春の味わい
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「大変美味しく頂戴いたしました」
紫乃は両手を添えて茶碗を置くと、
静かに頭を下げた。
この日は月に一度、
山本総隊長が一番隊隊舎で開く、
護廷十三隊の茶会の日だった。
通称『茶の湯クラブ』。
隊長格を中心に、日頃の職務から離れて茶を嗜み、
穏やかなひとときを過ごすための集まりである。
山本総隊長自らが点てた抹茶をいただき、
紫乃はほっと息をついた。
彼女の隣には卯ノ花烈、朽木白哉、草鹿やちるが
並んで座っている。
ただし、そのうち一人だけは
茶会の趣旨を少々履き違えていた。
やちるは作法も静けさもどこ吹く風
といった様子で、
目の前の茶菓子を口に運んでいる。
苦い抹茶には一切手をつけず、
さらには隣に座る白哉の分にまで
手を伸ばしていた。
「……」
白哉はそれを横目で見たものの、
もはや何も言わなかった。
今さら咎めたところで、聞き入れる相手ではない。
そう悟っているのだろう。
やちるは白哉の視線など意に介さず、
頬を膨らませながら菓子を味わっていた。
紫乃はそんな二人の様子を微笑ましく眺めた。
茶の湯クラブが始まった当初、
紫乃は参加していなかった。
副隊長を務めていた頃も、
特に誘われることはなかったのだ。
転機となったのは、空座町決戦の前。
雛森桃に関する報告のため
総隊長のもとを訪れた際、
抹茶を振る舞われたことだった。
そのときの縁から、
山本に茶会へ誘われるようになり、
気づけば紫乃も茶の湯クラブの一員となっていた。
隊務の合間に静かに茶を味わう時間は、
思いのほか心地よい。
張り詰めた日常から少しだけ離れ、
自分の呼吸を取り戻すことができる。
もっとも、この場には一人、
茶会の静謐さをまるで
別のものに変えてしまう存在がいるのだが。
やちるに関しては、
山本総隊長も半ば諦めているらしい。
当初は作法や静粛を守るよう
注意していたそうだが、
本人は聞く耳を持たず、
それでも毎月欠かさず参加する。
とうとう山本も、やちるが茶菓子を
楽しんでいる限りは
よしとすることにしたようだった。
やがて茶会が終わり、
参加者たちが帰り支度を始める。
紫乃も立ち上がり、
乱れのない所作で衣服を整えたところへ、
隣にいた卯ノ花が穏やかな声をかけた。
「花房隊長、美しい所作でしたよ」
「痛み入ります」
紫乃は軽く一礼して応じた。
卯ノ花の所作もまた、
見る者の目を引くほど優美なものだった。
柔らかな笑みを浮かべているにもかかわらず、
その一挙手一投足には長年の経験に
裏打ちされた揺るぎない品格がある。
そんな二人のやり取りに割って入るように、
明るい声が響いた。
「紫乃ちゃん!お菓子美味しかったー!」
茶菓子を存分に堪能したやちるが、
満面の笑みで駆け寄ってきた。
「気に入ってもらえて良かった」
紫乃はやちるの弾むような声に、
柔らかく目を細めた。
今回、茶会に出される上生菓子は
紫乃が用意したものだった。
茶菓子の費用は年間の予算に含まれているが、
参加者が気に入った品を
持ち寄ることも認められている。
紫乃は一番街にあるお気に入りの和菓子屋で、
季節の意匠を凝らした上生菓子を選んできたのだ。
練り切りで表現された花弁や、
淡い色を重ねた繊細な造形。
味だけでなく、目でも季節を楽しめる菓子だった。
「やちるのと、びゃっくんの、
中の餡が違ってたの!
やちるが餡子で、びゃっくんは白餡!」
やちるは両手を動かしながら、
嬉しそうに報告した。
「ふふ、そうだったの?」
やちるが口にした『びゃっくん』とは、
もちろん白哉のことだ。
何がきっかけだったのか、
やちるは白哉をすっかり気に入っている。
女性死神協会の憩いの場として
朽木家の屋敷が半ば強制的に
使われているという話も、
紫乃の耳には届いていた。
朽木家当主である白哉にとっては、
なかなか気苦労の絶えないことだろう。
当の白哉は、
やちるに茶菓子を食べられたことなど、
もはや気にしていない様子だった。
静かに立ち上がると、
茶道室を後にしようと出口へ向かう。
その背中に、紫乃が声をかけた。
「朽木隊長、上生菓子は今度またお持ちしますね」
自分の分まで食べられてしまったことへの、
ささやかな気遣いだった。
白哉は足を止め、わずかに振り返った。
「……繊細な練り切りを見られただけで満足だ。
次は朽木家御用達の和菓子屋の菓子を持ってこよう」
「まあ。それは楽しみです」
紫乃が微笑むと、
白哉もほんのわずかに目元を和らげた。
それ以上は言葉を交わさず、
白哉は静かに部屋を出ていった。
紫乃はその背中を見送り、胸の内で安堵した。
見た目だけでも満足してもらえたのなら、
用意した甲斐があったというものだ。
次の茶会では、どのような菓子が並ぶのだろう。
朽木家御用達の和菓子屋というのも、
ぜひ一度味わってみたい。
そんなことを考えていると、
隣から柔らかな声がした。
「それなら、私もおすすめのお菓子を
持ってこないといけませんね」
卯ノ花がにこやかに微笑んでいた。
言葉こそ穏やかだったが、
その声音にはほんの少しばかりの
対抗心が滲んでいる。
「まあ、卯ノ花隊長まで」
「ふふ。皆さんに喜んでいただけるものを
選びたいですから」
二人が和やかに言葉を交わしていると、
やちるが不満げに頬を膨らませた。
「みーんな、たくさん持ってくればいいのに!
一個じゃ少ないよー!」
「ふふ、そんなにたくさん食べたら、
一角と弓親に怒られちゃうよ」
紫乃はまるで聞き分けのない子どもを諭すように、
やちるの頭を優しく撫でた。
十一番隊の三席と五席が、
日頃からどれほどやちるに振り回されているのか。
紫乃もよく知っている。
特に一角は、やちるの奔放さに
頭を抱えることも多いだろう。
弓親も口では文句を言いながら、
結局は彼女の面倒を見てしまうのだから、
苦労は尽きない。
「えー!でも、美味しいんだもん!」
「一つをゆっくり味わうのもより美味しいよ」
「美味しいのは沢山食べたいのー!」
「はいはい」
紫乃は困ったように笑いながら、
なおも抗議するやちるの言葉を受け流した。
その様子を眺めていた卯ノ花も、
口元に手を添えてくすりと笑う。
厳粛な茶会の余韻は、いつの間にか
賑やかな笑い声に包まれていた。
月に一度の、ささやかな集まり。
隊長として過ごす日々の中で、
こうした何気ない時間もまた、
紫乃にとって大切なひとときになりつつあった。
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