春の大事件







春。

新しいクラス、新しい教室。

窓から吹き込む柔らかな風が、
まだ真新しい時間割表を揺らしていた。

九頭龍高校に入学して数週間。

広末知夏には、一つだけ納得できない出来事があった。

同じクラスになって仲良くなった、
小さくて可愛い七尾奈緒が――。

悪い噂しか聞かない男子バスケットボール部の
マネージャーになったことだ。

 

「ぜっっったい危ない!」

教室中に響くほど大きな声だった。

奈緒は肩をびくりと震わせ、
慌てて知夏の制服の袖を引っ張る。

「ち、知夏ちゃん……! 声大きいよ……!」

「だって男子バスケ部だよ!?」

知夏は机を叩かんばかりに身を乗り出した。

「でっかいアフロとか! でっかいリーゼントとか!

喧嘩したら校舎吹き飛ばしそうな人たちの中に
奈緒が入ったら、何されるか分かんないじゃん!」

「だ、大丈夫だよ!」

奈緒は苦笑しながら首を横に振る。

「みんないい人だから。
それに……一年生も入部したし……」

その言葉の最後だけ、少しだけ嬉しそうだった。

知夏はそれを見逃さない。

(あーあ)

(もう完全に絆されてる。)

思わず額を押さえた。

「というか昨日、女子と練習試合したのに
知夏ちゃんどこ行ってたの!?」

「あー、親父から店番頼まれちゃってさ。」

「そっか…」

奈緒は少しだけ視線を落とした。

「私ね…、」

ぽつりと呟く。

「勝つためだけのプレーを優先しちゃって、
中学の時、先輩を嫌な気持ちにさせたことがあるの」

知夏は黙って耳を傾ける。

「昨日も似たようなことしちゃったんだけど……
それでも受け入れてくれたんだよね」

奈緒は照れ臭そうに笑った。

「かなり変わった人たちだけど……
悪い人たちには思えなかったな」

その笑顔を見て、知夏は大きくため息をつく。

「奈緒ってさ」

「うん?」

「すぐ騙されそうだよね」

「えぇっ!?そ、そんなことないよ!」

慌てる奈緒に、知夏はけらけら笑う。

「あ、それに同じクラスにもバスケ部いるよ。」

「え、誰?」

「ほら。」

奈緒が廊下側を指差した。

一番後ろの席。

椅子へ浅く腰掛け、携帯電話をいじっている男子生徒。

ぼさっとした柔らかい髪。

鋭い目付き。

どこか近寄りがたい空気をまとっていた。

「あぁ…」

知夏は顔をしかめる。

「やっぱ奈緒、騙されてるわ」

「えっ!?」

「あいつ退学寸前だった人でしょ?

この前、女バレの先輩怪我させたって聞いたし。
他校の人にもボコられてたらしいじゃん」

「でもバスケはすっごく上手なんだよ!」

「スラム街にいそう。」

その一言が聞こえたらしい。

携帯から視線だけを上げた男子生徒は、
ゆっくり立ち上がると、
そのまま二人の前まで歩いてきた。

「おい」

低い声。

「聞こえとるぞ。

人の悪口、何言うとんじゃ」

知夏は怯まない。

「友達を心配してるだけですけど」

「……あ?」

二人の間に、ぴりりと空気が張り詰める。

慌てて奈緒が割って入った。

「夏目くん、この子、広末知夏ちゃん。
女子バスケ部なんだ」

夏目健二は知夏をじっと見つめた。

「昨日おらんかったじゃろ」

「家の手伝い」

「ふん」

鼻で笑う。

「あんさんも適当にやっとる奴か。
あの試合も続けとったら、わし一人で十分じゃ」

「へぇ」

知夏は興味なさそうに肩をすくめた。

「女子、勝ったんだ?」

「うん。でも知夏ちゃんがいたら、
もっと圧勝だったかもね」

奈緒の何気ない一言だった。

しかし、その瞬間。

夏目の目付きが変わる。

「……どういう意味じゃ。」

「知夏ちゃん、たぶん女子で一番上手だよ。
中学は強豪校だったし、県大会にも出てたから」

「いいよ」

知夏は笑った。

「所詮、県大会までなんだから」

その返答に、夏目は眉をひそめる。

「そんな奴が、何でこんなとこおるんじゃ」

「んー」

知夏は少し考えてから答えた。

「向上心がないって言えばいいのかな。
中学もここも、家から近かっただけ。

自由気ままに、趣味程度にバスケできる方が、
あたしにはちょうどいいんだ」

数秒の沈黙。

やがて夏目は短く鼻を鳴らした。

「……ほうか」

踵を返しながら言う。

「あんたとは気が合わんわ」

そのまま自分の席へ戻っていく。

その背中を見送りながら、知夏は小さく笑った。

「やりー。嫌われた」

「嬉しいの?」

「絡まれるよりマシでしょ」

 奈緒は困ったように笑う。

「でも、私は知夏ちゃんのバスケ好きだけどな」

「いくらでも見られるじゃん」

 知夏は机に肘をついた。

「スタメンは先輩優先だろうけど、
ベンチ入りくらいはするっしょ」

「そうなんだけど…」

「手は抜かないよ。相手に悪いし。
ハードな練習が嫌いなだけで、
今くらいのゆるい部活は楽しいから」

「……そっか」

奈緒はそれ以上何も言わなかった。

知夏には才能がある。

誰よりも、それを知っている。

だからこそ。

いつか、心の底から楽しそうに、
真剣にバスケットボールをする知夏を見てみたい。

そんな願いだけを、
奈緒は胸の奥へそっとしまい込んだ。







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