血の掟
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ヨコハマに聳え立つ四棟の高層ビル。
その中央に位置する一際高いビルの最上階──。
そこは、闇の世界に君臨する王の玉座。
ポートマフィア首領室。
然し今、その席は空席だった。
この街の闇を支配する男は、
豪奢なベッドの上で天井を見つめ、
虚ろな瞳を揺らしている。
「……殺せ……
ポートマフィアに逆らう者、全て……」
譫言のように呟き、細く痩せた指先を天井へ伸ばす。
その手は幾人もの敵を殺し、
幾人もの仲間を切り捨て、闇の頂点を掴んだ手。
だが今は、折れてしまいそうなほど細く、
弱々しかった。
「全てじゃ……全てを殺せ……燃やせ……
このヨコハマを……朽ちた街を……」
途切れそうな命の声に、一人の男が静かに答える。
「……朽ちらせたのは、あんただ。」
月明かりだけが差し込む部屋。
ベッドを見下ろす男の表情は影に隠れ、
窺い知ることは出来ない。
だが、その口元だけが僅かに歪む。
「……最後に朽ちるのは、お前だ。」
その言葉は、既に首領の耳へ届くことはなかった。
───
未来的な高層ビルには不釣り合いな、
焦げ茶色の重厚な扉。
それを開けば、赤い絨毯が広がり、
壁一面には本棚が整然と並ぶ。
黒革のソファ、猫脚のローテーブル。
窓際には古びたラックが置かれ、
部屋全体に静かな落ち着きが漂っていた。
執務室の主、志賀直哉はコートとジャケットを
ラックへ掛ける。
ネクタイを緩め、シャツの第一ボタンを外すと、
そのままソファへ深く腰を下ろした。
ローテーブルの上に置かれた飲みかけの水を
手に取り、一息で飲み干す。
空になったグラスを音を立てて置くと、
小さく息を吐き、背もたれへ身体を預けた。
首領と会った後は、いつもこうだった。
執務机の上には、山のように積まれた資料。
取引企業の内部情報。
敵対組織の動向。
暗殺対象者の追加資料。
今のポートマフィアは、掃除屋だ。
首領が気に入らない企業も、組織も、人間も。
全て消せ。
それが幹部へ下される命令だった。
当然、逆らう者はいない。
例えその命令が、
組織そのものを滅ぼす結果になろうとも。
志賀もまた、その命令に従い続けてきた。
外部の敵。
内部の裏切り者。
その全てを、自らの手で始末してきた。
標的は最後まで志賀の姿を見ることはない。
だが、組織の者たちは理解している。
──これは志賀直哉の仕事だ、と。
証拠も残さず、痕跡も残さない。
それが彼の暗殺だった。
だからこそ、志賀を慕う者は少ない。
彼は敵だけでなく、仲間すら手に掛ける男なのだから。
静寂を破るように、扉が三度叩かれた。
「志賀幹部。広津です。報告に参りました。」
「入れ。」
扉を開けたのは、燕尾服を身に纏った初老の男
──広津柳浪。
遊撃隊隊長であり、志賀直属の部下だった。
「先日のD.W社ですが、社長より今月中で取引を
打ち切りたいとの申し出がありました。」
「うちへの上納金を滞納したままでか。」
「来月には準備出来るとのことです。」
志賀は資料を一枚捲る。
「なら今月分と来月分を用意させろ。」
「……」
「D.W社は今期こそ売上を落としているが、
前期と前々期は悪くない。
馬鹿息子の豪遊で使い果たしていなければ、
蓄えはある。」
資料を閉じる。
「二ヶ月分に利子を付けて二千三百万。
来月頭までに用意出来ないなら
──会社ごと消えて貰う。」
広津は僅かに視線を伏せた。
「……取引企業は、他幹部の担当も含め
年々減り続けています。
このままでは我々にも……。」
「……首領は、お前か。広津。」
空気が凍る。
ソファへ腰掛けたまま、両肘を膝へ置き、
僅かに前屈みになる志賀。
その灰青色の瞳だけが、鋭く広津を射抜いていた。
「……っ、失礼しました。」
広津は深く頭を下げる。
志賀はゆっくり背もたれへ身体を預けた。
「ポートマフィアに逆らう者は全て排除。
それが首領のお望みだ。」
片手を気怠げに上げる。
「幹部も構成員も、言われたことをするだけだ。」
「例え、それが組織ごと滅ぶことになろうとも。」
広津は静かに右手を胸へ当てた。
「……ポートマフィアは首領と共に。」
血の掟。
誰もが口にする誓いの言葉。
だが、志賀の表情は一切変わらない。
その言葉は広津にとって忠誠の証。
しかし志賀にとっては、全く逆の意味を持っていた。
首領も。
ポートマフィアも。
この手で終わらせる。
そして、未練一つ残さず、自分もまた消える。
その日を迎えるためだけに、
志賀直哉は今日も幹部を演じ続けていた。
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