傀儡
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一護が虚圏から帰還したことで、
戦況は大きく動いた。
鏡花水月の催眠にかかっていない一護に
決定打を与えさせる。
その目的のため、紫乃をはじめ、
砕蜂、京楽、平子、日番谷が
各々の能力を連携させ、藍染を追い詰めていく。
紫乃と砕蜂が翻弄し、京楽が不意を突く。
平子が逆撫で感覚を狂わせ、
最後に日番谷が卍解の力をもって
背後から藍染の胸を貫いた。
誰もが、そう見ていた。
「な……何やってんだよ……」
離れた場所から戦いを見守っていた
一護の声が震える。
目の前で起きたことが、信じられない。
「皆……何やってんだよオオオオオ!!!!」
一護の絶叫が戦場に響き渡った。
その瞬間、まるで目が醒めるように、
視界のすべてが塗り替えられた。
日番谷の刃に貫かれていたのは、藍染ではなかった。
そこにいたのは、雛森桃だった。
「桃!!」
紫乃は、思わずその名を叫んだ。
皆の攻撃を受け、日番谷の刃に貫かれた雛森が、
かすかに顔を上げる。
「ひ……日番谷くん……どうして……」
消え入りそうな声だった。
空虚を見つめるその瞳は、絶望そのものだった。
日番谷の顔が、激しく歪んだ。
自分が斬った。
自分の手で、守るべき相手を。
「ウォオオオオオ!!」
日番谷の絶叫が、戦場を震わせた。
「……一体、いつからや……」
平子の声もまた、怒りに震えていた。
藍染を睨みつけ、拳を握り締める。
「一体いつから……
鏡花水月を遣うてたかって訊いてんねん!」
その叫びに、藍染惣右介は不敵な笑みを浮かべた。
「一体いつから鏡花水月を
遣っていないと錯覚していた?」
その言葉が、
戦場にいた者たちの心を凍りつかせた。
いつから。
いつから、自分たちは幻を見せられていたのか。
そもそも、今この場にいる藍染は本物なのか。
鏡花水月の完全催眠に囚われている以上、
何を見て、何を聞き、
何を斬っているのかさえ確かではない。
「そんな……」
紫乃の口から、かすかな声が漏れた。
今まで目にしてきたものが、信じられなくなる。
唯一、催眠にかかっていない一護を頼りにしようにも、
戦いながら常に敵の正体を確認し、
味方と連携を取るなど容易ではない。
相手は藍染だけではない。神鎗を操るギンもいる。
誰を信じればいい。
何を目印に戦えばいい。
これまで積み重ねてきた連携も、
視界そのものを欺かれているのなら、
たやすく崩されてしまう。
紫乃の胸に、冷たい絶望が広がっていった。
「藍染!!」
日番谷の怒声に、紫乃ははっと顔を上げた。
卍解を維持したまま、
日番谷が藍染へと斬りかかっていく。
怒りに身を任せた、無謀な突撃だった。
「日番谷隊長、待っ――!」
紫乃の声は届かない。
冷静さを失った日番谷に、藍染の刃が迫る。
次の瞬間、日番谷の左半身が斬り裂かれた。
「日番谷隊長!」
紫乃が叫ぶ。
日番谷の体が崩れ落ちる。
その姿を目にする間もなく、
藍染は次の標的へと動いていた。
砕蜂が斬られる。
京楽が斬られる。
平子もまた、藍染の刃に倒された。
圧倒的な力の差。
先ほどまで確かに成立していた連携は、
もはや意味をなさなかった。
一人、また一人と、仲間たちが倒れていく。
そして、ついに紫乃にも刃が届いた。
「終わりだ……花房紫乃」
耳元で、藍染の声が囁く。
紫乃が振り向くより早く、その声は続いた。
「百十年前……いや、それよりも前に、
君が五番隊に入隊していれば、
君は雛森桃のような最期を遂げていたはずだった」
藍染の声は、どこまでも穏やかだった。
「君の分岐点を、彼女が肩代わりしたんだ」
紫乃は、真横に立つ藍染を見た。
その顔には、すべてを見透かしたかのような
嘲笑が浮かんでいる。
紫乃はかつて、夜一を慕い、その背中を追い、
忠誠を誓った。
そして今は、浮竹のもとで副隊長として仕え、
彼を支えることに誇りを抱いている。
紫乃には、己が認めた者に対して、
強い信頼と忠誠を寄せる一面があった。
藍染は、そんな彼女の性質を見抜いていたのだろう。
優秀で、生真面目で、
与えられた役目を忠実に果たす死神。
もし紫乃が五番隊に所属していたなら、
藍染にとって利用価値のある存在に
なっていたかもしれない。
だが、同時に彼女は聡明だった。
些細な違和感から真実に近づかれれば、
計画を脅かす厄介な存在にもなり得る。
だからこそ、
藍染は紫乃が隠密機動に留まれないよう、
裏で工作を巡らせた。
その結果、紫乃は二番隊を追われ、
別の道を歩むことになった。
そして、その道の先には浮竹がいた。
もし、あの時。
紫乃が別の選択をしていたなら。
自分が藍染のもとにいたなら、
雛森が傷つかずに済んだ未来もあったのだろうか。
そんな考えが、頭をよぎる。
だが、それ以上に紫乃の胸を焼いたのは、
藍染の言葉だった。
自分で選び、歩んできた道。
そのすべてが、まるで藍染の手のひらの上で
踊らされていたかのように語られたことが、
許せなかった。
「藍染ッ……!」
紫乃は鉄扇を振り上げようと、体の向きを変えた。
その動きを、藍染は見逃さなかった。
刃が閃く。
左胸から右脇へと、斜めに深く斬り裂かれた。
「……っ!」
血飛沫が舞う。
激痛が走り、紫乃の体が大きく揺らいだ。
悔しかった。
何もかもが、悔しくて仕方がなかった。
人を嘲笑い、利用し、絶望を与え、
用済みになれば容赦なく切り捨てる。
藍染は、どこまでも非道だった。
そして、自分はまたしても、何もできなかった。
百年前に続き、今度こそ因縁に
決着をつけられると思っていた。
けれど、刃は届かなかった。
紫乃は、薄れゆく意識の中でも
藍染を睨みつけていた。
その目に浮かぶのは、恐怖ではない。
憎悪と、悔恨。
意識が途切れる、その瞬間まで。
紫乃は藍染から目を逸らさなかった。
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