苦い一服


*




藍染惣右介率いる破面との決戦に備え、
尸魂界では各隊に警戒態勢が敷かれていた。

いつ敵が動き出しても対応できるよう、
隊士たちはそれぞれの持ち場で準備を進める。
表面上は静かな日々が続いていたが、
その静寂の下には、決戦が迫っているという
緊張が確かに流れていた。

そんな中、浦原喜助の尽力によって、
安定した黒腔の開通が可能となった。

これにより、尸魂界から虚圏へ直接向かい、
現地で戦闘に加わることができる。

単独で虚圏へ向かった黒崎一護、
朽木ルキア、阿散井恋次を追い、
四番隊隊長・卯ノ花烈、六番隊隊長・朽木白哉、
十一番隊隊長・更木剣八と副隊長・草鹿やちる、
十二番隊隊長・涅マユリと副隊長・涅ネムの
六名が派遣された。

一方、浦原喜助は藍染が狙う
空座町の複製を完成させた。

これで、舞台は整った。

総隊長の命により、
護廷十三隊の隊長格は全員、
複製された空座町にて
藍染惣右介を迎え撃つこととなる。

そして、その決戦を前に。

五番隊副隊長・雛森桃の修行を見ていた
十三番隊副隊長・花房紫乃は、
彼女を戦いに参加させるか否か、
その判断を委ねられていた。




◇



「……以上が、雛森副隊長の現状です」

総隊長室の一角に設けられた茶室。

紫乃は畳の上に正座し、
目の前に座る山本元柳斎重國へ報告を終えた。

山本は趣味として茶会を開くほど、
茶道を好んでいるという。

今も紫乃の前で静かに茶を点てていた。

湯の沸く音と、茶筅が茶碗の中で動く音だけが、
室内に穏やかに響く。

やがて、山本は点てた茶を紫乃の前へ差し出した。

「いただきます」

紫乃は茶碗を両手で取り、
作法に則って静かに口をつける。

茶の香りが広がり、
ほのかな苦みの後に深い旨味が残った。

紫乃自身、茶道の心得はある。
その所作に乱れはなく、
茶碗を置く動きに至るまで、
流れるように美しかった。

「大変美味しく頂戴いたしました。
ありがとうございます」

紫乃が丁寧に頭を下げると、
山本は満足げに頷いた。

「うむ」

一拍の間を置いて、紫乃は本題を切り出した。

「雛森の件ですが……
本人が望んでいる鬼道の訓練は、
新技も完成し、順調に進んでいます」

「出陣についても、
私は問題ないと考えています。ただ……」

紫乃は言葉を選ぶように、わずかに間を置いた。

「新技そのものが、奇襲に適した性質を持っています。
できることなら、彼女は戦闘開始時から
前線に出るのではなく、
後から合流させた方が戦略的にも有効かと」

雛森の鬼道の腕は確かだ。

そして、紫乃が教えた複合技も、
実戦で使える段階にまで仕上がっている。

だが、新たに身につけた技を最大限に活かすなら、
敵にその存在を知られていないことが重要だった。

戦況を見極め、敵が想定していない
タイミングで仕掛ける。

それこそが、雛森の新技を活かす
最善の方法だと紫乃は考えていた。

山本は目を閉じ、しばし考え込む。

やがて、ゆっくりと口を開いた。

「……分かった。それなら、
花房副隊長と雛森副隊長は、戦況を見て合流する。
それでよいな?」

「……はい」

紫乃は静かに頷いた。

つまり、自分もまた、決戦の開始時点では
前線に出ないということだ。

十三番隊隊長である浮竹の側を離れることになる。

本音を言えば、できる限り
浮竹の近くにいたかった。

だが、京楽もいる。

そして、雛森には自分が
ついていなければならない。

今回の役目は、彼女の状態を見極め、
適切な時機に戦場へ送り出すこと。

それを任された以上、
私情を優先するわけにはいかなかった。

「雛森副隊長の監視と、
奇襲のサポートに徹します」

「うむ」

山本は短く答えた。

紫乃は一礼してから、改めて口を開く。

「それでは、合流については技術開発局と連携し、
内部の状況を確認できるか調べてまいります。
雛森にも、今回の決定を伝えてよろしいでしょうか?」

そう言いながら、紫乃は腰を上げようとした。

しかし。

「花房副隊長」

山本の声が、それを制した。

紫乃は動きを止め、視線を向ける。

山本は、先ほどまでとは異なる
眼差しを向けていた。

「百一年前の罪を知る者は、
今の隊長格には数少ない」

紫乃の表情が、僅かに変わった。

「斬魄刀の能力によるものとはいえ、
彼らにも酷なことをした」

山本は言葉を続ける。

「お主にとっても、失うものが多かっただろう」

静かな声だった。

それでも、その言葉は
茶室の空気を重くするには十分だった。

「……」

紫乃は黙って山本を見つめた。

百一年前の罪。

平子真子たち、虚化した死神を
処刑しようとしたこと。

浦原喜助と握菱鉄裁を罪人として追い詰めたこと。

そして、自分自身もまた、
二番隊を追われることになった。

だが、それだけではない。

朽木ルキアの処刑。

雛森桃が負った、深い心の傷。

藍染惣右介は、鏡花水月の完全催眠を利用し、
幾重にも嘘を重ねてきた。

護廷十三隊は、気づかぬうちに
彼の手のひらの上で踊らされ、
多くの死神を罪人として失いかけたのだ。

あの男がいなければ。

そんな思いが、胸の奥で燻っている。

しかし、怒りの矛先は単純ではなかった。

かつて浦原を罪人として扱った尸魂界は、
今や彼の力を借りている。

空座町の複製も、虚圏へ通じる黒腔も、
決戦に欠かせないものだ。

都合のいい話だと、言ってやりたい気持ちもある。

けれど、紫乃自身もまた、
その力を必要としている。

自分もまた、かつての判断と、
この組織の一員であったことから逃れられない。

だからこそ、誰か一人に怒りをぶつければ
済む話ではなかった。

山本は、そんな紫乃の胸中を
見透かすように言った。

「この戦、決して負けるわけにはいかぬ」

その声には、総隊長としての重みがあった。

「だが、復讐心に飲まれるな。花房副隊長」

紫乃は、山本をじっと見つめた。

その瞳は、冷静さを失ってはいない。

けれど、いつもの落ち着きとはどこか違っていた。

凪いだ水面の底に、
決して消えない冷たいものが沈んでいる。

やがて紫乃は、静かに口を開いた。

「……私は、為すべきことを遂行するだけですので」

抑揚のない声だった。

怒りを露わにすることも、
山本の言葉に反論することもない。

ただ、感情の所在を悟らせないように、
淡々と告げる。

それは、冷静というよりも――冷たさに近かった。

「問題なければ、失礼します」

紫乃は深く一礼し、茶室を後にした。

襖が静かに閉じる。

一人残された山本は、
しばらくその場を動かなかった。

やがて、細く閉じていた目をわずかに開き、
紫乃が出ていった襖を見つめる。

湯気の立つ茶碗は、まだ温かかった。

しかし、茶室に戻った静寂は、
先ほどまでとは違う重さを帯びていた。






.