知らない横顔
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黒いレースの日傘を折り畳み、
エレナは汽車へ乗り込んだ。
蒸気を吐く車体。
石炭の匂い。
人々のざわめき。
エレナはまばらに人が座る車両を見渡し、
窓際の空席へ腰を下ろした。
窓の外では駅員が忙しなく歩き回り、
遠くで汽笛が鳴っている。
千年伯爵から任されている
ハートの捜索に進展はなかった。
イノセンスの噂を辿り、
国を渡り、
街を巡る。
けれど成果は無い。
それでもエレナは退屈していなかった。
知らない景色。
知らない言葉。
知らない人間。
屋敷で育ったエレナにとって、
それらは少しだけ珍しかった。
汽車が走り出す。
車窓の景色はゆっくりと流れ、
やがて国境を越えた。
数駅。
また数駅。
そして昼過ぎ。
汽車は大きな駅へ停車した。
扉が開く。
途端に人が流れ込んでくる。
労働者。
浮浪者。
旅芸人。
酒臭い男達。
狭い通路はすぐに人で埋まった。
皆、
窓際に座るエレナを見ていた。
黒いドレス。
白い肌。
整った顔立ち。
場違いなほど綺麗な少女。
好奇の視線は珍しくなかった。
エレナは気にしない。
ただ通り過ぎる人波を見ていた。
その時だった。
人混みの中に、
見覚えのある男がいた。
小汚い服。
伸び放題の黒髪。
ぐるぐる眼鏡。
肩を丸めて歩く姿は、
洋館で見る男とは別人だった。
けれど。
煙草の匂いだけは同じだった。
ティキ。
エレナは静かに目を上げる。
男は自然に通路を歩いている。
まるで初めから、
ただの浮浪者だったみたいに。
その横顔は、
エレナの知るティキではなかった。
男はエレナの横を通り過ぎる。
視線は向かない。
足も止まらない。
何も言わない。
本当に知らない人間みたいに。
「今すげぇ可愛い子いなかった?」
後ろを歩いていた男が笑う。
「人形みてぇだったよな」
仲間達の声。
するとティキは面倒臭そうに肩を竦めた。
「いーから前向いて歩けよ」
そう言いながら男達の背中を押す。
「後ろ詰まってんだ」
仲間達は文句を言いながらも前へ進む。
ティキもそのまま奥の車両へ消えていった。
エレナは何も言わない。
呼び止めない。
ただ静かに見送る。
やがて汽車は再び走り出した。
ガタン。
ガタン。
規則的な音が響く。
しばらくすると、
奥の車両から笑い声が聞こえてきた。
誰かが怒鳴り。
誰かが笑い。
酒瓶がぶつかる音がする。
その中に。
ティキの声が混ざっていた。
エレナは小さく瞬きをする。
洋館で見るティキは静かだった。
煙草を吸い。
本を読み。
気怠そうに笑う。
それなのに。
今聞こえる笑い声は違う。
人間達の輪の中で。
人間達と肩を並べて。
楽しそうに笑っていた。
人間は愚かだ。
死者を呼び戻し。
AKUMAを生み。
悲劇を繰り返す。
そう思っている。
それなのに。
ティキはそんな人間達の中で笑う。
エレナには分からなかった。
まるで本当に、
人間の仲間みたいだった。
エレナは、
その横顔を知らない。
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