残酷なる華


*





帰刃したワンダーワイスを前に、
紫乃は鉄扇を閉じた。

その背後では、宵椿が再び三味線を構えていた。

撥が弦を弾く。

――ジャン。

一音を合図に、途切れていた舞が再び始まった。

ワンダーワイスの両肩から無数の触手が伸び、
紫乃へと襲い掛かる。

「双華ノ舞」

無数に飛ぶ鉄扇を一つ取り二刀流となる。
左右の鉄扇を交互に振るい、
流れるような連撃を繰り出し薙ぎ払う。

鉄扇が弧を描くたび、
触手の軌道が逸れ、
切断された先端が宙を舞った。

しかし、触手の数は減らない。
切り払った傍から新たな触手が伸び、
紫乃の逃げ道を塞ごうと迫ってくる。

紫乃は身を翻し、瞬歩でその包囲を抜けた。

「宵椿・舞灯」

鉄扇を開くと同時に、
鬼道によって生み出した炎が扇面を包み込む。

炎を纏った鉄扇が、横薙ぎに振り抜かれた。

轟、と空気が唸る。

燃え盛る刃がワンダーワイスの身体を捉えた、
その瞬間だった。

纏わせていた炎が、
不自然なほどあっけなく鎮火した。

炎を失った鉄扇は勢いを削がれ、
ワンダーワイスの身体を斬り裂くことなく、
硬質な肉体へと激突する。

鈍い音が響いた。

「ッ……!」

紫乃は即座に後方へ退こうとした。

だが、その動きを読んでいたかのように、
無数の触手が彼女へと殺到する。

両手首を掴まれ、両足を拘束される。
さらに胴体へと巻き付いた触手が、
容赦なく紫乃の身体を締め上げた。

「……っ!」

四肢を引き裂くような力が加わる。

ミシ、ミシミシッ――。

骨が軋む音が、紫乃自身の身体の内側から響いた。

「痛ッ……!」

次の瞬間、バキバキッと鈍い音が連続した。

左腕に激痛が走る。肩の関節が外れ、
腕の骨が折れたのか、触手に引かれるまま、
肩から引き抜かれそうになる。

息が詰まった。

口元から血が溢れ、紫乃の唇を赤く染める。

それでも、彼女の意識は途切れなかった。

「宵…椿……!」

血を吐きながら、紫乃は斬魄刀の名を呼んだ。

その声に応えるように、
宵椿の三味線が激しく鳴り響く。

周囲に散らばっていた鉄扇が、一斉に動いた。

幾重にも重なり合い、巨大な一枚の鉄扇を形作る。
黒い鉄の骨と、深い紅を帯びた扇面が、
ワンダーワイスの巨体を横切るように迫った。

一閃。

巨大な鉄扇が、
触手ごとワンダーワイスを薙ぎ払った。

掴まれていた四肢が解放され、
紫乃の身体が宙へと投げ出される。

彼女は痛みに顔を歪めながらも、
なんとか体勢を立て直し、地面へと着地した。

左肩は脱臼し、腕には骨折の痛みが走る。
肋骨にも罅が入っているのだろう。
呼吸をするだけで、胸の奥が鋭く疼いた。

一方、ワンダーワイスもまた、
切り裂かれた身体を超速再生によって修復していた。

互いに傷を負いながら、戦いは続く。

このままでは、先に限界を迎えるのは自分だ。

紫乃は乱れた呼吸を整え、
痛みを押し殺しながらワンダーワイスを見据えた。

――炎が、消された。

ただの偶然ではない。

舞灯の炎は、敵の身体に触れた途端、
まるで存在そのものを
打ち消されたかのように消失した。

紫乃は、先ほどの感触を冷静に思い返す。

炎を纏わせた鉄扇が通じなかったのなら、
別の属性を試せばいい。

原因を見極めるためにも、
立ち止まっている余裕はなかった。

紫乃は鉄扇を開き直す。

「宵椿・紫電ノ舞」

三味線の音に合わせ、
紫乃が鉄扇を連続して振り抜いた。

扇面から、無数の雷撃が放たれる。

紫乃が一振りするたび、
紫電が放射状に広がり、
ワンダーワイスの巨体へと降り注いだ。

バチバチッ、と空気を裂く音が連続する。

雷撃は確実に命中していた。

ワンダーワイスの身体が大きく震え、
触手の動きが鈍る。
伸ばしかけた腕が痙攣するように止まり、
その動作に明らかな遅れが生じた。

炎とは違い、雷撃は消されていない。

紫乃はその反応を見逃さなかった。

そして、次の確信を得るため、さらに一手を打つ。

「破道の五十四・廃炎」

詠唱を省略して放たれた鬼道が、
ワンダーワイスの足元へと着弾した。

円盤状に広がった術式から、
炎が勢いよく噴き上がる。

だが――。

炎はワンダーワイスを包み込むことなく、
瞬く間に鎮火した。

残されたのは、風に流されていく煙だけだった。

紫乃は目を細める。

これで、確信が持てた。

「やっぱり貴方は……」

言葉の先を、紫乃は飲み込んだ。

目の前にいるのは、
ただ力任せに暴れるだけの破面ではない。

炎に対する、異常なまでの耐性。

それが何を意味するのか、紫乃には理解できた。

死神の中で、
最強の炎系斬魄刀を持つ者は一人しかいない。

護廷十三隊総隊長、山本元柳斎重國。

藍染が警戒し、
その力を封じるために策を巡らせていた相手。

