狂宴
*
紫乃がワンダーワイスへ向かおうとした、
その時だった。
ワンダーワイスが乗っていた巨大な虚が、
久南白の一撃によって破壊された。
標的を失ったワンダーワイスの意識は、白へと移る。
虚化した白は圧倒的な勢いで拳を叩き込み、
ワンダーワイスを一方的に殴り続けた。
しかし、優勢だった戦況は長く続かなかった。
虚化が解けた瞬間、白の動きに隙が生じる。
その一瞬を逃さず、
ワンダーワイスの拳が白を捉えた。
「っ……!」
衝撃に弾き飛ばされた白は、
致命傷を負って地面へと崩れ落ちる。
六車拳西がすぐさま彼女を保護し、
戦線から遠ざけた。
一方、ワンダーワイスは両腕をだらりと下ろし、
項垂れていた。
「ァ……アゥァ〜」
意味を成さない声を漏らしながら、
力なく立ち尽くしている。
その背後に、一つの影が現れた。
瞬歩によって間合いを詰めた紫乃は、
閉じた鉄扇を手に、
ワンダーワイスの背後へと音もなく立っていた。
「刹華・葬舞」
次の瞬間、鉄扇が開く。
その勢いを刃へと変え、
紫乃はワンダーワイスの胴体を一閃した。
「ァ……?」
ワンダーワイスが、ゆっくりと振り返る。
目が合った。
紫乃の冷え切った瞳が、
目の前の敵を見据えている。
斬り離された胴体を、
ワンダーワイスは両手で押さえつけた。
すると、傷口から霊圧が溢れ出し、
分断された肉体が瞬く間に接合していく。
超速再生。
その異常な再生能力を前にしても、
紫乃の表情は変わらなかった。
ワンダーワイスは彼女から距離を取り、低く唸る。
「ウ〜……ア〜ゥ〜……」
まるで敵を威嚇する犬のような声だった。
先ほどまでの無邪気さは、そこにはない。
紫乃に対する怒りと警戒が、
その仕草からはっきりと窺えた。
紫乃は、ただ冷たい瞳で
ワンダーワイスを見下ろしていた。
その姿に、戦場の視線が引き寄せられる。
仮面の軍勢たちもまた、
戦いの手を止めることこそなかったものの、
紫乃の存在を意識せずにはいられなかった。
「……紫乃」
藍染の前に立つ平子も、
離れた場所で対峙する彼女へと目を向けた。
百一年前。
あの日、彼女が纏っていた霊圧とは明らかに違う。
密度も、重みも、まるで別物だった。
長い年月を経て、彼女もまた変わったのだ。
そして、紫乃の佇まいを見れば、
これから何をするつもりなのかは察せられた。
平子は静かに目を細める。
――おそらく、使う気やな。
その予想を裏付けるように、
紫乃は鉄扇を顔の前で開き、構えた。
「卍解……艶舞爛漫宴」
その声が戦場に響いた瞬間、
紫乃の背後に人影が現れた。
彼女よりも背丈の高い女。
身に纏うのは、艶やかな着物。
赤黒い髪は芸者のように結い上げられているが、
その髪型はどこか乱れていた。
白く塗られた顔に、紅を引いた唇。
俯いているため、表情を窺うことはできない。
女は三味線を手に、静かに佇んでいた。
宵椿。
紫乃の斬魄刀の化身である。
宵椿が撥を構え、三味線の弦を弾いた。
――ジャン。
その一音を合図に、無数の鉄扇が出現する。
紫乃とワンダーワイスを取り囲むように、
半径三十メートルに及ぶ範囲へと広がっていく。
大小さまざまな鉄扇が、
宙に浮かびながら静かに開閉した。
ワンダーワイスは、不思議そうに周囲を見渡す。
彼の目に映るのは、あまりにも多くの鉄扇。
その一つひとつが、紫乃の武器だった。
やがて、宵椿の奏でる三味線が、
