しよう。いつまでもあなたって呼ばれるの変な感じだからさ。それじゃあ改めて、僕はレオナルド・ウォッチ。よろしく」
 そう言ってレオナルドは手を差し出す。それを見た名前は居住まいを直し、小さく咳払いをする。そして、握手をすべく手を差し出してこう言うのだ。
「名字は名前。”あなた”がつけた名前です。よろしく、レオナルド」

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