百年


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「此処って……」

紫乃は、目の前にある店を見つめた。

平子に連れられて辿り着いたのは、
見慣れた道の先にある、馴染み深い甘味処だった。

二人で並んで腰を下ろし、
餡蜜を食べながら他愛のない話をした場所。
紫乃が長年通い続けている、行きつけの店だ。

まさか、平子がこの場所を
覚えているとは思わなかった。

「此処、めっちゃ来たかってん。久々やなー」

平子は懐かしそうに店を見上げると、
ためらうことなく暖簾をくぐった。

「おばちゃん、いてんかー?
餡蜜二つ下さいなー!」

店内に響き渡る、よく通る声。
すると、奥から店主が顔を覗かせた。

「賑やかな声だと思ったら、隊長さんかい?
久しぶりだねえ」

平子の顔を見るなり、店主は目を細め、
懐かしそうに微笑んだ。
百年以上の時が流れても、
その顔を忘れてはいなかったらしい。

「ちょっと色々あってな。
帰ってきて、真っ先に此処を思い出してん」

平子はいつもの調子で笑いかけた。

「そうかい。すぐ用意するから、外で待ってな」

店主に促され、二人は店の外へ出た。
店先に置かれた床几台に、並んで腰を下ろす。
目の前には、穏やかな瀞霊廷の景色が広がっていた。

「ここから見る景色も懐かしいな」

平子はそう呟き、晴れ渡った空を見上げた。
紫乃は隣に座る彼へと視線を向ける。

「まさか、真子さんから行きたいなんて
言われると思っていませんでした」

少し意外そうな声音だった。

この店は紫乃にとって馴染み深い場所だが、
平子にとっても、そうだったのだろうか。

「紫乃と会ってから、よう来てん。
特別、甘いもんが好きやったわけやないけど、
此処の餡蜜は別や」

「そうだったんですね」

紫乃の表情が、ふわりと和らいだ。

自分が好きな場所を、
平子もまた気に入ってくれていた。
そのことが、何だか嬉しかった。

「嬉しいことを言ってくれるねえ」

そこへ、店主がお盆を手に戻ってきた。
湯気の立つお茶と、二人分の餡蜜。
器の中には、寒天や果物、
餡が彩りよく盛りつけられている。

店主はそれらを二人の前に置くと、
紫乃へと顔を向けた。

「貴方はいつも来てくれる子だね」

「はい」

紫乃が頷くと、店主は嬉しそうに目を細めた。

「また二人で来てくれて嬉しいよ」

その言葉に、紫乃は一瞬だけ目を瞬かせた。

店主にとっては、二人が並んで
この店を訪れる姿も、
懐かしい光景の一つなのだろう。

店主はそれ以上何も言わず、
二人の時間を邪魔しないように
店の中へと戻っていった。

平子は湯気の立つ茶碗を手に取り、
熱い茶を一口啜った。
それから、匙を使って餡蜜をひと口すくう。

「……この甘さ、懐かしいな」

口の中に広がる甘さを確かめるように、
平子は目を細めた。

紫乃もまた、餡蜜をひと口食べる。

食べ慣れた、大好きな味だった。
何度も通い、何度も味わってきた。
変わらない甘さに、ほっと心がほどけていく。

けれど、今日は少しだけ違っていた。

平子と並んで餡蜜を食べるのは、
百年以上ぶりのことだった。

あの頃、二人でここに座っていた時間。
何を話したのか、どんなふうに笑ったのか。
すべてを鮮明に覚えているわけではない。
それでも、隣に彼がいたということだけは、
確かに覚えていた。