駆け抜けるような速弾きへと変わる。
軽やかでありながら、どこか不気味な旋律。
演奏が加速するのに合わせて、
周囲の鉄扇が一斉に動き出した。
四方八方から、ワンダーワイスへと襲い掛かる。
斬撃が走る。
身を捻って躱そうとしたワンダーワイスの肩が、
腕が、脚が、次々と鉄扇の刃に切り裂かれた。
しかし、攻撃はそれだけでは終わらない。
無数の鉄扇が飛び交う中へ、
紫乃自身も紛れ込んでいた。
彼女は迫り来る鉄扇を紙一重で躱し、
ときにはその上を足場にして跳躍する。
遠心力を乗せた斬撃を繰り出し、
敵の死角へと瞬時に回り込む。
一度、二度。
斬りつけるたびに、
彼女の姿は別の場所へと移っていた。
舞うように、鮮やかに。
けれど、その舞に慈悲はない。
美しい所作とは裏腹に、
繰り返される斬撃は容赦なく
ワンダーワイスの身体を切り刻んでいく。
飛び散る血が、
鉄扇の軌跡を追うように宙を舞った。
ワンダーワイスは超速再生によって傷を塞ぎながらも、
絶え間なく襲い来る刃を捌ききれずにいた。
その時、彼は気付いた。
無数の鉄扇を操るこの卍解の中心。
その主軸となっているのは、
三味線を奏でる女――宵椿だ。
「ァ……!」
ワンダーワイスは宵椿へと顔を向けると、
口を大きく開いた。
次の瞬間、虚閃が放たれる。
強烈な光が宵椿を呑み込もうとした。
だが、その直前。
無数の鉄扇が宵椿の前へと集まり、
幾重もの盾を形成した。
轟音が響き渡る。
虚閃の光が鉄扇の群れに弾かれ、周囲へと散った。
宵椿の演奏は、途切れない。
紫乃はその隙を逃さなかった。
「散華一穿」
閉じた鉄扇を槍のように構え、
瞬歩で一気に間合いを詰める。
そして、ワンダーワイスの頭部へと
鋭い一撃を突き込んだ。
刃が深々と貫く。
「ァ……アウアゥ……!」
苦しげな唸り声が漏れた。
次の瞬間。
「ゥアァアァアア――!!」
ワンダーワイスが絶叫した。
その咆哮とともに、
凄まじい衝撃波が周囲へと広がる。
吹き荒れる霊圧が地面を震わせ、
周囲の鉄扇を弾き飛ばした。
紫乃は即座に距離を取り、鉄扇を構え直す。
ワンダーワイスの全身が、眩い光に包まれていた。
膨れ上がる霊圧。
変容していく肉体。
その姿が、徐々に変わっていく。
帰刃。
言葉をほとんど持たない彼に、
解号を唱える様子はない。
それでも、起きている現象は明らかだった。
やがて光が弾け、そこに現れたのは、
先ほどまでとはまるで異なる姿だった。
帰刃――『滅火皇子(エスティンギル)』。
頭部の半分ほどを仮面が覆い、
肩と大腿部は異様なまでに膨れ上がっている。
体格は解放前の倍近くにまで変化し、
巨大な両肩には、無数の腕が収納されていた。
その異形から放たれる霊圧が、
戦場の空気を塗り替える。
宵椿の演奏が、一瞬の間を置いて再び響き始めた。
三味線の音が高く跳ねる。
それに呼応するように、
無数の鉄扇がワンダーワイスへと襲い掛かった。
だが――。
膨れ上がった肩から、
無数の触手が勢いよく伸びる。
触手は迫り来る鉄扇を次々と弾き飛ばし、
刃の軌道を乱した。
金属音が連続して鳴り響く。
先ほどまで一方的に押し込んでいた戦況が、
わずかに揺らいだ。
紫乃は目を細め、
帰刃したワンダーワイスを見据える。
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