新たな覚悟


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空座町の決戦から一月が経った。

技術開発局と浦原喜助の尽力もあり、
尸魂界の復興は着実に進んでいた。
護廷十三隊もまた、失われたものを抱えながら、
少しずつ日常を取り戻しつつある。

そして今日、黒崎一護が
死神の力を失うと予想されていた。

朽木ルキアは阿散井恋次と共に現世へ向かい、
一護との別れの挨拶を交わそうとしていた。

同じ頃、十三番隊隊舎の執務室では、
紫乃が机に向かい、
積み上がった書類を片付けていた。

戦いが終わっても、隊士たちの生活は続いていく。
復興に伴う報告書や負傷者の記録、各隊との連絡事項。
目を通さなければならない書類は、
まだ山のように残っていた。

筆を走らせていた紫乃の耳に、
不意に扉の向こうから声が届く。

「紫乃。今、少しいいか?」

「浮竹隊長……!」

聞き慣れた声に顔を上げた紫乃は、
がたっと音を立てて立ち上がった。

「ご用でしたら、私の方から伺いましたのに」

驚きと心配が入り混じった表情で告げると、
浮竹は困ったように笑った。

「あはは、ごめんごめん。
最近は体調も落ち着いてきたから、
少し歩きたくてな」

そう言って、いつもの穏やかな笑みを浮かべる。

藍染との戦いで負傷した浮竹は、
今も療養を続けていた。
以前に比べれば顔色も良くなっているとはいえ、
まだ無理をさせられる状態ではない。

紫乃が心配そうに見つめていると、
浮竹は少しだけ声の調子を改めた。

「それに、お前に少し話があるんだ」

「……はい」

紫乃は首を傾げたものの、すぐに頷いた。

「分かりました」

執務室を後にした二人は、
浮竹が療養している別棟へと向かった。

部屋に入ると、紫乃は浮竹の向かいに腰を下ろす。
ほどなくして侍女がお茶を運び、
二人の前に湯呑みを置いた。

「ありがとう」

浮竹は礼を告げ、湯気の立つ茶を一口啜った。
熱さを確かめるようにゆっくりと飲み、
湯呑みを卓上へ戻す。

それから、紫乃へと向き直った。

「話というのは、隊長昇任の話が来ているんだ」

「……え?」

紫乃は思わず声を漏らした。

手にしていた湯呑みを、そっと卓上へ戻す。

突然の話に、すぐには意味を理解できなかった。

浮竹は、そんな紫乃の様子を見ながら
穏やかに続ける。

「それも、総隊長直々の推薦だ。
そうそうあることじゃない。俺も嬉しいよ」

「総隊長が……?」

紫乃は呆気に取られたまま、浮竹を見つめた。

自分が隊長に推薦される。

その事実が、どうにも現実味を帯びてこなかった。

「総隊長の推薦だから、
本来なら行われる隊首試験は免除になるそうだ。
受ける意思があるなら、明日、一番隊へ出向いて、
総隊長と最終確認のようなものをすることになる」

話は、紫乃が考えていた以上に
具体的なところまで進んでいた。

戸惑いを隠せないまま、
紫乃はひとつ気になっていたことを尋ねる。

「……護廷十三隊には、
今、隊長の空席が三つあります。
私が隊長に就くのであれば、
配属はどちらになるのでしょうか?」

浮竹は、あらかじめ聞いていた答えを口にした。

「三番隊だと聞いているよ」

「三番隊……」

紫乃は小さく繰り返した。

市丸ギンが、かつて隊長を務めていた場所。

三番隊の隊花は金盞花。その花言葉は、絶望。

一方、十三番隊の隊花は待雪草。花言葉は、希望。

三番隊の隊花にどのような意味が込められているのか、
紫乃は詳しく知らない。
ただ、言葉だけを見れば、あまりにも対照的だった。

「ちなみに、他の隊長の後任も、
すでに決まっているそうだ」

浮竹が補足するように続ける。

「五番隊には平子真子。
九番隊には六車拳西が就任する予定だ。
再審を行った結果、浦原たち三人と、
仮面の軍勢の百一年前の罪状についても
無罪放免となり、二人は隊長として
復帰することになったらしい」

