お節介
*
宴も終盤に差し掛かる頃には、
店内の賑わいはすっかり最高潮に達していた。
夕方から始まった飲み会は、
いつの間にか日付を跨いでいる。
卓上には空になった酒瓶やジョッキが並び、
料理もほとんど残っていない。
それでも、酔いの回った面々の話は
尽きる気配がなかった。
「だからあ〜、
日番谷隊長は頭堅いんれすよお……」
手にしたビールを傾けながら、
松本乱菊が盛大に愚痴をこぼす。
すでに呂律は怪しくなっていたが、
日頃の不満を語る口だけは、
いっこうに衰えそうになかった。
「恋次ぃ、あんたのところの隊長らって、
そうれしょ〜?」
不意に話を振られた阿散井恋次は、
酔った勢いもあってか、
背筋を伸ばして声を張り上げた。
「俺は! 朽木隊長を尊敬してるんで、
そんなこと思いません!」
「何よう、裏切り者〜!」
乱菊は頬を膨らませ、あからさまに不貞腐れた。
「乱菊さんはサボりすぎなんスよ!」
「聞きたくな〜い!」
二人のやり取りに、周囲から笑い声が上がる。
もはや、何を話していたのかさえ
曖昧になっている者もいるだろう。
それでも、誰かが声を上げれば誰かが応じ、
宴席はいつまでも賑やかだった。
そんな中、六車拳西がふと
壁に掛かった時計へ目を向けた。
「つか、もう日付変わってるぞ。店出るか」
呆れたような声に、平子真子も頷いた。
「せやな。そろそろお開きにせな」
その隣では、花房紫乃が
平子の肩に寄り掛かったまま、
手元のお猪口を大事そうに握っていた。
「え〜、夜はこれかられすよ〜」
とろんとした目で二人を見上げ、
まだまだ飲み足りないとばかりに唇を尖らせる。
「此処は僕が払っておくよ」
そう言って立ち上がったのは、京楽春水だった。
「え、いいんスか?すまへん、京楽さん」
平子が申し訳なさそうに礼を言うと、
拳西も軽く頭を下げた。
「ご馳走になります」
「いいんだよ。今日はお祝いなんだから」
京楽はいつもの柔らかな笑みを浮かべ、
ひらりと手を振った。
隊長への復帰と昇進を祝う席なのだから、
これくらいは自分が持とうということらしい。
もっとも、当の主役たちを含め、
酔いの回った面々はまだ話に夢中だった。
京楽が会計を引き受けたことに気づいている者は、
意外なほど少ない。
真子は隣にもたれ掛かる紫乃へと視線を落とした。
「紫乃、帰るで」
肩に掛かっていた彼女の体をそっと起こす。
「え〜?二次会れふかあ?」
紫乃の顔がぱっと明るくなった。
その期待に満ちた笑顔を見て、
平子は思わず苦笑する。
「ちゃうちゃう。もう帰るんや」
「え〜、まだ飲みましょうよ〜」
紫乃は不満そうに唇を尖らせたものの、
平子に促されると、渋々ながらも腰を上げた。
しかし、立ち上がった途端、
足元がふらりと揺れる。
「おっと」
平子はすかさず彼女の体を支えた。
紫乃は支えられたことを気にする様子もなく、
平子の腕に身を預けている。
「……ほらな。もう十分やろ」
「えへへ〜」
何が嬉しいのか、紫乃はただ笑うだけだった。
「それじゃ、出よっか」
会計を済ませた京楽が戻ってくると、
ようやく一同も帰り支度を始めた。
「京楽隊長、ご馳走様です〜!」
乱菊は上機嫌で礼を言う。
「えっ、京楽隊長、良いんですか!?」
「ちゃんと払うっスよ!」
恋次と檜佐木が慌てて声を上げたが、
京楽は気にした様子もなく、にこやかに笑った。
「いいんだよ。隊長復帰と昇進祝いとして、
僕に担がせてよ」
「……ありがとうございます」
吉良も恐縮した様子で頭を下げた。
その後、吉良はふらつく紫乃のもとへ歩み寄った。
「花房隊長〜、帰りますよお」
普段より少しばかり気の抜けた声で呼び掛ける。
しかし、紫乃は
「え〜、まだ飲めるよ〜」と言って断る。
「いや、もう十分飲まれてますから……」
吉良が困ったように眉を下げる。
「……吉良も相当酔っとるし、二人送るわ」
紫乃の様子を確かめながら、平子がそう申し出る。
実際、吉良も酒が回っているらしい。
いつもより頬が赤く、
言葉にも若干の緩さがあった。
二人を連れて帰るとなれば、
確かに平子が付き添うのが手っ取り早いだろう。
ところが、その言葉を聞いた乱菊が、
何かを思いついたように目を輝かせた。
「吉良、あんたはこっちで続き飲むわよ」
「……え?」
吉良が目を瞬かせる。
あまりにも唐突な誘いだった。
「京楽隊長も、まだ飲みますよね〜?」
乱菊はすかさず京楽へと顔を向ける。
「僕はまだいけるよ〜」
京楽もまた、何か察したような笑みを浮かべ、
あっさりと頷いた。
「いや……僕、もう飲めませんよ……」
吉良の顔から、さっと血の気が引いた。
宴席ではまだ笑っていられたものの、
さすがにこれ以上飲むのは厳しい。
できることなら今すぐ帰って、
静かな部屋で休みたいというのが本音だった。
しかし、乱菊はそんな彼の訴えを
