変わらぬもの
*
宴が始まってしばらくすると、
追加で注文したつまみも次々と運ばれてきた。
枝豆や出汁巻き卵、焼き鳥に揚げ物と、
卓上には酒の肴が所狭しと並んでいる。
それぞれの杯が進むにつれ、
座敷の空気もすっかり和やかなものになっていた。
会話の中心にいるのは、相変わらず乱菊だ。
あちらこちらに話を振っては笑い声を引き出し、
宴の場を賑やかに盛り上げている。
そんな中、乱菊は向かいに座る平子と六車へ、
興味津々といった様子で身を乗り出した。
「お二人はもう慣れました?
百年ぶりなんですよね?」
仮面の軍勢と名乗っていた頃のことも、
二人が長い年月を経て瀞霊廷へ戻ってきたことも、
乱菊は知っている。それでも、
特別に気を遣う様子はなかった。
むしろ、久しぶりに戻ってきた二人が
今の尸魂界をどう感じているのか、
純粋に気になっているらしい。
紫乃は、ちらりと平子の顔色を窺った。
かつて尸魂界を追われた二人にとって、
今の瀞霊廷での暮らしには、
何かと思うところもあるかもしれない。
乱菊に悪気がないことは分かっているが、
だからこそ平子がどう受け止めているのか、
少し気になったのだ。
しかし、当の平子は気にした様子もなく、
手にしたグラスを傾けた。
「大して変わらへんやろ。なあ?」
そう言って、向かいに座る拳西へ同意を求める。
「ああ、細けえ仕事は変わんねえな」
拳西もあっさりと頷き、
ビールをぐいっと飲み干した。
二人とも、百年という長い年月を経たことを、
ことさら意識しているわけではないらしい。
「強いて言うなら、瀞霊廷通信?
なんつう雑誌が出来てたことやな」
平子が思い出したように言うと、
乱菊がぱっと顔を輝かせた。
「あっ、それ!その企画と編集は
修兵がやってるんですよー!でも、
九番隊がやってたものなんだし、
今は六車隊長が編集長?」
話を振られた拳西は、面倒くさそうに眉を寄せた。
「編集なんて面倒くせえもん、やらねえ」
即答だった。
どうやら、その話はすでに
持ちかけられていたらしい。
拳西のきっぱりとした拒絶に、
檜佐木は苦笑いを浮かべた。
「六車隊長がやりたくないと仰るので、
そのまま俺が続けてます」
「修兵も大変ねぇ」
乱菊が同情するように声をかける。
「まあ、慣れましたけど……」
そう答える檜佐木の表情には、
どこか寂しさが滲んでいた。
本来ならば、九番隊の隊長である拳西に
引き継いでもらえれば、少しは肩の荷が
下りると思っていたのかもしれない。
しかし、本人があの調子では、
期待するだけ無駄というものだった。
「花房隊長は、三番隊に慣れました?」
乱菊は今度、紫乃へと話題を移した。
「うん。元々、どの隊にいても
隊長の仕事をサポートしていたからね。
三番隊のやり方を最初に引き継いで、
もう大丈夫だよ」
紫乃は手元の杯を置き、穏やかに答えた。
長年にわたって二番隊三席でも
隊長と副隊長の業務を補佐して、
十三番隊の副隊長を務めてきた紫乃にとって、
隊長の補佐や隊務の管理そのものは、
決して目新しい仕事ではない。
新たに覚えるべきことはあっても、
これまでの経験を生かせる場面は多かった。
「ね? イヅル」
紫乃が正面に座る吉良へ視線を向ける。
「はい……。花房隊長、仕事が早いので、
俺は書類をまとめるくらいです……」
吉良は困ったように笑った。
隊長に就任したばかりだというのに、
紫乃は次々と仕事を片づけてしまう。
そのため、吉良が副隊長として
処理するはずだった仕事の一部まで、
あっという間に終わってしまうことがあった。
もちろん、三番隊の運営が順調なのは喜ばしいことだ。
だが、副隊長としての働きどころが
減ってしまうのは、少々複雑な心境でもある。
そんな吉良の様子を見て、乱菊はからからと笑った。
「その分、男性死神協会の仕事が
できるからいいじゃない」
そう言って、手元のビールを煽る。
「……なんや、その協会」
それまで話を聞いていた平子が、
怪訝そうに眉を上げた。
どうやら、聞き慣れない名前が気になったらしい。
「死神協会が男女に分かれていて、
それぞれ瀞霊廷通信に掲載する内容を
企画しているんです。
最近の隊士達の娯楽らしいですよ。
現世の雑誌を参考にしているそうです」