その言葉に、紫乃の表情が変わった。

「真子さんたちが……」

胸の奥に、安堵が込み上げる。

平子たちが、
再び護廷十三隊の隊長として戻ってくる。

百年以上も奪われていたものが、
ようやく本来あるべき場所へ戻ろうとしているのだ。

けれど、すぐに別の疑問が浮かんだ。

「それなら、
三番隊隊長だったローズさんは……!」

思わず身を乗り出した紫乃に、
浮竹は落ち着いた様子で答えた。

「彼は、どちらでも構わないと返答したそうだ。
お前が昇任するのであれば、ほかの仲間たちと一緒に
現世に残るつもりらしい」

「ローズさん……」

紫乃は視線を落とした。

自分が隊長に就かなければ、
ローズは尸魂界へ戻ることができるのではないか。

そもそも、市丸ギンが務めていた三番隊の隊長に、
自分が就いていいのだろうか。

吉良イヅルはどうなるのか。

ほかに適任者がいるのではないか。

次々と考えが浮かび、胸の中で絡み合っていく。

隊長という地位に、憧れがなかったわけではない。

けれど、自分がその座に就くことを、
これまで真剣に考えたことはなかった。

今の自分には、まだ果たすべき役目がある。

そう思ってきたからこそ、
突然差し出された未来を、
どう受け止めればいいのか分からなかった。

「紫乃」

静かに名を呼ばれ、紫乃ははっと顔を上げた。

浮竹は、下がり眉の穏やかな表情で
彼女を見つめていた。
その眼差しには、急かすような色も、
答えを強いるような厳しさもない。

ただ、長い間そばで彼女を
見守ってきた者の優しさがあった。

「もう、良いだろう?」

「……何が、でしょうか?」

紫乃が問い返すと、浮竹は少しだけ目を細めた。

「二番隊から縁があって十三番隊に来て、
海燕が亡くなった後は、自ら志願して
彼の席を守るように、ずっとここにいてくれた」

浮竹は、静かに言葉を紡いでいく。

「君の実力なら、隊長としても十分なものがある。
それは、ずっと前から分かっていたよ」

紫乃は何も言わず、浮竹の言葉に耳を傾けた。

「けれど、ここに来た時から、
君はどこか負い目を感じているように見えた。
だから、俺から隊長への推薦を
出すことはしなかったんだ」

その言葉に、紫乃の胸がわずかに痛んだ。

浮竹は、ずっと見ていたのだ。

自分が何を考え、何を抱えていたのか。

海燕の死後、彼の席を継いだこと。

彼が築いてきた十三番隊を守りたいと願ったこと。

そして、彼の代わりにはなれないと知りながら、
それでも彼の背中を追い続けてきたこと。

「だけどもう、藍染も収監され、
平子たちも復帰できる。
総隊長も君を認めてくださった。
だから、何も気にする必要はないんだ」

浮竹は柔らかく微笑んだ。

「三番隊にいる吉良くんたちも、
きっと君を快く迎え入れてくれるはずだよ」

紫乃は唇を結び、目を伏せた。

浮竹はさらに言葉を重ねる。

「君は……市丸ギンとも、
昔は仲が良かっただろう?」

市丸ギン。

彼の名を思い浮かべると、あの銀色の髪と、
何を考えているのか分からない
笑みが脳裏をよぎる。

幼い頃から、決してすべてを語る人ではなかった。
それでも、かつては親しく言葉を交わした間柄だった。

そして今、彼はもういない。

自分が三番隊の隊長になるということは、
その空席を埋めるということだ。

けれど、ギンがいた場所を埋めることと、
彼の代わりになることは違う。

紫乃は、すぐには答えられなかった。

湯呑みから立ち上る湯気が、
ゆっくりと薄れていく。

その向こうで、浮竹は急かすことなく、
彼女の答えを待っていた。

紫乃は湯呑みを見つめながら、
これまでの日々を振り返った。

思えば、自分はずっと誰かに見守られてきた。

夜一。浦原。平子。海燕。

そして、浮竹。

