面影


*





「吼えろ、蛇尾丸!!」

阿散井の声が響いた。

次の瞬間、彼の霊圧が大きく膨れ上がる。

紫乃は物陰から、戦闘が行われている広場へと
慎重に顔を覗かせた。

「……え」

思わず、声が漏れる。

戦っているのは、阿散井恋次。

そして、旅禍と思われる一人の青年だった。

オレンジ色の髪。

大きな斬魄刀を振り回し、
阿散井にも引けを取らないほどの
戦闘力を見せている。

しかし、紫乃が目を奪われた理由は、
その強さではなかった。

青年の顔が、あまりにもよく知る人物に似ていた。

「……海燕?」

その名が、無意識に唇から零れる。

かつて十三番隊で共に過ごし、
親しい友人でもあった男。

志波海燕。

もう二度と会うことのない、
その面影が目の前の青年と重なった。

胸の奥が、きゅっと締め付けられる。

紫乃はそれ以上、
言葉を発することなく戦いを見つめた。


阿散井と青年の戦いは、激しさを増していく。

互いに声を張り上げ、斬魄刀をぶつけ合う。

紫乃はその様子を見ながら、
やがて青年の目的を察した。

――この旅禍は、ルキアを取り戻しに来たのだ。

「……そっか」

小さく呟く。

「だから、ルキアは……」

紫乃は青年から目を離さなかった。

彼の名は、黒崎一護。

単に顔が似ているだけではないのだろう。

きっとルキアは、この青年の中に何かを見たのだ。

虚を前にしても逃げず、
自分の力を託してもいいと思える何かを。

だからこそ、あの時――。

ルキアは彼に死神の力を渡した。

紫乃には、そんな気がした。


戦況が変わる。

初めは阿散井に押されていた黒崎一護が、
少しずつ追いついていく。

何かを掴んだのか。

斬魄刀との向き合い方が変わったのか。

その動きは、先ほどまでとは明らかに違っていた。

そして――。

ついに、一護の一撃が阿散井を捉えた。

「……!」

阿散井の身体が大きく弾かれ、
地面へと崩れ落ちる。

副隊長である阿散井が敗れた。

三席以下の席官であっても、
簡単には成し得ないことだった。

紫乃は息を呑みながら、その先を見つめる。


倒れた阿散井は、
それでも意識を失ってはいなかった。

ふらつきながら身体を起こし、
一護の胸ぐらを掴む。

「……今にして思えば、ビビっていただけ
なのかもしれねえな……俺は……」

息を荒くしながら、
阿散井は言葉を吐き出していく。

「まったく……骨の髄まで野良犬根性が
染み付いてやがるんだ……厭になるぜ」

その声には、自嘲が滲んでいた。

「星に向かって吠えるばっかで、
飛びつく度胸ありゃしねぇ……!」

そして、阿散井は再び一護の胸ぐらを強く掴む。

「……俺は……結局、
朽木隊長に……一度も勝てねぇままだ……」

声が震える。

「ルキアがいなくなってからずっと……
毎日死ぬ気で鍛錬したが、それでも駄目だった…
あの人は遠すぎる……」

一度、息を呑む。

「力ずくでルキアを取り戻すなんて…
俺には出来なかったんだ……!」

それでも、阿散井は一護を離さなかった。

「……黒崎……恥を承知でてめぇに頼む……!」

縋るような声だった。

「……ルキアを………
ルキアを助けてくれ……!!」

紫乃は、黙ってその言葉を聞いていた。

阿散井恋次。

ルキアの幼馴染。

そして、彼女を救えなかったことを
誰よりも悔いている男。

その思いが、言葉の一つ一つから伝わってくる。

対する一護は、しばらく何も言わなかった。

やがて――。

「………ああ」

低く、静かな声。

けれど、その言葉には確かな強さがあった。

阿散井の手から力が抜ける。

そのまま、彼は地面へと崩れ落ちた。

そして一護もまた、
張り詰めていた力が切れたように、
その場へ倒れ込んだ。


しばらくして、物陰から二人の人影が現れた。

一人は、先ほどから戦闘を見ていた旅禍。

そしてもう一人は、
人質にされたはずの四番隊隊士だった。

二人は倒れている一護の様子を窺っている。

紫乃もまた、物陰から出ると瞬歩で
二人の前へ姿を現した。

「ま、また追っ手かよ……!!」

旅禍の男が驚き、一護を庇うように前へ出る。

「あなたは……!!」

四番隊隊士も紫乃の姿を見て声を上げた。

しかし、紫乃は二人を責めることなく、
静かに口を開いた。

「早く連れて、治療してあげて」

「……え?」

予想していなかった言葉に、二人が目を丸くする。

紫乃は倒れている一護へ視線を向けた。

「もうすぐ、ここの管轄内の隊員が来るから。
早く彼だけ連れて逃げなさい」

四番隊隊士は一瞬戸惑ったあと、
慌てて頭を下げた。

「あ、ありがとうございます……!」

「なんだかよく分かんねえが、花太郎、行くぞ!」

旅禍の男が四番隊隊士の名を呼ぶ。

「はい!」

花太郎が一護を支える。

二人はそのまま、
下水道へ続く道へと走っていった。


二人の姿が見えなくなると、
紫乃は倒れている阿散井へ歩み寄った。

まだ意識がある。

紫乃はその傍らにしゃがみ込み、
そっと手をかざした。

淡い霊力が傷ついた身体を包み込んでいく。

回道。

紫乃は十三番隊の副隊長でありながら、
治療の心得も持っていた。

「あ、あんた……」

阿散井が薄く目を開ける。

「戦闘中の会話、聞こえたよ」

紫乃は回道を続けながら、静かに話しかけた。

「君は……ルキアの幼馴染だったね」

阿散井は返事をしない。

紫乃は傷の具合を確認しながら、
少しだけ目を伏せた。

「こんなことになって……申し訳ない」

ルキアの極刑を覆せなかったこと。

それを、紫乃は自分の責任のように感じていた。

しかし、阿散井は苦しそうに眉を寄せる。

「知ったこと……言うんじゃねえよ……」

息を吐きながら、絞り出すように続ける。

「あんたらに……何が分かる……」

それだけを言うと、
阿散井は力尽きたように目を閉じた。



その直後。

遠くから、こちらへ近づいてくる霊圧を感じた。

紫乃が顔を上げる。

やがて、瞬歩で駆けつけた吉良イヅルの姿が見えた。

「花房副隊長!阿散井副隊長……!」

吉良が駆け寄ってくる。

「私が着いた頃には、もう……」

紫乃は小さな嘘をついた。

「手当てをお願い。
私の回道では応急処置にしかならないから」

紫乃は立ち上がり、阿散井を吉良へ引き渡す。

「は、はい!」

吉良が阿散井の身体を支える。

しかし、その直後。

「……花房副隊長」

吉良は紫乃の手元を見て、僅かに目を見開いた。

四番隊に在籍した経験のない紫乃が、
回道を使ったことに驚いたのだ。

けれど、紫乃はそれに気づくことなく、
既に別の方向を見ていた。

黒崎一護たちが逃げていった方向。

紫乃は静かに身体を向ける。

その表情からは、
先ほどまでの穏やかさが僅かに消えていた。

「……」

しばらくその方向を見つめる。

そして、紫乃はその場を離れた。







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