一人で通い続けていた頃よりも、
今日の餡蜜は、ほんの少し甘く感じられた。

「……美味しいですね」

紫乃が呟くと、平子は匙を持ったまま
彼女へ視線を向けた。

「せやな」

視線が重なる。

それだけで、紫乃の胸の奥に、
温かなものが広がった。

変わってしまったものもある。
失われた時間も、取り戻せない過去もある。

それでも今、こうして二人で同じ景色を眺め、
同じ甘さを分かち合うことができる。

紫乃はもう一度、餡蜜を口に運んだ。
懐かしい味と、隣にいる人の温もりを、
確かめるように。

やがて、平子がふと思い出したように口を開いた。

「……約束、ちゃんと果たせたやろ?」

その言葉に、紫乃の手が止まった。

約束。

その一言だけで、胸の奥に
しまっていた記憶が鮮明に蘇る。

百一年余り前。

一番隊隊舎で、九番隊の捜索に任命された平子は、
偶然にも紫乃が話を聞いていたことに気づき、
瞬歩で彼女の前に現れた。

そして、肩に手を置き、真っ直ぐに告げたのだ。

――必ず戻る。

あの時の声も、肩に触れた手の温もりも、
紫乃は忘れていなかった。

けれど、その約束が果たされるまでに、
あまりにも長い時間がかかった。

虚化という理不尽な運命に引き裂かれ、
平子たちは尸魂界から姿を消した。
紫乃は残され、彼らが戻ってくることを願いながら、
長い年月を過ごしてきた。

それでも、平子は戻ってきた。

そして今、自分との約束を覚えていてくれた。

胸が締め付けられた。

込み上げる感情を抑えようと、
紫乃はそっと唇を結ぶ。
それでも声は、わずかに震えた。

「……はい」

ようやく絞り出した返事に、平子は静かに頷いた。

「百年や」

紫乃は顔を上げ、彼を見つめた。

「されど百年や。死神にとっての百年なんて、
人生のほんの一部みたいなもんやろ?」

平子はそう言って、穏やかに笑った。

「これからまた、
百年かけて空いた時間埋めていったらええ」

まるで、これから先の時間を
当然のように語る声音だった。

百年という長さを、軽々しく扱っているわけではない。
その年月がどれほど長く、
取り返しのつかないものだったか。
平子自身も、よく分かっているはずだ。

それでも彼は、失われた時間を嘆くのではなく、
これから先に続く時間を口にした。

まだ、埋められていない空白はある。

知らないまま過ぎてしまった日々も、
共有できなかった喜びも、悲しみもある。

けれど、これからは違う。

また一緒に話すことができる。
同じ場所で、同じものを食べることができる。
失われた時間を、
少しずつ重ね直していくことができる。

「……そうですね」

紫乃は嬉しそうに微笑んだ。

その笑顔を見て、平子もまた、
柔らかく目を細めた。

これ以上、優しい言葉を向けられたら、
つい甘えたくなってしまう。

今すぐにでも、ずっと会いたかったと伝えたくなる。
寂しかったと、隣にいてほしかったと、
胸の内に秘めてきた言葉をすべて打ち明けたくなる。

けれど、まだ二人は、
百年以上の空白を埋め始めたばかりだ。

隊長という立場もある。
それぞれが背負う責任もある。

そして何より、互いに抱いている想いを、
まだ言葉にはしていない。

平子は、紫乃への恋心を胸に秘めたまま。
紫乃もまた、自分にとって彼が
特別な人であることを知りながら、
その想いを胸の奥にしまっている。

互いに気づかぬふりをしているのか。
それとも、まだ確かめる勇気がないのか。

二人とも、今はその答えを急ごうとはしなかった。

ただ、隣に座っていられることを大切にしたかった。

紫乃は再び匙を手に取り、餡蜜を口に運ぶ。
平子もまた、何事もなかったかのように
餡蜜を食べ始めた。

甘い味が、口の中に広がる。

百年以上の時を隔てても、変わらないものがある。

そして、
これから変わっていくものもあるのだろう。

二人は、まだ知らない。

これから先、
何度この甘味処を訪れることになるのか。
何度、同じ席で笑い合うことになるのか。

ただ一つ確かなのは、今日からまた、
二人の時間が動き始めたということだった。








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