紫乃は、先ほどの戦いを思い返す。

斬撃を受けても瞬く間に傷を再生し、
炎を浴びせても何事もなかったかのように
鎮火させる。その一方で、
雷撃は確実に通用していた。

偶然とは考えにくい。

おそらく、藍染は崩玉の力を用いて、
ワンダーワイスを造り出したのだろう。

総隊長の斬魄刀、流刃若火。
その圧倒的な炎を封じ、彼を無力化するために。

そう考えれば、ワンダーワイスの
異様な性質にも説明がつく。

他の破面と比べても格段に低い知能。
言葉をほとんど持たず、
幼子のように振る舞いながら、
本能のままに敵へと襲い掛かる姿。

それは、彼が未熟だからではないのかもしれない。

ただ一人の敵を倒すため、
その目的だけに必要な能力を集約された存在。

兵器。

その言葉が、最も相応しい。

破面の中にも、スタークとリリネットのように、
互いを想い、共に戦う者たちがいる。

だが、目の前のワンダーワイスには、
そんな繋がりすら与えられていないように思えた。

与えられた役割を果たすためだけに造られ、
ただ命じられるままに戦う。

彼自身が何を望んでいるのかさえ、
知ることはできない。

紫乃の瞳に、かすかな憐憫が浮かんだ。

哀れな存在だった。

けれど――。

「……それでも」

紫乃は鉄扇を握り直した。

藍染の目的が分かった今、
ここでワンダーワイスを止めなければならない。

彼を倒さなければ、総隊長が危険に晒される。
負傷した浮竹も、ほかの隊士たちも、
戦場にいるすべての者が脅かされることになる。

同情だけで、敵を見逃すことはできない。

紫乃は静かに息を吸い、
左肩の痛みを押し殺しながら、
空いた手を前へと掲げた。

「縛道の七十九――九曜縛」

その声とともに、
ワンダーワイスの周囲に九つの黒点が現れた。

黒点は彼を取り囲むように配置されると、
一斉に中心へ向かって収束する。

ワンダーワイスの身体を縛り上げ、
四肢の動きを封じた。

触手が暴れ、拘束を引き剥がそうと蠢く。

しかし、紫乃はそのわずかな猶予を逃さなかった。

これで終わらせる。

彼女は閉じた鉄扇を顔の前へと掲げる。

「華舞爛漫宴……秘曲『千華繚乱』」

紫乃の声に呼応するように、
宵椿の三味線が変化した。

それまでの軽やかで疾走感のある旋律が、
終演を告げるような重厚な音色へと変わっていく。

一音ごとに、戦場の空気が張り詰めていく。

周囲の鉄扇が動き出した。

一枚、また一枚。

次々と増えていく鉄扇は、
卍解の及ぶ範囲いっぱいにまで数を膨らませ、
閉じた状態でワンダーワイスを取り囲んだ。

その数は、もはや数えきれない。

黒い鉄扇の群れが、獲物を逃がさぬ檻のように、
幾重にも重なっていく。

ワンダーワイスは拘束を解こうともがいた。

触手が激しく暴れ、九曜縛を破ろうとする。

だが、その動きが止まるよりも早く、
宵椿の演奏はさらに勢いを増していった。

速く、激しく。

そして、終わりへと向かって一気に加速する。

紫乃は閉じた鉄扇を顔の前に構えたまま、
静かに敵を見据えていた。

次の一音で、すべてが決まる。

宵椿が、最後の撥を振り下ろした。

――ジャンッ!

力強い三味線の音が、戦場に響き渡る。

その瞬間、紫乃の手元で鉄扇が開いた。

それを合図に、ワンダーワイスを取り囲んでいた
無数の鉄扇も、一斉に開く。

まるで、黒い花が一斉に咲き誇るかのように。

次の瞬間、
無数の刃がワンダーワイスへと襲い掛かった。

斬撃が重なり、交差し、
逃げ場のない空間を埋め尽くす。

咲き乱れる千華。

その中心から、鮮血が飛び散った。

一瞬だった。

ワンダーワイスが最後に何かを叫ぶことさえ許されず、
無数の鉄扇によって、その身体は斬り刻まれた。

やがて、すべての鉄扇が静かに動きを止める。

三味線の余韻が、戦場に残った。

決着だった。

紫乃はしばらくの間、動かずに立っていた。

左肩には激痛が残り、
呼吸をするたびに肋骨が軋む。
それでも、彼女は倒れなかった。

ゆっくりと鉄扇を下ろす。

頬に付着した血を、指先で拭った。

鉄扇を握る白い指ぬき手袋は、
すでに赤く染まっていた。

静かで、穏やかで、美しい佇まい。

その姿からは想像もつかないほど、
苛烈で、残忍で、容赦のない戦い方だった。

なぜ、複数の隊から入隊を望まれながら、
十一番隊からも声が掛かったのか。

その理由が、この戦いには如実に表れていた。

花のように舞い、花のように咲き誇り
――そのすべてを、刃に変える。

紫乃の斬魄刀は、美しさと残酷さを併せ持つ。

そして彼女自身もまた、
その力を使いこなす死神だった。







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