それぞれの温度






七尾奈緒が男子バスケットボール部の
マネージャーになってから、
部はようやく本格的に動き始めた。

最初に突き付けられた課題は、技術でも戦術でもない。

体力。

どれだけ上手くても、
四十分間走り続けられなければ試合には勝てない。

そんな理由から、男子バスケ部は
来る日も来る日も体育館を走らされていた。

「ラスト一本じゃ! 足止めるな!」

夏目健二の怒鳴り声が響く。

それに負けじと荒い息遣いが体育館中に広がっていた。

ハーフコートを何往復も走る男子部員たち。

その隣では、女子バスケ部がいつも通り
三対三を行っている。

温度差は、同じ体育館とは思えないほどだった。

ガコンッ。

「あぁ!」

リングに弾かれたボールが高く跳ねる。

「どんまーい」

誰かが笑う。

ミスをしても責められない。

怒鳴られもしない。

顧問はコートの端で椅子に腰掛けているだけで、
指導らしい指導はほとんどしなかった。

(最初はこれでいいのかなって思ったけど。)

知夏はドリブルを突きながら思う。

(気楽でいいじゃん。)

勝つためだけに怒鳴られ、走らされ、苦しくなる。

そんな中学時代を知っているからこそ、
この緩さはどこか心地よかった。

「広末さん!」

ポイントガードからボールが渡る。

知夏は受け取ると同時に、
一歩目だけでディフェンダーを置き去りにした。

「速っ──」

ゴール下のセンターが慌ててブロックへ飛ぶ。

知夏はその動きを見て、ふわりとボールを浮かせた。

「ナイス!」

完全にフリー。

 ――のはずだった。

ガコン。

「あー!」

シュートは外れた。

「えぇ…」

知夏は苦笑しながら自らリバウンドへ飛び、
ボールを弾き直す。

「ナイスリバ!」

もう一度ポイントガードへ戻す。

陣形を整え直し、再びボールを受ける。

今度も同じように一歩で抜き去る。

パスを警戒したセンターのブロックは
少しだけ甘い。

「そこ」

空中で体をひねり、ブロックをかわして
ボールを放る。

シュッ。

ネットが小気味よく揺れた。

「ナイスシュート!」

「広末さん上手いー!」

「あざーす」

知夏は照れもせず、いつもの調子で軽く手を振る。

褒められることには慣れていた。

だから特別嬉しいわけでもない。

そんな時だった。

ネットの向こう側。

男子コートとの境目で、一人だけ目を
きらきら輝かせている小柄な少年がいた。

七尾より少し背が高いくらい。

真っ直ぐな視線で、知夏だけを見ている。

「バスケ、すっごく上手ですね!」

「……いや、誰?」

思わず素で返す。

「車谷くん! 足止めない!」

少し離れた場所から奈緒の慌てた声が飛ぶ。

「この前の試合いなかったですよね!」

少年は全く気にしていない。

「僕、一年の車谷空です! 何年生ですか!」

(……車谷?)

その苗字に、知夏の眉がわずかに動く。

どこか聞き覚えがある。

けれど思い出せない。

「空くん。」

横から穏やかな声がした。

女子バスケ部二年、薮内円。

コートの外へ歩いてきた円は、知夏の隣に立つ。

「彼女、君と同級生だよ。」

「へぇー!」

空はさらに目を輝かせた。

「すごいなぁ!」

「藪内先輩、知り合いなんですか?」

「うん。」

円は笑う。

「男子バスケ部が動き出したきっかけ、
この子なんだ」

知夏は改めて空を見る。

こんな小さい奴が。

あの問題だらけの男子バスケ部を。

(……へぇ)

感心よりも先に浮かんだのは、別の感情だった。

「奈緒をたぶらかした張本人か」

「え?」

空が首を傾げる。

「何て言いました?」

「私はね。」

知夏は腕を組み、小さな空を見下ろした。

「自称、奈緒の親友なの」

(自称……?)

その言い回しに円は小さく首を傾げる。

「だから奈緒を困らせたら許さない」

空は一瞬だけ目を丸くした。

そして、にこっと笑う。

「もちろんです!」

「約束します!」

あまりにも真っ直ぐな返事だった。

知夏が少し拍子抜けした、その時。

「だったら走れぇぇ!」

「ぐはっ!」

横から飛んできた飛び蹴りが、
空をきれいに吹き飛ばした。

「……」

「……」

知夏と円が無言で見つめる先。

華麗に着地した大きなアフロ頭の男が、
何事もなかったように咳払いをする。

「こんにちは」

深々と頭を下げた。

「僕、花園千秋って言います」

そう言って右手を差し出す。

知夏はその手を見て、それから千秋の顔を見る。

結局、握らなかった。

「千秋ぃ!お前もサボるな!」

今度はリーゼント頭の男に怒鳴られ、
そのまま千秋は男子コートへ引きずられていった。

体育館には再び、

「走れぇぇ!」

という怒号が響く。

知夏はその様子をぼんやり眺めた。

(大変そう)

正直、そう思った。

ボールにも触れず、ひたすら走るだけ。

あんな練習を毎日やれと言われたら、
自分ならきっと続かない。

コートの中では女子が笑いながら
パスを回している。

その隣では、汗だくになって
歯を食いしばる男子がいる。

同じ体育館なのに、まるで別の世界だった。






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