彼らはそれぞれの形で紫乃を気にかけ、
支えてくれていた。

その手に甘えていたつもりはない。

けれど、振り返れば、迷うたびに
誰かが道を示してくれた。
立ち止まりそうになるたびに、
誰かが背中を押してくれた。

それでも、もう自分は護廷十三隊では
古株と呼ばれる立場だ。

市丸ギンだって、まだ若くして隊長になった。

あの頃は幼かった朽木白哉も、
今では六番隊隊長として隊を率いている。
かつて自分の部下だった砕蜂も、
二番隊隊長と隠密機動総司令官の座に就いた。
大前田希ノ進の息子も父の後を継ぎ、
何十年も前から副隊長を務めている。

まだ幼さの残る日番谷冬獅郎でさえ、
十番隊隊長として隊を率いているのだ。

皆、それぞれの立場で責任を背負い、
前へ進んでいる。

ならば、自分はどうだろう。

誰かを支え、守ろうとしてきた。
大切な人を失わないために。
後悔しないために。

けれど、振り返れば、
自分もまた多くの人に支えられ、
守られてきたのだ。
側にいて守っているつもりで、
いつしか自分もまた、その人たちに守られていた。

幾度となく手を差し伸べられ、
そのたびに自分は前へ進むことができた。

ならば、次は自分の番だ。

誰かの背を追い、支えられるだけではなく。
自らが先頭に立ち、進むべき道を示す。
隊士たちを導き、守り、その責任を引き受ける。

もう、守られるだけの立場ではいられない。

今度は自分が、誰かを導く者になるのだ。

そう思った途端、紫乃は自分自身に呆れたように、
小さく笑みを零した。

随分と遅い自立だ。

今さらになって、
ようやくそのことに気づいたのだから。

紫乃は湯呑みを持ち上げ、
飲みやすい温度になった茶を一口啜った。

静かに味わい、再び卓上へ戻す。

コトン、と小さな音が響いた。

紫乃は顔を上げ、浮竹と目を合わせた。

迷いがすべて消えたわけではない。

不安もある。引き受けることで、
誰かの望みを損なうことがあるかもしれない。

それでも、
自分自身の意志で決めたいと思った。

「昇任の話、お受けします」

凛とした声だった。

その返事を聞いた浮竹は、一瞬目を見開いた。

そして、みるみるうちに顔を綻ばせた。

「そうか……そうかあ!」

嬉しさを抑えきれないといった様子で、
声が大きくなる。

「う、浮竹隊長……?」

紫乃は、予想外の反応に戸惑った。

浮竹は目元をわずかに潤ませながら、
何度も頷いた。

「いやあ、良かった!紫乃が隊長かぁ! 
本当に嬉しいよ……
朽木が帰ってきたら報告しないとなぁ!」

まるで自分のことのように喜ぶ浮竹を見て、
紫乃は困ったように笑った。

「…そんなに喜んでくださるとは思いませんでした」

「そりゃあ、嬉しいに決まっているだろう?」

浮竹は迷いなく答えた。

「お前がどれだけ頑張ってきたか、
俺はずっと見てきたんだから」

その言葉に、紫乃は再び
胸の奥が温かくなるのを感じた。

自分がどれほど心配をかけていたのか。

どれほど長い間、浮竹に気を遣わせていたのか。

今になって、ようやく自覚できた気がした。

彼は、ただ自分の実力を
認めてくれていたわけではない。

自分が何を抱え、何を理由に、
立ち止まっていたのかも、
ずっと見守ってくれていたのだ。

紫乃は穏やかに目を細めた。

「……ありがとうございます、浮竹隊長」

その声には、これまでとは少し違う響きがあった。

海燕の席を守るためだけではない。

誰かの代わりになるためでもない。

これからは、自分自身の意志で、
護廷十三隊を支えていく。

その決意を胸に、紫乃は静かに背筋を伸ばした。







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