紫乃が簡潔に説明すると、
平子は何とも言えない顔をした。
「男女で分けてんの、なんや対抗心ある感じやな」
「実際、男性死神協会と女性死神協会は、
資金力が違いますからね…」
吉良はまた哀愁漂う風格で答えた。
「へえ。百年も経てば、
いろいろ変わるもんやなぁ」
平子は感心したように呟いたものの、
どこか呆れたような響きもあった。
「でも、昔より娯楽が増えて、
昔より退屈しないのはいいことだよ」
京楽が酒を口に運びながら、のんびりと口を挟んだ。
「確かに、それはそうですね」
紫乃も頷く。
長い年月の間に、尸魂界も少しずつ変化してきた。
かつては考えられなかったようなものが生まれ、
死神たちの暮らしにも新しい楽しみが増えている。
それは、平子たちがいなかった百年の間に
積み重ねられてきた変化の一つだった。
「ま、面白そうなんわええ事やな」
平子はそう言って、再びグラスを傾けた。
「平子隊長も編集に加わります?」
檜佐木がすかさず誘おうとするが、
「面倒なのはごめんやで」と即答した。
その後も、話題は次々と移り変わっていった。
誰かが追加の酒を頼み、
別の誰かが新しいつまみを注文する。
瀞霊廷通信の企画について話していたかと思えば、
いつの間にか最近の隊務や、
各隊の様子についての話に変わっている。
百年以上の空白があったとは思えないほど、
平子と拳西も自然に会話の輪に溶け込んでいた。
そんな賑やかなやり取りの中、
不意に阿散井が紫乃へ視線を向けた。
「……花房隊長は、
今まで昇進の話なかったんスか?」
唐突な質問に、紫乃は思わず瞬きをした。
「え?」
「あ、いや……」
阿散井は少し言いづらそうに視線を泳がせた。
「平子隊長がいた頃から死神で、
しかもそれだけ優秀だったら、
もっと早く声が掛かってても
おかしくないんじゃねえかと思って……」
口にしてから、踏み込んではいけない
話題だったのではないかと気づいたらしい。
阿散井の表情には、気まずさが浮かんでいた。
隊長に就任したばかりの紫乃に対して、
今さら昇進の話を持ち出すのは、
少々無遠慮だったかもしれない。
しかし、紫乃は気を悪くした様子もなく、
静かに目を伏せた。
「……声は、掛からなかったよ」
その声は穏やかだった。
「どれだけ評価が高くても、
上に立つ者としては未熟だったんだよ、
私は……。それがやっと、
上に立てる能力があると認められただけ」
紫乃はそう言うと、手元の冷酒を持ち上げた。
透き通った酒が杯の中で揺れる。
そして、ためらうことなく一口飲んだ。
自分を卑下しているわけではない。
これまでの年月を振り返り、
今の自分に至るまでの道のりを、
ただ率直に語っているようだった。
長く副隊長を務めていたことも、
隊長への昇進が遅かったことも、
紫乃にとってはそれだけの理由があった。
周囲がどれほど高く評価してくれていたとしても、
本人がその責任を担うに足ると認められなければ、
隊長という立場には就けない。
紫乃自身、それを誰かのせいにするつもりはなかった。
「まあ、万年副隊長とか、
同じ席次の人なんてごまんといますもんねー」
乱菊が納得したように頷いた。
「戦闘力だけではなく隊長としての器か…」
吉良も静かに言葉を添える。
「そういうことだよ」
紫乃は微笑んだ。
それ以上、自分の昇進について
語るつもりはないらしい。
平子は、そんな紫乃を
穏やかな表情で見つめていた。
紫乃が冷酒を口に運ぶ仕草も、
何でもないことのように自分の過去を語る声も、
平子にはどこか懐かしく感じられた。
けれど、その胸中にあるものは、
単なる懐かしさだけではない。
百年以上前、紫乃がどれほどのものを背負い、
どれほどの思いを抱えてきたのか。
平子は、そのすべてを知っているわけではなかった。
それでも、彼女が今こうして
三番隊隊長として座り、
仲間たちと酒を酌み交わしていることが、
平子には何より嬉しかった。
平子は口を挟まず、ただ静かにグラスを傾けた。
今はまだ、聞きたいことを
無理に尋ねる必要はない。
こうして同じ場所で、
同じ時間を過ごせることを大切にしたかった。
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