聞き入れるつもりなど、さらさらないらしい。
「何言ってるの! 今夜は帰さないわよ!」
そう言うなり、吉良の肩に腕を回して、
がっちりと捕まえた。
「ええっ!?」
「ほら、行くわよ〜!」
「ちょ、ちょっと待ってください、松本副隊長!」
吉良の悲痛な声が店内に響く。
その様子を羨ましそうに眺めていた檜佐木が、
遠慮がちに口を開いた。
「……え、なら俺も……」
二次会に誘われるのが羨ましいのか、
それとも単にもう少し飲んでいたいのか。
本人にもよく分かっていないような声だった。
だが、立ち上がった拳西は、
そんな後輩を一瞥すると、きっぱりと言い放った。
「俺は帰るぞ」
「お、俺も帰ります! お疲れ様でしたー!」
檜佐木は即座に方向転換した。
先ほどまで乱菊たちと一緒になって声を張り上げて
いたとは思えないほどの素早さである。
拳西は何も言わず、さっさと帰路を歩く。
その後ろを、檜佐木が慌てて追い掛けていく。
「お疲れ様でしたー!」
恋次も六番隊へ戻るべく、
残った面々に挨拶をして店を出ていった。
賑やかだった宴席も、
これでようやく解散かと思われた。
ところが。
「乱菊たち、まだ飲むの〜?なら私も〜」
紫乃がぱっと顔を上げ、
乱菊たちのもとへ行こうとした。
平子の腕から離れ、
覚束ない足取りで一歩踏み出す。
「こらあ、紫乃」
真子が呼び止めるより早く、
乱菊が笑顔で手を振った。
「こっちはこっちで楽しむんで、
平子隊長と飲み直してくださ〜い」
その言葉とともに、乱菊は京楽と吉良の腕を
しっかりと確保した。
どうやら、二人を逃がすつもりは
本当にないらしい。
「え〜……皆んなで飲もうよぅ……」
紫乃は足を止め、寂しそうに呟いた。
先ほどまであれほど楽しそうに笑っていた顔が、
途端にしょんぼりと曇る。
その様子を見て、平子は思わず眉を下げた。
酔った紫乃は、普段よりもずっと素直で、
寂しがり屋になる。
誰かと一緒にいたいと思えば、
ためらいなくそう口にする。
別れ際には、まるで置いていかれる
子どものような顔をすることさえあった。
そして、そんな彼女の様子を見ている
乱菊の目は、妙に楽しげだった。
ふと、平子と乱菊の視線が合う。
乱菊は意味ありげに口元を緩めると、
片目をつむってみせた。
――ああ、そういうことか。
平子はすぐに察した。
乱菊たちは、初めから自分と紫乃を
二人きりにするつもりだったのだろう。
京楽も事情を察しているらしく、
何も言わずににこにこと笑っている。
一方、吉良だけは状況を理解
できていないようだった。
「……あの、京楽隊長。
僕、本当に帰りたいんですけど……」
「まあまあ、吉良くん。たまには付き合ってよ」
「ですが……」
「ほら、行くわよ!」
乱菊に引っ張られ、吉良はとうとう
抵抗することを諦めた。
その顔には、今夜何度目か分からない
絶望が浮かんでいる。
平子はそんな吉良に少しだけ同情しながらも、
今は自分たちのことを優先することにした。
「紫乃、もう行くで」
そう言って、紫乃の腕をそっと取る。
「んぇ? もう行くんれすかぁ?」
紫乃は不思議そうに首を傾げたが、
平子に促されるまま歩き始めた。
「せや。ほら、足元気ぃつけや」
「はぁい」
返事だけは素直だった。
真子の腕に寄り掛かりながら、
紫乃はゆっくりと店の出口へ向かっていく。
その背中を、乱菊と京楽は並んで見送っていた。
二人の顔には、
何やら含みのある笑みが浮かんでいる。
「……上手くいくといいねえ」
京楽が小さく呟く。
「花房隊長、忘れちゃうからなぁ」
乱菊は困ったように笑っている。
何をどこまで期待しているのかは、
二人だけが知っている。
一方、すでに店を出た平子たちは、
そんな会話など知る由もなかった。
「真子さぁん……」
「ん?」
「どので飲み直すんれすかあ?」
「三番隊に帰るで」
平子はそう言うと、
「あ〜、大前田副隊長から貰ったお酒なら
イヅルと開けちゃいましたよお」
紫乃はご機嫌に笑った。
「二人で飲んだんわその祝い酒か」
平子は呆れて苦笑いをする。
夜風が、火照った頬をそっと撫でていく。
日付を跨いだ瀞霊廷の街は、
昼間の賑わいが嘘のように静まり返っていた。
遠くに見える灯りを眺めながら、
平子は隣を歩く紫乃へ視線を落とす。
百年以上の時を経て、
ようやく隣にいることができるようになった人。
その相手が、今は自分の腕に寄り掛かり、
安心しきった様子で歩いている。
平子は小さく息を吐き、
誰にも聞こえないほどの声で呟いた。
「……ほんま、変わらんな」
紫乃はその言葉の意味を知らぬまま、
平子の腕をきゅっと握り直した。
その手を振りほどくことなく、
平子は彼女の歩幅に合わせて、
静かな夜道を歩いていった。
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