視線


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ヨコハマの闇街は、ポートマフィアによって
少しずつ血に染まっていた。

抗争は日を追うごとに激しさを増し、
企業や他組織が雇った武装勢力との衝突が絶えない。
そんな中で、志賀直哉は幾度となく敵対組織へ赴き、
その度に一人ずつ、あるいは組織ごと消してきた。

返り血を浴びることにも、
誰かから恨みを買うことにも、
もう慣れている。

志賀を恨む者は多い。

しかし、首領の命令へ一切逆らわず、
忠実に人を殺し続ける彼の姿は、
部下たちにとって恐怖そのものだった。
側近である広津柳浪でさえ、
志賀の傍らにいる時には余計な言葉を口にしない。

もっとも、志賀自身にとっては、
何も変わっていなかった。

元々、殺し屋として人を殺して生きてきた。

ただ以前よりも、堂々と殺しているだけだ。

そんな日々の僅かな隙間。

志賀は自身の執務室にある黒い革のソファへ
仰向けに身を預け、眠っていた。

深く眠るつもりなどない。

次の仕事がいつ入るか分からない以上、
長く眠ることはできない。
それでも、僅かな時間でも身体を休められることは、
今の志賀にとって貴重だった。

やがて自然と目が覚める。

志賀はゆっくりと身体を起こすと、
テーブルへ手を伸ばした。

そこに置かれていたグラスには、
飲みかけの水が残っている。

それを一気に飲み干し、
空になったグラスをテーブルへ戻した。

隣に置かれていた書類を手に取る。

部下から上がってきた報告書には、
敵対組織の内部状況、
ポートマフィア側の重軽傷者の人数、
押収した武器の数量など、
細かな情報が並んでいた。

どれも必要な情報ではある。

だが、志賀自身が興味を持つような内容ではない。

一通り目を通したところで、短く息を吐く。

書類をまとめると、
そのままシュレッダーへ放り込んだ。

紙が細かく裁断されていく音を背に、
志賀は部屋を出る。

向かう先は、首領のいる部屋だった。

首領のもとへ頻繁に足を運ぶ幹部は、
今では志賀くらいのものだった。

「首領、志賀です。入ります。」

使われなくなった執務室を通り過ぎる。

その奥にある本棚は、
普段ならただ壁の一部として佇んでいる。

志賀が隠し扉を開くと、
本棚の奥へ続く通路が姿を現した。

その先にある首領の部屋へ足を踏み入れる。

そこで志賀は、見覚えのある男の姿を見つけた。

以前、医務室で自分の傷を手当てした医師。

森と名乗っていた男だった。

「これは志賀幹部、お久しぶりです。」

森は穏やかな笑みを浮かべて振り返る。

志賀は足を止めた。

「何故お前が此処にいる。」

問い掛けられても、森は少しも動じない。

「今は首領の専属医師として雇われています。
首領への報告ならすぐ席を外しましょう。
近頃安定していますが、何かあれば外にいます。」

そう言いながら、森は診察に使っていた器材を
手際よく片付け始めた。

その動作を眺めていた志賀の視線が、
ふと部屋の隅へ向く。

壁際に、一人の少年が立っていた。

「……その餓鬼は?」

志賀が目を向けた瞬間、少年もこちらを見る。

片目に巻かれた白い包帯。

医務室を出る時、肩をぶつけた少年だった。

ほんの一瞬の出来事だったが、志賀は覚えていた。

森は少年へ視線を向ける。

「彼は私の付き人ですよ。太宰君。
以前話した此処の幹部の志賀直哉くんだよ。
ご挨拶しなさい。」

少年――太宰治は、志賀を見上げた。

「こんにちは、志賀幹部。」

志賀は返事をしなかった。

少年へ一瞥をくれただけで、首領へ視線を戻す。

「……首領の前で失礼だ。出てけ。」

太宰はきょとんと目を丸くした。

自分が無視されたことよりも、
なぜそこまで冷たく言われたのか
分からないといった顔だった。

森はそんな太宰の様子を気に留めることなく、
扉へ向かう。

「行くよ、太宰君。」

「……うん。」

促され、太宰も森の後に続く。

扉へ向かう途中、太宰はもう一度だけ
志賀を振り返った。

志賀は首領へ向き直ったまま、
少年へ視線を向けることはなかった。

太宰が見つめ続けても、その目が合うことはない。

やがて扉が閉じた。

静かになった部屋で、志賀は首領へ
ポートマフィアの現状を報告する。

取引の減少。

敵対組織の増加。

構成員の損耗。

それらを淡々と伝え終えると、
先代首領から新たな命令が下された。

――さらなる敵対組織の壊滅。

志賀はそれを聞き終えると、ただ一言だけ返した。

「承知。」

そして、また次の処刑へ向かった。








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