灰紫の瞳
🌙
洋館でジッとウィングチェアに腰掛け、
エレナは窓の外を眺めていた。
今日も特にすることはない。
静かな時間だけが流れている。
すると廊下から軽快な足音が響き、
勢いよく扉が開かれた。
「エレナー!引っ越しするよー!」
飛び込んできたのはロードだった。
楽しそうな笑顔。
エレナはゆっくりと首を傾げる。
「引っ越し?」
「そう!新しいお家!」
ロードは両手を広げながら嬉しそうに笑った。
長く暮らしていた洋館を離れ、
三十五年前から停止していた方舟を基に、
千年伯爵が新たな方舟を造ったらしい。
エレナは特に疑問も持たず、
ロードに連れられるまま歩いた。
やがて目の前の空間が歪む。
その先に広がっていたのは、
白い街だった。
白い建物。
白い道。
白い空間。
どこまでも続く無機質な景色。
その中に無数の扉が並んでいる。
「ティッキー達はまだ日本にいるんだよー」
ロードは扉を眺めながら言った。
「今エクソシストと遊んでるみたい」
夢のメモリーを持つロードには、
遠く離れた出来事も見えているのだろう。
「エレナも見てきなよ」
そう言って一枚の扉を指差した。
エレナは何も言わず扉へ手を伸ばす。
扉を開いた瞬間。
轟音が耳を打った。
爆発音。
建物の崩れる音。
AKUMAの悲鳴。
そして。
イノセンスの気配。
エレナは静かに扉を潜る。
気付けば高い見張り台の上に立っていた。
夜の街。
遠くでは炎が上がり、
戦闘が続いている。
夜にもかかわらず、
エレナは黒いレースの日傘を差していた。
静かに戦場を見下ろす。
そこには複数のエクソシストがいた。
そして。
ティキ・ミック。
褐色の肌。
額の十字。
ノアの姿で神田ユウと戦っている。
自分の中のノアが反応する。
イノセンス。
エクソシスト。
憎しみ。
胸の奥で黒い感情が揺れる。
けれど。
同時に別の感情も流れ込んでくる。
悲しみ。
灰紫の瞳に薄く涙の膜が張った。
何故泣いているのか。
エレナには分からない。
ただ涙だけが溢れてくる。
その時だった。
巨大なAKUMAへ無数の糸が絡み付く。
拘束。
悲鳴。
そして。
神田の一閃。
巨大な肉塊が真っ二つに裂けた。
無数のAKUMAが一斉に消滅する。
その瞬間。
エレナの頬を涙が伝った。
一体ではない。
数え切れない程の終わり。
悲しみだけが流れ込んでくる。
エレナは見張り台から静かに身を投げた。
ふわりと日傘が広がる。
黒いレースのドレスが夜風を受ける。
人形のような少女は、
建物の屋根へ降り立った。
そして。
一人の少女と目が合う。
リナリー・リー。
顔の半分には包帯。
両足にも治療の跡が残っている。
戦いの中で傷付いたのだろう。
ロードが言っていた。
可愛いエクソシスト。
けれど。
目の前にいる少女は、
ロードが夢の中で着飾った人形とはまるで違った。
顔には包帯が巻かれ。
服は傷付き。
全身に戦いの跡が残っている。
人形とはかけ離れた姿。
ただの傷付いた人間だった。
リナリーは息を呑む。
敵であるはずのノア。
褐色の肌。
額の十字。
間違いなくノア。
それなのに。
泣いている。
灰紫の瞳から静かに涙を流している。
どうして。
何故。
理解出来ない違和感だけが胸に残る。
二人は何も言わない。
ただ視線だけが交わる。
その時だった。
空間が大きく歪む。
巨大な影。
千年伯爵。
「チョコ ザイ ナ♡」
不気味な笑みと共に、
漆黒の闇が街を覆い始める。
エレナは静かに振り返る。
そして最後にもう一度だけ、
リナリーを見る。
灰紫の瞳。
涙に濡れたその瞳を。
リナリーもまた見つめていた。
何故泣いているのか。
最後まで分からないまま。
千年伯爵の闇が全てを覆い隠した。
.